齋藤憲三
TDK・元創業・社長
経歴1922〜1947年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1922年主要役職の状況(推定含む目安)1947年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | TDK | 1935 | 創業 社長 | ||
| 1947 | 社長 退任 | ||||
| 官公庁 | 衆議院 | 1942 | 当選 | ||
| 1945 | 辞職 | ||||
| 他 | 産業組合中央金庫 | 1922 | 入社 | ||
| 1928 | 退職 |
社長就任までの出自
社長に選ばれた経緯
抜擢
創業者であり、1935年12月の東京電気化学工業の設立とともに社長に就任した。加藤与五郎氏が通信機メーカーにフェライトを持ち込んでも、工業化の見通しが立たないとしてどこも応じなかった。齋藤憲三氏はその材料を事業として引き受け、加藤与五郎氏は特許を無償で提供した。社名は、東京工業大学電気化学科の研究室で生まれた技術を工業化するという趣旨から、学科名の文字をつないで付けた。
在任中の主な施策
施策
1937年7月に蒲田工場を完成させ、フェライトコアの販売を始めた。売上が社員の給与に届かない時期は、自転車灯などの副業と、秋田で起こした硫黄鉱山を鐘淵紡績へ売った代金で資金をつないだ。1940年9月には郷里の秋田県由利郡平沢町に平沢工場を完成させ、戦時の無線機向け需要を受けた。公職追放の対象となると全持株を社員に無償で分け、1947年に山崎貞一氏が後任の社長に就任した。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献3件
参考文献
- 『創る TDKの全景』(1977年)
- 『東京電気化学工業 成長力ナンバーワンの技術者集団』(1980年)
- TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
事実根拠:出所(TDK)