第2章 年〜年

ニデック:1995年の最終赤字とトーソク・コパル買収による多角化

1994年〜世界首位の主力が抱えた、単一市場への依存

1994年1月、日本電産はハードディスク装置向けモータへの依存から脱する方針を掲げた。この分野では1980年代末に世界シェア約七割を占めて首位に立っていたが、売上の多くを単一の市場に託す体質が同時に固まっていた。1997年の時点でもハードディスク関連は売上全体の6割前後を占めていた。永守重信氏は、別の収益源を育てて五年後にはこの比率を3分の1まで下げると語り、自動車や家電向けのモータへ製品構成を広げる方向を示した。自社の事業拡大と企業買収をそれぞれ5割ずつで全体を広げるという配分も、このとき併せて示されている。世界で首位を取った製品への依存を、首位にあるうちに自ら薄める選択であった。

  • 有価証券報告書(沿革)
    • [1]日本電産は1979年に始めたHDD用スピンドルモータへの集中投資により1980年代末に世界シェア約7割を占めて世界首位に立ったが、売上の多くを単一市場に託す体質が固まり、1994年1月にHDD依存からの脱却を掲げて製品構成の転換へ向かった
    • [2]日本電産は1979年に始めたHDD用スピンドルモータへの集中投資により1980年代末に世界シェア約7割を占めて世界首位に立ったが、売上の多くを単一市場に託す体質が固まり、1994年1月にHDD依存からの脱却を掲げて製品構成の転換へ向かった
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号
    • [3]永守重信氏は1997年11月の時点でHDD関連商品が売上全体の6割程度を占めるとし、別の柱を育てて5年後にはHDD関連モータの売上を全体の3分の1にしたいと述べた。あわせて自社の事業拡大と企業買収をそれぞれ50%ずつで全体の事業を拡大したいとした
    • [4]永守重信氏は1997年11月の時点でHDD関連商品が売上全体の6割程度を占めるとし、別の柱を育てて5年後にはHDD関連モータの売上を全体の3分の1にしたいと述べた。あわせて自社の事業拡大と企業買収をそれぞれ50%ずつで全体の事業を拡大したいとした
    • [5]永守重信氏は1997年11月の時点でHDD関連商品が売上全体の6割程度を占めるとし、別の柱を育てて5年後にはHDD関連モータの売上を全体の3分の1にしたいと述べた。あわせて自社の事業拡大と企業買収をそれぞれ50%ずつで全体の事業を拡大したいとした

依存の重さは業績の振れに表れた。日本電産は1992年3月期に連結で28億円、1995年3月期にも25億円の当期純損失を計上した。1995年の赤字は、パソコン需要の減速でハードディスク装置向けモータの受注が急減したことによる。連結売上高は同じ期に731億円と前期の601億円を上回っており、売上の増加が利益の確保に結びつかない年が続いた。翌1996年3月期には黒字に転じて36億円の当期純利益を計上したものの、数年おきに損益が振れる状態そのものは変わらず、収益を単一の需要先へ託す構造が残った。世界で首位に立っていても、その市場の需要変動を遮ることはできなかった。

  • 会社年鑑(連結財務)
    • [6]日本電産の連結業績は1992年3月期が売上高572億円・当期純損失28億円、1994年3月期が売上高601億円、1995年3月期が売上高731億円・当期純損失25億円、1996年3月期が売上高753億円・当期純利益36億円であった
    • [8]日本電産の連結業績は1992年3月期が売上高572億円・当期純損失28億円、1994年3月期が売上高601億円、1995年3月期が売上高731億円・当期純損失25億円、1996年3月期が売上高753億円・当期純利益36億円であった
    • [9]日本電産の連結業績は1992年3月期が売上高572億円・当期純損失28億円、1994年3月期が売上高601億円、1995年3月期が売上高731億円・当期純損失25億円、1996年3月期が売上高753億円・当期純利益36億円であった
  • 有価証券報告書(沿革)
    • [7]1990年代半ば、パソコン需要の減速でHDD向けモータの受注が急減し、日本電産は最終赤字へ転落した

新しい収益源を自社開発で育てるには、足りないものが多かった。永守重信氏は、自動車や家電のモータなど新しい分野へ出るにも既存の分野を掘り下げるにも自社では限界があり、人材も技術も歴史も実績も十分ではないと述べている。取引の実績を重んじる日本の市場では、製品を売り込んでも実績がないと言われて商談が進まない。米国であれば商品が良ければ買ってもらえるが、国内ではそうはいかないというのが永守重信氏の見立てであった。そこで選ばれたのが、企業を買うことで技術とともに歴史と信用を取り込む方法である。株価の下落によって買収の費用が下がったことと、企業の合併・買収に対する世の中の理解が深まったことも、この時期に買収を加速させる直接の理由になった。

  • 日経ビジネス 1997年11月17日号
    • [10]永守重信氏は、自動車や家電関係のモータなど新しい分野に出たり既存分野を掘り下げたりするには自社では限界があり、人材や技術が十分でなく歴史や実績もないため「実績がないじゃないか」と言われると述べた。米国なら商品が良ければ買ってもらえるが日本ではそうはいかないため、企業買収によって歴史や信用を買うとした
    • [11]永守重信氏は、自動車や家電関係のモータなど新しい分野に出たり既存分野を掘り下げたりするには自社では限界があり、人材や技術が十分でなく歴史や実績もないため「実績がないじゃないか」と言われると述べた。米国なら商品が良ければ買ってもらえるが日本ではそうはいかないため、企業買収によって歴史や信用を買うとした
    • [12]永守重信氏は、自動車や家電関係のモータなど新しい分野に出たり既存分野を掘り下げたりするには自社では限界があり、人材や技術が十分でなく歴史や実績もないため「実績がないじゃないか」と言われると述べた。米国なら商品が良ければ買ってもらえるが日本ではそうはいかないため、企業買収によって歴史や信用を買うとした
    • [13]永守重信氏は、自動車や家電関係のモータなど新しい分野に出たり既存分野を掘り下げたりするには自社では限界があり、人材や技術が十分でなく歴史や実績もないため「実績がないじゃないか」と言われると述べた。米国なら商品が良ければ買ってもらえるが日本ではそうはいかないため、企業買収によって歴史や信用を買うとした
  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [14]永守重信氏は、雇用を伴う拡大戦略を企業経営の原点とし、従業員10万人の企業を一から積み上げるのでは時間がかかるため、時間を買う手法としてM&Aを展開したと述べた。株価が安くなって低コストで会社が買えること、M&Aに対する世の中の理解が深まったことがM&Aを積極化させる直接的な理由であった
    • [15]永守重信氏は、雇用を伴う拡大戦略を企業経営の原点とし、従業員10万人の企業を一から積み上げるのでは時間がかかるため、時間を買う手法としてM&Aを展開したと述べた。株価が安くなって低コストで会社が買えること、M&Aに対する世の中の理解が深まったことがM&Aを積極化させる直接的な理由であった
参考文献[1]-[15]
  • 有価証券報告書(沿革)
    • [1]日本電産は1979年に始めたHDD用スピンドルモータへの集中投資により1980年代末に世界シェア約7割を占めて世界首位に立ったが、売上の多くを単一市場に託す体質が固まり、1994年1月にHDD依存からの脱却を掲げて製品構成の転換へ向かった
    • [2]日本電産は1979年に始めたHDD用スピンドルモータへの集中投資により1980年代末に世界シェア約7割を占めて世界首位に立ったが、売上の多くを単一市場に託す体質が固まり、1994年1月にHDD依存からの脱却を掲げて製品構成の転換へ向かった
    • [7]1990年代半ば、パソコン需要の減速でHDD向けモータの受注が急減し、日本電産は最終赤字へ転落した
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号
    • [3]永守重信氏は1997年11月の時点でHDD関連商品が売上全体の6割程度を占めるとし、別の柱を育てて5年後にはHDD関連モータの売上を全体の3分の1にしたいと述べた。あわせて自社の事業拡大と企業買収をそれぞれ50%ずつで全体の事業を拡大したいとした
    • [4]永守重信氏は1997年11月の時点でHDD関連商品が売上全体の6割程度を占めるとし、別の柱を育てて5年後にはHDD関連モータの売上を全体の3分の1にしたいと述べた。あわせて自社の事業拡大と企業買収をそれぞれ50%ずつで全体の事業を拡大したいとした
    • [5]永守重信氏は1997年11月の時点でHDD関連商品が売上全体の6割程度を占めるとし、別の柱を育てて5年後にはHDD関連モータの売上を全体の3分の1にしたいと述べた。あわせて自社の事業拡大と企業買収をそれぞれ50%ずつで全体の事業を拡大したいとした
    • [10]永守重信氏は、自動車や家電関係のモータなど新しい分野に出たり既存分野を掘り下げたりするには自社では限界があり、人材や技術が十分でなく歴史や実績もないため「実績がないじゃないか」と言われると述べた。米国なら商品が良ければ買ってもらえるが日本ではそうはいかないため、企業買収によって歴史や信用を買うとした
    • [11]永守重信氏は、自動車や家電関係のモータなど新しい分野に出たり既存分野を掘り下げたりするには自社では限界があり、人材や技術が十分でなく歴史や実績もないため「実績がないじゃないか」と言われると述べた。米国なら商品が良ければ買ってもらえるが日本ではそうはいかないため、企業買収によって歴史や信用を買うとした
    • [12]永守重信氏は、自動車や家電関係のモータなど新しい分野に出たり既存分野を掘り下げたりするには自社では限界があり、人材や技術が十分でなく歴史や実績もないため「実績がないじゃないか」と言われると述べた。米国なら商品が良ければ買ってもらえるが日本ではそうはいかないため、企業買収によって歴史や信用を買うとした
    • [13]永守重信氏は、自動車や家電関係のモータなど新しい分野に出たり既存分野を掘り下げたりするには自社では限界があり、人材や技術が十分でなく歴史や実績もないため「実績がないじゃないか」と言われると述べた。米国なら商品が良ければ買ってもらえるが日本ではそうはいかないため、企業買収によって歴史や信用を買うとした
  • 会社年鑑(連結財務)
    • [6]日本電産の連結業績は1992年3月期が売上高572億円・当期純損失28億円、1994年3月期が売上高601億円、1995年3月期が売上高731億円・当期純損失25億円、1996年3月期が売上高753億円・当期純利益36億円であった
    • [8]日本電産の連結業績は1992年3月期が売上高572億円・当期純損失28億円、1994年3月期が売上高601億円、1995年3月期が売上高731億円・当期純損失25億円、1996年3月期が売上高753億円・当期純利益36億円であった
    • [9]日本電産の連結業績は1992年3月期が売上高572億円・当期純損失28億円、1994年3月期が売上高601億円、1995年3月期が売上高731億円・当期純損失25億円、1996年3月期が売上高753億円・当期純利益36億円であった
  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [14]永守重信氏は、雇用を伴う拡大戦略を企業経営の原点とし、従業員10万人の企業を一から積み上げるのでは時間がかかるため、時間を買う手法としてM&Aを展開したと述べた。株価が安くなって低コストで会社が買えること、M&Aに対する世の中の理解が深まったことがM&Aを積極化させる直接的な理由であった
    • [15]永守重信氏は、雇用を伴う拡大戦略を企業経営の原点とし、従業員10万人の企業を一から積み上げるのでは時間がかかるため、時間を買う手法としてM&Aを展開したと述べた。株価が安くなって低コストで会社が買えること、M&Aに対する世の中の理解が深まったことがM&Aを積極化させる直接的な理由であった

1995年〜ムダの多い会社ほど買収価値が高いという選別と、掃除から入る再建

日本電産の再建型買収が型として固まったのは、1995年2月のシンポ工業への資本参加である。技術と品質管理で知られる京都の名門とみられ、大阪・名古屋両証券取引所第二部に上場し、ベルトコンベヤーや工作機械向けの無段変速機を作る会社だったが、バブル崩壊を経て1992年3月期に赤字に陥り、1994年には希望退職を募るところまで追い詰められていた。資本参加の時点で社員は新聞の求人欄に目をやり自信をなくしていた、と永守重信氏は振り返る。永守重信氏の狙いは、良い技術と市場を持ちながら収支が合っていない会社にあった。工場が汚れ、日本電産より3割高い用紙を買い、経営者が平日にゴルフへ行くような会社でも、収支が釣り合いさえすれば買収で大きな利益が出ると同氏は説いた。

  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [16]シンポ工業はベルトコンベヤーや工作機械に使われる無段変速機メーカーで大阪・名古屋の両証券取引所第二部に上場し、技術や品質管理に定評があったが、バブル崩壊後の1992年3月期に赤字へ転落し1994年に希望退職の導入を余儀なくされた。日本電産は1995年2月に資本参加して再建に乗り出した
    • [17]シンポ工業はベルトコンベヤーや工作機械に使われる無段変速機メーカーで大阪・名古屋の両証券取引所第二部に上場し、技術や品質管理に定評があったが、バブル崩壊後の1992年3月期に赤字へ転落し1994年に希望退職の導入を余儀なくされた。日本電産は1995年2月に資本参加して再建に乗り出した
    • [18]シンポ工業はベルトコンベヤーや工作機械に使われる無段変速機メーカーで大阪・名古屋の両証券取引所第二部に上場し、技術や品質管理に定評があったが、バブル崩壊後の1992年3月期に赤字へ転落し1994年に希望退職の導入を余儀なくされた。日本電産は1995年2月に資本参加して再建に乗り出した
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号
    • [19]永守重信氏は1995年2月の旧シンポ工業への資本参加当時、社員が新聞の求人欄を見て自信をなくしていたと述べた。優れた人材と良い技術・良い市場を持ちながら赤字を出している会社を選んで買収するとし、汚い工場で従業員の規律が緩み、日本電産より3割高いコピー用紙を買い、経営者が平日にゴルフへ行っていて収支がトントンの会社を買収すれば非常に利益が出ると述べた
    • [20]永守重信氏は1995年2月の旧シンポ工業への資本参加当時、社員が新聞の求人欄を見て自信をなくしていたと述べた。優れた人材と良い技術・良い市場を持ちながら赤字を出している会社を選んで買収するとし、汚い工場で従業員の規律が緩み、日本電産より3割高いコピー用紙を買い、経営者が平日にゴルフへ行っていて収支がトントンの会社を買収すれば非常に利益が出ると述べた
    • [21]永守重信氏は1995年2月の旧シンポ工業への資本参加当時、社員が新聞の求人欄を見て自信をなくしていたと述べた。優れた人材と良い技術・良い市場を持ちながら赤字を出している会社を選んで買収するとし、汚い工場で従業員の規律が緩み、日本電産より3割高いコピー用紙を買い、経営者が平日にゴルフへ行っていて収支がトントンの会社を買収すれば非常に利益が出ると述べた

永守重信氏が再建にあたって最初に出した注文は、毎朝の掃除で職場をきれいにすることだった。工場をきれいにして利益が上がるはずがないという反発が出たが、まず掃除をしてから理屈を言ってくれと応じ、社長以下の幹部が毎朝出社して工場に何十年も溜まった油を取り除いた。当初は加わらなかった労働組合員も一人また一人と参加し、その年の12月の月次利益は過去最高となった。一年目の決算は過去最高益、二年目は売上高も利益も過去最高となり、1996年は22年ぶり、1997年は過去最高の利益を計上する決算となった。永守重信氏は買収した会社の会長として週に一度、弁当と水筒を持って無給で現場へ出向き、意識改革を自ら指導した。

  • 日経ビジネス 1997年11月17日号
    • [22]永守重信氏は旧シンポ工業の再建にあたり工場をきれいにすることを求め、社長以下の幹部が毎朝出社して工場に何十年も溜まった油を取り除いた。当初参加しなかった労働組合員も加わり、その年12月の月次利益は過去最高、一年目の決算は過去最高利益、二年目は売上・利益とも過去最高となった。永守重信氏は買収した会社の会長として週に一回、弁当と水筒を持参し無給で出向いて指導した
    • [24]永守重信氏は旧シンポ工業の再建にあたり工場をきれいにすることを求め、社長以下の幹部が毎朝出社して工場に何十年も溜まった油を取り除いた。当初参加しなかった労働組合員も加わり、その年12月の月次利益は過去最高、一年目の決算は過去最高利益、二年目は売上・利益とも過去最高となった。永守重信氏は買収した会社の会長として週に一回、弁当と水筒を持参し無給で出向いて指導した
    • [25]永守重信氏は旧シンポ工業の再建にあたり工場をきれいにすることを求め、社長以下の幹部が毎朝出社して工場に何十年も溜まった油を取り除いた。当初参加しなかった労働組合員も加わり、その年12月の月次利益は過去最高、一年目の決算は過去最高利益、二年目は売上・利益とも過去最高となった。永守重信氏は買収した会社の会長として週に一回、弁当と水筒を持参し無給で出向いて指導した
    • [26]永守重信氏は旧シンポ工業の再建にあたり工場をきれいにすることを求め、社長以下の幹部が毎朝出社して工場に何十年も溜まった油を取り除いた。当初参加しなかった労働組合員も加わり、その年12月の月次利益は過去最高、一年目の決算は過去最高利益、二年目は売上・利益とも過去最高となった。永守重信氏は買収した会社の会長として週に一回、弁当と水筒を持参し無給で出向いて指導した
    • [28]永守重信氏は旧シンポ工業の再建にあたり工場をきれいにすることを求め、社長以下の幹部が毎朝出社して工場に何十年も溜まった油を取り除いた。当初参加しなかった労働組合員も加わり、その年12月の月次利益は過去最高、一年目の決算は過去最高利益、二年目は売上・利益とも過去最高となった。永守重信氏は買収した会社の会長として週に一回、弁当と水筒を持参し無給で出向いて指導した
  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [23]永守重信氏はシンポ工業の再建で「毎朝掃除をして職場をきれいにしなさい」と求め、一年を過ぎて業績は急回復し、1996年は22年ぶり、1997年は過去最高の利益を出す決算となった
    • [27]永守重信氏はシンポ工業の再建で「毎朝掃除をして職場をきれいにしなさい」と求め、一年を過ぎて業績は急回復し、1996年は22年ぶり、1997年は過去最高の利益を出す決算となった

買収先を選ぶ基準は三つに絞られていた。清潔さと整理整頓としつけ、代表的な仕入れ品の価格、そして従業員の勤務態度である。永守重信氏は、この三つが崩れている会社を選んで買収すると明言した。優れた人材と良い技術、良い市場を持ちながら赤字を出している会社は、働き方と調達の是正だけで利益が出る。逆に、ムダがなく全員がよく働いていて赤字の会社は再建の見通しが暗いとされた。買収先で人員整理を行わなかったのは、送り込む人材が日本電産になく、相手企業の労働組合から合意書を取っていたためでもある。赤字の会社を買収して五年で売上高経常利益率を1割に載せることが、再建の目標として置かれた。

  • 日経ビジネス 1997年11月17日号
    • [29]永守重信氏が会社を買う基準は、清潔さや整理・整頓・しつけ、代表的な仕入れ品のコスト、従業員の勤務態度の三点であった。良いものを持ちながら赤字の会社はきちんとすればすぐ利益を出せる一方、ムダがなくよく働いていて赤字の会社は再建の見通しが暗いとした。赤字会社を買収して五年で売上高経常利益率10%とするのが目標であった
    • [30]永守重信氏が会社を買う基準は、清潔さや整理・整頓・しつけ、代表的な仕入れ品のコスト、従業員の勤務態度の三点であった。良いものを持ちながら赤字の会社はきちんとすればすぐ利益を出せる一方、ムダがなくよく働いていて赤字の会社は再建の見通しが暗いとした。赤字会社を買収して五年で売上高経常利益率10%とするのが目標であった
    • [31]永守重信氏が会社を買う基準は、清潔さや整理・整頓・しつけ、代表的な仕入れ品のコスト、従業員の勤務態度の三点であった。良いものを持ちながら赤字の会社はきちんとすればすぐ利益を出せる一方、ムダがなくよく働いていて赤字の会社は再建の見通しが暗いとした。赤字会社を買収して五年で売上高経常利益率10%とするのが目標であった
    • [32]永守重信氏が会社を買う基準は、清潔さや整理・整頓・しつけ、代表的な仕入れ品のコスト、従業員の勤務態度の三点であった。良いものを持ちながら赤字の会社はきちんとすればすぐ利益を出せる一方、ムダがなくよく働いていて赤字の会社は再建の見通しが暗いとした。赤字会社を買収して五年で売上高経常利益率10%とするのが目標であった
    • [34]永守重信氏が会社を買う基準は、清潔さや整理・整頓・しつけ、代表的な仕入れ品のコスト、従業員の勤務態度の三点であった。良いものを持ちながら赤字の会社はきちんとすればすぐ利益を出せる一方、ムダがなくよく働いていて赤字の会社は再建の見通しが暗いとした。赤字会社を買収して五年で売上高経常利益率10%とするのが目標であった
  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [33]永守重信氏は、買収した会社へ送り込む人材が日本電産にまだ多くないこと、買収先の労働組合から合意書をもらうことを理由に、経営者も従業員も解雇しないとした
参考文献[16]-[34]
  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [16]シンポ工業はベルトコンベヤーや工作機械に使われる無段変速機メーカーで大阪・名古屋の両証券取引所第二部に上場し、技術や品質管理に定評があったが、バブル崩壊後の1992年3月期に赤字へ転落し1994年に希望退職の導入を余儀なくされた。日本電産は1995年2月に資本参加して再建に乗り出した
    • [17]シンポ工業はベルトコンベヤーや工作機械に使われる無段変速機メーカーで大阪・名古屋の両証券取引所第二部に上場し、技術や品質管理に定評があったが、バブル崩壊後の1992年3月期に赤字へ転落し1994年に希望退職の導入を余儀なくされた。日本電産は1995年2月に資本参加して再建に乗り出した
    • [18]シンポ工業はベルトコンベヤーや工作機械に使われる無段変速機メーカーで大阪・名古屋の両証券取引所第二部に上場し、技術や品質管理に定評があったが、バブル崩壊後の1992年3月期に赤字へ転落し1994年に希望退職の導入を余儀なくされた。日本電産は1995年2月に資本参加して再建に乗り出した
    • [23]永守重信氏はシンポ工業の再建で「毎朝掃除をして職場をきれいにしなさい」と求め、一年を過ぎて業績は急回復し、1996年は22年ぶり、1997年は過去最高の利益を出す決算となった
    • [27]永守重信氏はシンポ工業の再建で「毎朝掃除をして職場をきれいにしなさい」と求め、一年を過ぎて業績は急回復し、1996年は22年ぶり、1997年は過去最高の利益を出す決算となった
    • [33]永守重信氏は、買収した会社へ送り込む人材が日本電産にまだ多くないこと、買収先の労働組合から合意書をもらうことを理由に、経営者も従業員も解雇しないとした
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号
    • [19]永守重信氏は1995年2月の旧シンポ工業への資本参加当時、社員が新聞の求人欄を見て自信をなくしていたと述べた。優れた人材と良い技術・良い市場を持ちながら赤字を出している会社を選んで買収するとし、汚い工場で従業員の規律が緩み、日本電産より3割高いコピー用紙を買い、経営者が平日にゴルフへ行っていて収支がトントンの会社を買収すれば非常に利益が出ると述べた
    • [20]永守重信氏は1995年2月の旧シンポ工業への資本参加当時、社員が新聞の求人欄を見て自信をなくしていたと述べた。優れた人材と良い技術・良い市場を持ちながら赤字を出している会社を選んで買収するとし、汚い工場で従業員の規律が緩み、日本電産より3割高いコピー用紙を買い、経営者が平日にゴルフへ行っていて収支がトントンの会社を買収すれば非常に利益が出ると述べた
    • [21]永守重信氏は1995年2月の旧シンポ工業への資本参加当時、社員が新聞の求人欄を見て自信をなくしていたと述べた。優れた人材と良い技術・良い市場を持ちながら赤字を出している会社を選んで買収するとし、汚い工場で従業員の規律が緩み、日本電産より3割高いコピー用紙を買い、経営者が平日にゴルフへ行っていて収支がトントンの会社を買収すれば非常に利益が出ると述べた
    • [22]永守重信氏は旧シンポ工業の再建にあたり工場をきれいにすることを求め、社長以下の幹部が毎朝出社して工場に何十年も溜まった油を取り除いた。当初参加しなかった労働組合員も加わり、その年12月の月次利益は過去最高、一年目の決算は過去最高利益、二年目は売上・利益とも過去最高となった。永守重信氏は買収した会社の会長として週に一回、弁当と水筒を持参し無給で出向いて指導した
    • [24]永守重信氏は旧シンポ工業の再建にあたり工場をきれいにすることを求め、社長以下の幹部が毎朝出社して工場に何十年も溜まった油を取り除いた。当初参加しなかった労働組合員も加わり、その年12月の月次利益は過去最高、一年目の決算は過去最高利益、二年目は売上・利益とも過去最高となった。永守重信氏は買収した会社の会長として週に一回、弁当と水筒を持参し無給で出向いて指導した
    • [25]永守重信氏は旧シンポ工業の再建にあたり工場をきれいにすることを求め、社長以下の幹部が毎朝出社して工場に何十年も溜まった油を取り除いた。当初参加しなかった労働組合員も加わり、その年12月の月次利益は過去最高、一年目の決算は過去最高利益、二年目は売上・利益とも過去最高となった。永守重信氏は買収した会社の会長として週に一回、弁当と水筒を持参し無給で出向いて指導した
    • [26]永守重信氏は旧シンポ工業の再建にあたり工場をきれいにすることを求め、社長以下の幹部が毎朝出社して工場に何十年も溜まった油を取り除いた。当初参加しなかった労働組合員も加わり、その年12月の月次利益は過去最高、一年目の決算は過去最高利益、二年目は売上・利益とも過去最高となった。永守重信氏は買収した会社の会長として週に一回、弁当と水筒を持参し無給で出向いて指導した
    • [28]永守重信氏は旧シンポ工業の再建にあたり工場をきれいにすることを求め、社長以下の幹部が毎朝出社して工場に何十年も溜まった油を取り除いた。当初参加しなかった労働組合員も加わり、その年12月の月次利益は過去最高、一年目の決算は過去最高利益、二年目は売上・利益とも過去最高となった。永守重信氏は買収した会社の会長として週に一回、弁当と水筒を持参し無給で出向いて指導した
    • [29]永守重信氏が会社を買う基準は、清潔さや整理・整頓・しつけ、代表的な仕入れ品のコスト、従業員の勤務態度の三点であった。良いものを持ちながら赤字の会社はきちんとすればすぐ利益を出せる一方、ムダがなくよく働いていて赤字の会社は再建の見通しが暗いとした。赤字会社を買収して五年で売上高経常利益率10%とするのが目標であった
    • [30]永守重信氏が会社を買う基準は、清潔さや整理・整頓・しつけ、代表的な仕入れ品のコスト、従業員の勤務態度の三点であった。良いものを持ちながら赤字の会社はきちんとすればすぐ利益を出せる一方、ムダがなくよく働いていて赤字の会社は再建の見通しが暗いとした。赤字会社を買収して五年で売上高経常利益率10%とするのが目標であった
    • [31]永守重信氏が会社を買う基準は、清潔さや整理・整頓・しつけ、代表的な仕入れ品のコスト、従業員の勤務態度の三点であった。良いものを持ちながら赤字の会社はきちんとすればすぐ利益を出せる一方、ムダがなくよく働いていて赤字の会社は再建の見通しが暗いとした。赤字会社を買収して五年で売上高経常利益率10%とするのが目標であった
    • [32]永守重信氏が会社を買う基準は、清潔さや整理・整頓・しつけ、代表的な仕入れ品のコスト、従業員の勤務態度の三点であった。良いものを持ちながら赤字の会社はきちんとすればすぐ利益を出せる一方、ムダがなくよく働いていて赤字の会社は再建の見通しが暗いとした。赤字会社を買収して五年で売上高経常利益率10%とするのが目標であった
    • [34]永守重信氏が会社を買う基準は、清潔さや整理・整頓・しつけ、代表的な仕入れ品のコスト、従業員の勤務態度の三点であった。良いものを持ちながら赤字の会社はきちんとすればすぐ利益を出せる一方、ムダがなくよく働いていて赤字の会社は再建の見通しが暗いとした。赤字会社を買収して五年で売上高経常利益率10%とするのが目標であった

1997年〜大企業の子会社を対象とする連続買収と、東京証券取引所第一部への上場

1997年3月、日本電産は日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。50年近い歴史を持つ会社を傘下に収めたことで、取引先の応対が変わった。トーソクの親会社になったのなら日産の親戚だ、それならこちらも納入させてもらうという反応が返ってきたと永守重信氏は語っている。買収の対象は、専門用語が通じ、本業に近く相乗効果の見込める製造業に限られた。トーソクが持つ計測技術は、次世代のモータをつくるうえで欠かせないものと位置づけられた。機械のメーカーが養豚を手がけるような領域の飛躍は、専門用語が通じないとして避けられている。資本参加による実質的な企業買収は、この時期に年二件から三件の速さで重ねられていた。

  • 日経ビジネス 1997年11月17日号
    • [35]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
    • [37]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
    • [38]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
    • [39]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
    • [40]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
    • [41]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
  • 有価証券報告書(沿革)
    • [36]1997年3月にトーソクへ資本参加した

買収先の多くは、一部上場企業の子会社であった。1995年以降だけでも、兼松子会社で精密高速自動プレス機を手がける京利工業、新日鉄化学子会社でプリント基板検査装置のリードエレクトロニクス、富士通系列のカメラシャッターメーカーであるコパルとコパル電子、東芝の直系子会社である芝浦製作所のモータ部門が加わった。永守重信氏は大企業を回って売却を打診しており、1997年11月の時点で子会社は21社、うち連結対象は12社に達していた。十数年間のM&Aは16件を数えた。買収先が大企業の子会社に偏ったのは、良い技術と市場を持ちながら親会社のなかで収益を上げられずにいる会社がそこに多かったためである。

  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [42]日本電産は1995年以降、シンポ工業、トーソク、兼松子会社の京利工業、新日鉄化学子会社のリードエレクトロニクス、富士通系列のコパルおよびコパル電子、東芝直系子会社である芝浦製作所のモーター部門など、一部上場企業の子会社を中心に買収を進めた。十数年前から数えたM&A件数は16社に及んだ
    • [43]日本電産は1995年以降、シンポ工業、トーソク、兼松子会社の京利工業、新日鉄化学子会社のリードエレクトロニクス、富士通系列のコパルおよびコパル電子、東芝直系子会社である芝浦製作所のモーター部門など、一部上場企業の子会社を中心に買収を進めた。十数年前から数えたM&A件数は16社に及んだ
    • [45]日本電産は1995年以降、シンポ工業、トーソク、兼松子会社の京利工業、新日鉄化学子会社のリードエレクトロニクス、富士通系列のコパルおよびコパル電子、東芝直系子会社である芝浦製作所のモーター部門など、一部上場企業の子会社を中心に買収を進めた。十数年前から数えたM&A件数は16社に及んだ
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号
    • [44]1997年11月の時点で日本電産の子会社は21社、うち連結対象会社は12社であった。永守重信氏は、良いものを持った会社は大企業の子会社に多いとして、大企業に売却を打診して回っていた
    • [46]1997年11月の時点で日本電産の子会社は21社、うち連結対象会社は12社であった。永守重信氏は、良いものを持った会社は大企業の子会社に多いとして、大企業に売却を打診して回っていた

1998年9月16日、日本電産は東京証券取引所市場第一部へ上場し、大阪証券取引所でも市場第一部へ指定された。同じ年の3月末で単体の従業員は1,097人、永守重信氏は発行済株式の10.3%を持つ筆頭株主であった。単体の売上高は1998年3月期に979億円、経常利益は88億円で、うち精密小型直流モータが765億円と78.1%を占めた。連結売上高は1998年3月期の1,156億円から1999年3月期には1,325億円へ伸び、当期純利益はそれぞれ63億円と56億円を計上した。永守重信氏はこの時期、2010年に連結売上高1兆円、従業員10万人という目標を掲げていた。雇用を伴う拡大を経営の原点に据える以上、買収は時間を買う手段として成長計画の中心に置かれた。

  • 証券 1998年50巻11号
    • [47]日本電産は1998年9月16日に市場第一部へ上場し、大阪証券取引所では1988年11月の第二部上場を経て1998年9月に市場第一部へ指定された。1998年3月31日現在の従業員数は1,097人、永守重信氏は3,119千株・発行済株式の10.3%を保有する筆頭株主であった。単体の1998年3月期は売上高97,957百万円・経常利益8,802百万円で、販売実績は精密小型DCモータ76,519百万円(構成比78.1%)、電源装置12,486百万円、小型軸流ファン4,629百万円、精密小型ACモータ3,510百万円であった
    • [48]日本電産は1998年9月16日に市場第一部へ上場し、大阪証券取引所では1988年11月の第二部上場を経て1998年9月に市場第一部へ指定された。1998年3月31日現在の従業員数は1,097人、永守重信氏は3,119千株・発行済株式の10.3%を保有する筆頭株主であった。単体の1998年3月期は売上高97,957百万円・経常利益8,802百万円で、販売実績は精密小型DCモータ76,519百万円(構成比78.1%)、電源装置12,486百万円、小型軸流ファン4,629百万円、精密小型ACモータ3,510百万円であった
    • [49]日本電産は1998年9月16日に市場第一部へ上場し、大阪証券取引所では1988年11月の第二部上場を経て1998年9月に市場第一部へ指定された。1998年3月31日現在の従業員数は1,097人、永守重信氏は3,119千株・発行済株式の10.3%を保有する筆頭株主であった。単体の1998年3月期は売上高97,957百万円・経常利益8,802百万円で、販売実績は精密小型DCモータ76,519百万円(構成比78.1%)、電源装置12,486百万円、小型軸流ファン4,629百万円、精密小型ACモータ3,510百万円であった
  • 会社年鑑(連結財務)
    • [50]日本電産の連結業績は1998年3月期が売上高1,156億円・当期純利益63億円、1999年3月期が売上高1,325億円・当期純利益56億円であった
  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [51]永守重信氏は2010年を目標に連結売上高1兆円、総従業員10万人の企業を目指し、雇用を伴う拡大戦略を企業経営の原点として、時間を買う手法にM&Aを据えた
    • [52]永守重信氏は2010年を目標に連結売上高1兆円、総従業員10万人の企業を目指し、雇用を伴う拡大戦略を企業経営の原点として、時間を買う手法にM&Aを据えた
参考文献[35]-[52]
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号
    • [35]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
    • [37]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
    • [38]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
    • [39]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
    • [40]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
    • [41]永守重信氏は1997年に日産自動車系列の部品メーカーであるトーソクへ資本参加した。日本電産は資本参加による実質的な企業買収を年に二件から三件のペースで進めていた。50年近い歴史があるため取引先から日産の親戚として扱われ納入が認められたとし、買収先は専門用語が通じ本業に近くシナジーを発揮できる会社に限るとし、機械メーカーが養豚を手がけるような異業種への進出は避けるとした。トーソクは優れた計測技術を持ち次世代のモータをつくるのに欠かせないとした
    • [44]1997年11月の時点で日本電産の子会社は21社、うち連結対象会社は12社であった。永守重信氏は、良いものを持った会社は大企業の子会社に多いとして、大企業に売却を打診して回っていた
    • [46]1997年11月の時点で日本電産の子会社は21社、うち連結対象会社は12社であった。永守重信氏は、良いものを持った会社は大企業の子会社に多いとして、大企業に売却を打診して回っていた
  • 有価証券報告書(沿革)
    • [36]1997年3月にトーソクへ資本参加した
  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [42]日本電産は1995年以降、シンポ工業、トーソク、兼松子会社の京利工業、新日鉄化学子会社のリードエレクトロニクス、富士通系列のコパルおよびコパル電子、東芝直系子会社である芝浦製作所のモーター部門など、一部上場企業の子会社を中心に買収を進めた。十数年前から数えたM&A件数は16社に及んだ
    • [43]日本電産は1995年以降、シンポ工業、トーソク、兼松子会社の京利工業、新日鉄化学子会社のリードエレクトロニクス、富士通系列のコパルおよびコパル電子、東芝直系子会社である芝浦製作所のモーター部門など、一部上場企業の子会社を中心に買収を進めた。十数年前から数えたM&A件数は16社に及んだ
    • [45]日本電産は1995年以降、シンポ工業、トーソク、兼松子会社の京利工業、新日鉄化学子会社のリードエレクトロニクス、富士通系列のコパルおよびコパル電子、東芝直系子会社である芝浦製作所のモーター部門など、一部上場企業の子会社を中心に買収を進めた。十数年前から数えたM&A件数は16社に及んだ
    • [51]永守重信氏は2010年を目標に連結売上高1兆円、総従業員10万人の企業を目指し、雇用を伴う拡大戦略を企業経営の原点として、時間を買う手法にM&Aを据えた
    • [52]永守重信氏は2010年を目標に連結売上高1兆円、総従業員10万人の企業を目指し、雇用を伴う拡大戦略を企業経営の原点として、時間を買う手法にM&Aを据えた
  • 証券 1998年50巻11号
    • [47]日本電産は1998年9月16日に市場第一部へ上場し、大阪証券取引所では1988年11月の第二部上場を経て1998年9月に市場第一部へ指定された。1998年3月31日現在の従業員数は1,097人、永守重信氏は3,119千株・発行済株式の10.3%を保有する筆頭株主であった。単体の1998年3月期は売上高97,957百万円・経常利益8,802百万円で、販売実績は精密小型DCモータ76,519百万円(構成比78.1%)、電源装置12,486百万円、小型軸流ファン4,629百万円、精密小型ACモータ3,510百万円であった
    • [48]日本電産は1998年9月16日に市場第一部へ上場し、大阪証券取引所では1988年11月の第二部上場を経て1998年9月に市場第一部へ指定された。1998年3月31日現在の従業員数は1,097人、永守重信氏は3,119千株・発行済株式の10.3%を保有する筆頭株主であった。単体の1998年3月期は売上高97,957百万円・経常利益8,802百万円で、販売実績は精密小型DCモータ76,519百万円(構成比78.1%)、電源装置12,486百万円、小型軸流ファン4,629百万円、精密小型ACモータ3,510百万円であった
    • [49]日本電産は1998年9月16日に市場第一部へ上場し、大阪証券取引所では1988年11月の第二部上場を経て1998年9月に市場第一部へ指定された。1998年3月31日現在の従業員数は1,097人、永守重信氏は3,119千株・発行済株式の10.3%を保有する筆頭株主であった。単体の1998年3月期は売上高97,957百万円・経常利益8,802百万円で、販売実績は精密小型DCモータ76,519百万円(構成比78.1%)、電源装置12,486百万円、小型軸流ファン4,629百万円、精密小型ACモータ3,510百万円であった
  • 会社年鑑(連結財務)
    • [50]日本電産の連結業績は1998年3月期が売上高1,156億円・当期純利益63億円、1999年3月期が売上高1,325億円・当期純利益56億円であった

筆者考察

世界首位を取った製品への依存を、首位にあるうちに薄める。1994年に日本電産が掲げたのはその方針である。ハードディスク装置向けモータは世界シェア7割を占めていたが、1992年3月期と1995年3月期の二度、連結で当期純損失を計上した。売上が伸びても利益の残らない年が繰り返される以上、首位であることは収益の安定を意味しない。永守重信氏は、売上の6割を占める主力の比率を五年で3分の1まで下げると言い切り、自動車と家電へ製品構成を広げる方針を示した。競争優位のある事業を縮めるのではなく、その隣に別の収益源を育てる選択である。精密小型モータの専業から総合モータメーカーへ向かう道筋は、この時点で引かれた。

永守重信氏が買収先に求めたのは成長性ではなく、是正できる非効率の量である。清潔さ、仕入れ価格、勤務態度の三点が崩れていて、なお収支が均衡している会社なら、規律を入れ直すだけで利益が出る。逆に、ムダがなく全員がよく働いていて赤字の会社には打つ手がない。シンポ工業の再建が掃除から始まったのは精神論ではなく、この計算に基づく判断であった。雇用を守ったまま数年で経常利益率一割へ載せる手順が型になったことで、日本電産は大企業が持て余す子会社の引受先になり、十数年で16件の買収を重ねた。ただしこの型は、永守重信氏が毎週現場へ通うことで成り立っており、再現性は人に依存したままだった。

1994年〜1999年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1994年03月期 連結 601 n/a 0 0.0% n/a
1995年03月期 連結 731 +21.6% ▲25 ▲3.4% n/a
1996年03月期 連結 753 +3.0% 36 4.8% n/a
1997年03月期 連結 906 +20.3% 49 5.4% n/a
1998年03月期 連結 1,156 +27.6% 63 5.4% n/a
1999年03月期 連結 1,325 +14.6% 56 4.2% n/a

出所:会社年鑑

出典・参考

5件
出典・参考
  • 有価証券報告書(沿革)
  • 会社年鑑(連結財務)
  • 日経ビジネス 1997年11月17日号
  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
  • 証券 1998年50巻11号

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