決断
国産の金銭登録機を作る会社は、11年のうちに2度、親会社を替えた。1928年12月、大日本製糖の藤山愛一郎氏が間宮堂を買収し、資本金200万円の日本金銭登録機を設立して社長に就任した。1935年8月には、間宮精一氏が世界一と評した米ナショナル金銭登録機がその資本の80%、160万円分を取得し、デイトン本社から経理と技術の担当者を送り込んだ。大仁は東洋の事務機拠点と位置づけられたが、1937年の日華事変後に銅製品の民需製造が禁じられ、金銭登録機の製造は止まる。1940年1月、戦火の拡大に伴い東京芝浦電気が工場を買収し、東芝大仁工場として照明器具や灯器を作る工場に変わった。社史はこの東芝入りを事実上の創立としている。