関家憲一
関家憲一の経歴
関家憲一の経歴社長就任に至るキャリア。就任年は有価証券報告書などの開示情報に基づく
中興ストーリー
中興ストーリー
関家憲一氏は1985年、代表取締役を退任した父の関家三男氏から社長を継いだ。同時に弟の関家臣二氏が代表取締役副社長に就任し、管理部門を関家憲一氏が、開発とマーケティングを関家臣二氏が受け持つ分担を敷いた。関家憲一氏が大学を出て入社したころの会社は、月商1,000万円、社員百数十人の中小企業であった。継いだ時点では売上高175億円(1985年1月期見込み)、経常利益30億円強、従業員600人余りの規模に育ち、ダイシングソーは国内の95%、世界の80%を占めていた。
- ディスコ 公式サイト「沿革」
- [1]1984年 関家憲一が代表取締役副社長に就任/1985年 関家三男が代表取締役を退任。それまでパートナーとして経営に当たっていた関家憲一と関家臣二がそれぞれ代表取締役社長と代表取締役副社長に就任。管理部門を憲一が、開発マーケッティング部門を臣二が担当する/1998年 溝呂木斉が代表取締役副社長に就任/2000年 関家臣二が代表取締役副会長を退任/2001年 溝呂木斉が代表取締役社長に就任/2006年 関家憲一が代表取締役会長を退任し、名誉会長に就任/2009年 溝呂木斉が代表取締役会長、関家一馬が代表取締役社長に就任
- [2]1984年 関家憲一が代表取締役副社長に就任/1985年 関家三男が代表取締役を退任。それまでパートナーとして経営に当たっていた関家憲一と関家臣二がそれぞれ代表取締役社長と代表取締役副社長に就任。管理部門を憲一が、開発マーケッティング部門を臣二が担当する/1998年 溝呂木斉が代表取締役副社長に就任/2000年 関家臣二が代表取締役副会長を退任/2001年 溝呂木斉が代表取締役社長に就任/2006年 関家憲一が代表取締役会長を退任し、名誉会長に就任/2009年 溝呂木斉が代表取締役会長、関家一馬が代表取締役社長に就任
- 日経ビジネス 2003年7月7日号 関家憲一
- [3]93年には半導体の前工程で使う拡散炉の事業から撤退し、50億円もの開発費を捨てました。…新規参入を決めた時の社長だった創業者(父の関家三男)を含め、会社としての判断基準が曖昧だったからでしょう。…私が大学を卒業して、会社に入った頃は、月商1000万円、社員百数十人の中小企業でした。親父の跡を継いで社長となったのが85年。…96年から経営トップと若手幹部が一緒になって10人程度のチームを作り、企業のあらゆる価値観について原点に立ち返って議論を始めてみました。その結果を「ディスコ・バリューズ」という企業としての行動規範にまとめ上げ、カードにして社員に配布したのが97年
- 決断(Decide)1986年1月号(3巻10号、サバイバル出版)「ディスコ――国内95%世界80%のシェアを持つまで」
- [4]ディスコは、国内の95%、世界でも80%という、ほぼ独占的なシェアを誇る企業である。資本金19億円、売上高175億円(昭和60年1月期見込み)経常利益30億円強(同)、従業員600人余
在任の前半に抱えたのは、父の代に参入を決めた半導体前工程の熱処理炉であった。十年で約50億円を投じたこの開発は、製品としては成功したものの量産化に届かず、市場には既に強いメーカーが参入していた。関家憲一氏は「企業が苦しいときにこれを止めなければ、後が危ない」として開発を打ち切った。1993年3月には縦型酸化・拡散装置の事業から撤退することを決め、この事業を担った子会社ディスコハイテックを解散している。
- 日経ビジネス 2003年7月7日号 関家憲一
- [5]93年には半導体の前工程で使う拡散炉の事業から撤退し、50億円もの開発費を捨てました。…新規参入を決めた時の社長だった創業者(父の関家三男)を含め、会社としての判断基準が曖昧だったからでしょう。…私が大学を卒業して、会社に入った頃は、月商1000万円、社員百数十人の中小企業でした。親父の跡を継いで社長となったのが85年。…96年から経営トップと若手幹部が一緒になって10人程度のチームを作り、企業のあらゆる価値観について原点に立ち返って議論を始めてみました。その結果を「ディスコ・バリューズ」という企業としての行動規範にまとめ上げ、カードにして社員に配布したのが97年
- 商工ジャーナル 1995年6月号(21巻6号、商工中金経済研究所)関家憲一氏談話
- [6]十年間で約五十億円ほど投資してきた製品開発を止めるリストラをしました。それは、半導体製造の前工程業界に関係のある熱処理炉の開発だったのです。製品としては成功したのですが、事業としては軌道に乗らず、量産化ができないのですね。市場にはすでに強いメーカーが参入しており、企業が苦しいときにこれを止めなければ、後が危ないということで止めました。…基軸となる技術を中心に展開していくのがいちばん確かで、そのなかで大企業が手を出さないニッチを狙う…切ったものを磨くというふうに派生させて…バックグラインダー…その特殊なダイヤモンド砥石で磨くシステムも世界中の八割くらいで使っていただいています
- [7]十年間で約五十億円ほど投資してきた製品開発を止めるリストラをしました。それは、半導体製造の前工程業界に関係のある熱処理炉の開発だったのです。製品としては成功したのですが、事業としては軌道に乗らず、量産化ができないのですね。市場にはすでに強いメーカーが参入しており、企業が苦しいときにこれを止めなければ、後が危ないということで止めました。…基軸となる技術を中心に展開していくのがいちばん確かで、そのなかで大企業が手を出さないニッチを狙う…切ったものを磨くというふうに派生させて…バックグラインダー…その特殊なダイヤモンド砥石で磨くシステムも世界中の八割くらいで使っていただいています
- ディスコ 有価証券報告書(2005年3月期)【沿革】
- [8]昭和62年1月 株式会社ディスコ・サイヤー・ジャパンを当社100%子会社とし、株式会社ディスコ ハイテックに商号変更(平成5年3月、VDF(縦型酸化・拡散装置)事業から撤退することとし、解散)/平成元年10月 店頭売買銘柄としての登録承認を受け、株式を公開/平成11年12月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
撤退ののちは、基軸の技術の延長に事業を限り、大手の参入しない狭い市場に絞る方針をとった。切断の技術の派生としてウエハーの裏面を研削するグラインダに事業を広げ、1995年時点でその研削のシステムは世界の8割ほどで使われていた。関家憲一氏は2003年、拡散炉の失敗を「会社としての判断基準が曖昧だったからでしょう」と振り返っている。1996年から経営トップと若手幹部の10人程度のチームで価値観を議論し直し、1997年に行動規範のディスコ・バリューズとしてカードにまとめて社員に配った。
- 商工ジャーナル 1995年6月号(21巻6号、商工中金経済研究所)関家憲一氏談話
- [9]十年間で約五十億円ほど投資してきた製品開発を止めるリストラをしました。それは、半導体製造の前工程業界に関係のある熱処理炉の開発だったのです。製品としては成功したのですが、事業としては軌道に乗らず、量産化ができないのですね。市場にはすでに強いメーカーが参入しており、企業が苦しいときにこれを止めなければ、後が危ないということで止めました。…基軸となる技術を中心に展開していくのがいちばん確かで、そのなかで大企業が手を出さないニッチを狙う…切ったものを磨くというふうに派生させて…バックグラインダー…その特殊なダイヤモンド砥石で磨くシステムも世界中の八割くらいで使っていただいています
- [10]十年間で約五十億円ほど投資してきた製品開発を止めるリストラをしました。それは、半導体製造の前工程業界に関係のある熱処理炉の開発だったのです。製品としては成功したのですが、事業としては軌道に乗らず、量産化ができないのですね。市場にはすでに強いメーカーが参入しており、企業が苦しいときにこれを止めなければ、後が危ないということで止めました。…基軸となる技術を中心に展開していくのがいちばん確かで、そのなかで大企業が手を出さないニッチを狙う…切ったものを磨くというふうに派生させて…バックグラインダー…その特殊なダイヤモンド砥石で磨くシステムも世界中の八割くらいで使っていただいています
- 日経ビジネス 2003年7月7日号 関家憲一
- [11]93年には半導体の前工程で使う拡散炉の事業から撤退し、50億円もの開発費を捨てました。…新規参入を決めた時の社長だった創業者(父の関家三男)を含め、会社としての判断基準が曖昧だったからでしょう。…私が大学を卒業して、会社に入った頃は、月商1000万円、社員百数十人の中小企業でした。親父の跡を継いで社長となったのが85年。…96年から経営トップと若手幹部が一緒になって10人程度のチームを作り、企業のあらゆる価値観について原点に立ち返って議論を始めてみました。その結果を「ディスコ・バリューズ」という企業としての行動規範にまとめ上げ、カードにして社員に配布したのが97年
- [12]93年には半導体の前工程で使う拡散炉の事業から撤退し、50億円もの開発費を捨てました。…新規参入を決めた時の社長だった創業者(父の関家三男)を含め、会社としての判断基準が曖昧だったからでしょう。…私が大学を卒業して、会社に入った頃は、月商1000万円、社員百数十人の中小企業でした。親父の跡を継いで社長となったのが85年。…96年から経営トップと若手幹部が一緒になって10人程度のチームを作り、企業のあらゆる価値観について原点に立ち返って議論を始めてみました。その結果を「ディスコ・バリューズ」という企業としての行動規範にまとめ上げ、カードにして社員に配布したのが97年
在任中に会社の形も変わった。1989年10月に株式を店頭公開し、1999年12月に東京証券取引所市場第一部へ上場した。2000年3月期の連結売上高は512億円となり、うちダイシングソー・グラインダ・精密ダイヤモンド砥石を扱う電子産業向けが469億円を占めた。販売とサービスの拠点は12か国30か所に及んだ。同期の年次報告で関家憲一氏は、切断・研削・研磨の3つの技術で市場を広げる方針を掲げている。
- ディスコ 有価証券報告書(2005年3月期)【沿革】
- [13]昭和62年1月 株式会社ディスコ・サイヤー・ジャパンを当社100%子会社とし、株式会社ディスコ ハイテックに商号変更(平成5年3月、VDF(縦型酸化・拡散装置)事業から撤退することとし、解散)/平成元年10月 店頭売買銘柄としての登録承認を受け、株式を公開/平成11年12月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
- DISCO CORPORATION Annual Report 2000(2000年3月期)
- [14]net sales for the fiscal year under review increased 52.6% to ¥51,266 million … the Electronics Industry-related Products division, which handles our mainstay dicing saws, surface grinders, cutting saws and precision diamond wheels, recorded net sales of ¥46,998 million … a global network spanning 30 marketing and service bases in 12 countries … expand the market for our advanced "kiru," "kezuru" and "migaku" technologies. Kenichi Sekiya, Chairman, President and Chief Executive Officer
- [15]net sales for the fiscal year under review increased 52.6% to ¥51,266 million … the Electronics Industry-related Products division, which handles our mainstay dicing saws, surface grinders, cutting saws and precision diamond wheels, recorded net sales of ¥46,998 million … a global network spanning 30 marketing and service bases in 12 countries … expand the market for our advanced "kiru," "kezuru" and "migaku" technologies. Kenichi Sekiya, Chairman, President and Chief Executive Officer
- [16]net sales for the fiscal year under review increased 52.6% to ¥51,266 million … the Electronics Industry-related Products division, which handles our mainstay dicing saws, surface grinders, cutting saws and precision diamond wheels, recorded net sales of ¥46,998 million … a global network spanning 30 marketing and service bases in 12 countries … expand the market for our advanced "kiru," "kezuru" and "migaku" technologies. Kenichi Sekiya, Chairman, President and Chief Executive Officer
後継には一族の外から人を据えた。1998年に横浜ゴム出身の溝呂木斉氏が代表取締役副社長に就任し、2000年に関家臣二氏が代表取締役副会長を退任した。2001年に溝呂木斉氏が代表取締役社長に就任し、関家憲一氏は会長に移って2006年に代表取締役会長を退任して名誉会長となった。社長職は2009年に溝呂木斉氏から関家一馬氏へ引き継がれた。
- ディスコ 公式サイト「沿革」
- [17]1984年 関家憲一が代表取締役副社長に就任/1985年 関家三男が代表取締役を退任。それまでパートナーとして経営に当たっていた関家憲一と関家臣二がそれぞれ代表取締役社長と代表取締役副社長に就任。管理部門を憲一が、開発マーケッティング部門を臣二が担当する/1998年 溝呂木斉が代表取締役副社長に就任/2000年 関家臣二が代表取締役副会長を退任/2001年 溝呂木斉が代表取締役社長に就任/2006年 関家憲一が代表取締役会長を退任し、名誉会長に就任/2009年 溝呂木斉が代表取締役会長、関家一馬が代表取締役社長に就任
- [19]1984年 関家憲一が代表取締役副社長に就任/1985年 関家三男が代表取締役を退任。それまでパートナーとして経営に当たっていた関家憲一と関家臣二がそれぞれ代表取締役社長と代表取締役副社長に就任。管理部門を憲一が、開発マーケッティング部門を臣二が担当する/1998年 溝呂木斉が代表取締役副社長に就任/2000年 関家臣二が代表取締役副会長を退任/2001年 溝呂木斉が代表取締役社長に就任/2006年 関家憲一が代表取締役会長を退任し、名誉会長に就任/2009年 溝呂木斉が代表取締役会長、関家一馬が代表取締役社長に就任
- [20]1984年 関家憲一が代表取締役副社長に就任/1985年 関家三男が代表取締役を退任。それまでパートナーとして経営に当たっていた関家憲一と関家臣二がそれぞれ代表取締役社長と代表取締役副社長に就任。管理部門を憲一が、開発マーケッティング部門を臣二が担当する/1998年 溝呂木斉が代表取締役副社長に就任/2000年 関家臣二が代表取締役副会長を退任/2001年 溝呂木斉が代表取締役社長に就任/2006年 関家憲一が代表取締役会長を退任し、名誉会長に就任/2009年 溝呂木斉が代表取締役会長、関家一馬が代表取締役社長に就任
- ディスコ 有価証券報告書【役員の状況】(溝呂木斉)
- [18]1962年4月 横浜ゴム入社/1983年3月 ディスコ入社 営業企画部長
業績貢献
関家憲一氏:在任中の業績貢献
| 決算期 | 在任 | 売上高 | 前期比 | 営業利益率 | ROE | 主な施策 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1981年1月期 | 68億円 | +38.8% | — | — | ||
| 1988年3月期 | 150億円 | — | — | — | 独にDISCO DEUTSCHLAND GmbHを設立ディスコ技研を設立産業用ダイヤモンド工具事業に参入 | |
| 1989年3月期 | 150億円 | +0.0% | — | — | 桑畑工場用地約31,000坪を取得 | |
| 1990年3月期 | 160億円 | +6.7% | — | — | 日本証券業協会の店頭売買銘柄として株式公開 | |
| 1991年3月期 | 120億円 | ▲25.0% | — | — | DISCO HI-TEC EUROPE GmbHを100%子会社化、欧州本社をスイスから独に移転 | |
| 1992年3月期 | 130億円 | +8.3% | — | — | 半導体拡散炉事業から撤退、50億円の損失を確定オートマチックダイシングソー「DAD320」「DAD500シリーズ」を開発フルオートマチックダイシングソー「DFD640」「DFD620」を開発 | |
| 1995年3月期 | 250億円 | — | — | — | 賃金カット・残業規制・早期退職制度を導入ISO9002を精密ダイヤ製造部門で取得 | |
| 1996年3月期 | 316億円 | +26.4% | — | — | ISO9001をPS事業部で取得 | |
| 1997年3月期 | 377億円 | +19.3% | — | — | 中国サービス拠点として上海駐在員事務所を開設「Disco Values」を制定 | |
| 1998年3月期 | 406億円 | +7.7% | — | — | ISO14001を広島事業所で取得溝呂木斉氏が代表取締役副社長に就任300mmウェーハ対応のダイシングソーとグラインダを開発 | |
| 1999年3月期 | 335億円 | ▲17.5% | — | — | ||
| 2002年3月期 | 303億円 | — | — | — | ||
| 2003年3月期 | 371億円 | +22.4% | — | — | ||
| 2004年3月期 | 482億円 | +29.9% | — | — | ||
| 2005年3月期 | 603億円 | +25.1% | — | — | ||
| 2006年3月期 | 689億円 | +14.2% | 20.2% | 11.7% |
参考文献3件
参考文献
- ディスコ 公式サイト「沿革」
- DISCO CORPORATION Annual Report 2000(社長メッセージ署名「Kenichi Sekiya」)
- 日経ビジネス 2003年7月7日号「脱皮のススメ 良き企業文化が発展の道」関家憲一
事実根拠:出所(ディスコ)