横河ブリッジHDの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

工場の立地を、需要と輸送の条件に合わせて移し替えてきた会社である。1914年に東京・深川千田町へ月産400トン程度の東京工場を開設したが、輸送の立地が悪く敷地も狭かった。そこで株式会社に改組した翌年の1919年6月に芝浦の埋立地を取得し、1922年1月に新東京工場を稼働させて、大阪工場と同じ月産1,000トンの工場を東京にも持った。関東大震災の後は、復興局に数十橋を納めた。1930年代には東京・大阪両工場とも立地が将来の発展に不適とみて、横河民輔氏の出身地である兵庫県二見町に工場用地を買い入れた。満洲では1937年10月に満洲橋梁株式会社を設立した。

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