川村喜十郎
DIC・元大日本インキ製造 取締役社長
社長就任1937年2月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1908〜1958年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1908年主要役職の状況(推定含む目安)1958年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間企業 | |||||
| 民間企業 | 川村インキ製造所(1912年に川村喜十郎商店と改称) | 1908 | 設立 | ||
| 1912 | 屋号を川村喜十郎商店と改める | ||||
| DIC | 1937 | 社長 | |||
| 1958 | 死去 | ||||
| 日本染料薬品製造 | 1937 | 社長 | |||
社長就任までの出自
出自
群馬県渡良瀬村上早川田(現館林市)の野中家に生まれ、川村香代氏と結婚して川村姓となった。妻の生家がある栃木県の吾妻村(現佐野市)で小作米の管理などを務めていたが、1907年秋に妻と2歳の長男を伴って上京した。印刷インキについては素人で、製造の技術は同郷の職人である田村清八氏に委ねた。開業後は半日を製造の手伝いに、残る半日を売り込みと集金に充てた。技術ではなく、資本と販売を受け持つ商人として事業を起こした創業者とみられる。
創業ストーリー
創業ストーリー
業績貢献
川村喜十郎氏:在任中の業績貢献
社長としての後半の施策は、戦災からの再建と資金の調達、合成樹脂への参入である。1945年3月の空襲で本所の工場を失うと、無傷の志村工場に印刷インキの生産を集め、同年8月19日に生産の再開を宣言した。1950年5月には印刷インキ業界の先頭を切って株式を東京証券取引所に上場した。1952年には米ライヒホールド・ケミカルズとの合弁で日本ライヒホールド化学工業を設け、インキの原料を天然油脂から合成樹脂へ切り替えた。
売上高:1953年3月期〜1962年3月期
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営業利益率:1953年3月期〜1962年3月期
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| 決算期 | 在任 | 売上高 | 前期比 | 営業利益率 | ROE | 主な施策 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1953年3月期 | 12億円 | — | 13.5% | — | ||
| 1954年3月期 | 18億円 | +50.2% | 12.7% | — | 米Sun Chemical社と技術提携契約を締結 | |
| 1955年3月期 | 20億円 | +13.4% | 11.5% | — | ||
| 1956年3月期 | 29億円 | +46.2% | 10.5% | — | ||
| 1957年3月期 | 40億円 | +34.9% | 11.1% | — | ||
| 1958年3月期 | 49億円 | +22.9% | 8.9% | — | ||
| 1959年3月期 | 63億円 | +29.3% | 9.5% | — | ||
| 1960年3月期 | 89億円 | +41.3% | 7.9% | — | ||
| 1961年3月期 | 119億円 | +33.7% | — | — | ||
| 1962年3月期 | 157億円 | +31.9% | — | — |
参考文献3件
参考文献
- 六十年史(大日本インキ化学工業, 1969)第一章「川村喜十郎の上京」「川村インキ製造所創業」「手をそめたインキ事業」「いばらの道」
- 六十年史(大日本インキ化学工業, 1969)「日染薬、大日本インキ製造の創立」「印刷インキに捧げた全生涯―川村喜十郎社長の逝去」
- 『私の履歴書 経済人20』(日本経済新聞社, 1986)川村勝巳「私の履歴書」
事実根拠:出所(DIC)