第1章 年〜年

持田製薬:持田商会薬局の開業と日本初の卵胞ホルモン剤ペラニン

1913年〜本郷に開いた持田商会薬局と、王子に建てた持田製薬所

創業者の持田良吉氏は1913年2月、東京・本郷に持田商会薬局を開業した。同年には駆梅剤ルエスチンと眼軟膏オゴコを自ら製造し、販売も始めた。当時の日本で使われた薬は漢方薬が中心で、洋薬はドイツ製の輸入品が主体。国内で新薬を本格的に製造していたのは、オリザニンとアドレナリンをつくる三共製薬くらいだった。社長の持田信夫氏は1979年、アンプルも充塡の機械も無く、滅菌の方法すら分からない状態から注射薬の製造に取り組んだと振り返った。持田信夫氏はさらに、同業の多くは薬種商から出ており、創業の時点で洋薬の製造に取り組んだのは三共と持田の2社に限られたとも述べた。輸入品に代わる国産の新薬に需要があると見込み、薬局の開業と同時に製造へ踏み出したとみられる。

  • 持田製薬 有価証券報告書(2016年)【沿革】
    • [1]大正2年2月 持田良吉が持田商会薬局を東京・本郷に開業
  • 持田製薬 Annual Report 2007「Highlights of Our Growth」
    • [2]1913年 持田良吉が創業、駆梅剤ルエスチンと眼軟膏オゴコの製造・販売を開始
  • 証券アナリストジャーナル 12(3) 1974年(持田信夫講演要旨)
    • [3]1913年(大正2年)創業。当時の医薬品はほぼ漢方薬で、西洋医薬品はおもにドイツから輸入、国内に本格的な製造工場は無く、三共が高峰譲吉のオリザニン・アドレナリンを製造していた(持田信夫講演)
    • [4]1913年(大正2年)創業。当時の医薬品はほぼ漢方薬で、西洋医薬品はおもにドイツから輸入、国内に本格的な製造工場は無く、三共が高峰譲吉のオリザニン・アドレナリンを製造していた(持田信夫講演)
  • 野田経済 1320号 1979年2月(持田信夫社長インタビュー)
    • [5]持田信夫社長談:父の代、薬は漢方以外は全部ドイツから輸入。アンプルも充填機も無く滅菌法も分からない中で医薬品をつくった。初めから西洋医薬品を手がけたのは三共と持田だけ
    • [6]持田信夫社長談:父の代、薬は漢方以外は全部ドイツから輸入。アンプルも充填機も無く滅菌法も分からない中で医薬品をつくった。初めから西洋医薬品を手がけたのは三共と持田だけ

持田良吉氏は1918年2月、東京・王子に持田製薬所を開設し、医薬品の本格的な製造に移った。2007年の年次報告書は、この1918年を屋号を改めた年として記した。のちの大手製薬会社の多くは、当時まだ販売部門だけで製造を始めていなかった。創業期の製品は、水銀系の化学療法剤や止血剤の注射薬。取締役の持田勝郎氏は1963年、それらがドイツからの輸入品より品質で上回り、売れ行きも良かったと語った。持田信夫氏は1974年の講演で、王子の工場を会社の基礎と位置づけた。注射薬の需要が薬局の奥での製造では賄えない規模に達し、専用の製造所が要ったと推察される。

  • 持田製薬 有価証券報告書(2016年)【沿革】
    • [7]大正7年2月 持田製薬所(旧王子事業所)を開設し、本格的に医薬品製造を開始
  • 持田製薬 Annual Report 2007「Highlights of Our Growth」
    • [8]1918年 Mochida Pharmaceutical Company に改称
  • 証券アナリストジャーナル 12(3) 1974年(持田信夫講演要旨)
    • [9]大正7年に王子に工場を設立し、これが会社の基礎となった(当時の製品は化学療法剤の範疇の製剤)。当時は大手各社もほとんど販売部門のみで製造は始めていなかった
    • [12]大正7年に王子に工場を設立し、これが会社の基礎となった(当時の製品は化学療法剤の範疇の製剤)。当時は大手各社もほとんど販売部門のみで製造は始めていなかった
  • 証券時報 279号 1963年6月「持田製薬」(持田勝郎取締役の談話)
    • [10]持田勝郎取締役談:大正2年以来、水銀性の化学療法剤・止血剤などの注射薬を製造し、当時ドイツから輸入された薬より優れ、よく売れた
    • [11]持田勝郎取締役談:大正2年以来、水銀性の化学療法剤・止血剤などの注射薬を製造し、当時ドイツから輸入された薬より優れ、よく売れた
参考文献[1]-[12]
  • 持田製薬 有価証券報告書(2016年)【沿革】
    • [1]大正2年2月 持田良吉が持田商会薬局を東京・本郷に開業
    • [7]大正7年2月 持田製薬所(旧王子事業所)を開設し、本格的に医薬品製造を開始
  • 持田製薬 Annual Report 2007「Highlights of Our Growth」
    • [2]1913年 持田良吉が創業、駆梅剤ルエスチンと眼軟膏オゴコの製造・販売を開始
    • [8]1918年 Mochida Pharmaceutical Company に改称
  • 証券アナリストジャーナル 12(3) 1974年(持田信夫講演要旨)
    • [3]1913年(大正2年)創業。当時の医薬品はほぼ漢方薬で、西洋医薬品はおもにドイツから輸入、国内に本格的な製造工場は無く、三共が高峰譲吉のオリザニン・アドレナリンを製造していた(持田信夫講演)
    • [4]1913年(大正2年)創業。当時の医薬品はほぼ漢方薬で、西洋医薬品はおもにドイツから輸入、国内に本格的な製造工場は無く、三共が高峰譲吉のオリザニン・アドレナリンを製造していた(持田信夫講演)
    • [9]大正7年に王子に工場を設立し、これが会社の基礎となった(当時の製品は化学療法剤の範疇の製剤)。当時は大手各社もほとんど販売部門のみで製造は始めていなかった
    • [12]大正7年に王子に工場を設立し、これが会社の基礎となった(当時の製品は化学療法剤の範疇の製剤)。当時は大手各社もほとんど販売部門のみで製造は始めていなかった
  • 野田経済 1320号 1979年2月(持田信夫社長インタビュー)
    • [5]持田信夫社長談:父の代、薬は漢方以外は全部ドイツから輸入。アンプルも充填機も無く滅菌法も分からない中で医薬品をつくった。初めから西洋医薬品を手がけたのは三共と持田だけ
    • [6]持田信夫社長談:父の代、薬は漢方以外は全部ドイツから輸入。アンプルも充填機も無く滅菌法も分からない中で医薬品をつくった。初めから西洋医薬品を手がけたのは三共と持田だけ
  • 証券時報 279号 1963年6月「持田製薬」(持田勝郎取締役の談話)
    • [10]持田勝郎取締役談:大正2年以来、水銀性の化学療法剤・止血剤などの注射薬を製造し、当時ドイツから輸入された薬より優れ、よく売れた
    • [11]持田勝郎取締役談:大正2年以来、水銀性の化学療法剤・止血剤などの注射薬を製造し、当時ドイツから輸入された薬より優れ、よく売れた

1925年〜輸入品に代わる臓器薬トロンブリンと、日本初の卵胞ホルモン剤ペラニン

持田製薬所は1929年、王子工場で止血薬トロンブリンの製造を始めた。1974年の講演はこれを新しい分野への進出と位置づけ、製造開始を1925年としている。トロンブリンは牛や豚の肝臓・腎臓などの臓器から成分を化学的に取り出した臓器薬にあたる。当時の臓器薬はほとんどがドイツからの輸入品で、トロンブリンは国産品として高い評価を得た。同じ1929年には、脾臓を原料とする利尿剤ホルネフリンも出した。1963年の上場時の紹介記事は、脾臓製止血剤の製品化を持田製薬所が業界に先んじた実績の1つに数えた。化学療法剤の注射薬で培った製剤の技術を、輸入品が占める臓器薬の国産化に振り向けたのだろう。

  • 政経人 27(10) 1980年10月「《中堅企業》常に先見的独創と研究の持田製薬」
    • [13]昭和4年 脾臓製止血剤トロンブリン・脾臓製利尿剤ホルネフリン、昭和5年 天然卵胞ホルモン製剤ペラニン
    • [17]昭和4年 脾臓製止血剤トロンブリン・脾臓製利尿剤ホルネフリン、昭和5年 天然卵胞ホルモン製剤ペラニン
  • 証券アナリストジャーナル 12(3) 1974年(持田信夫講演要旨)
    • [14]大正14年に王子工場で止血薬トロンブリンの製造を開始。牛・豚の肺臓・心臓・腎臓・肝臓から化学的に抽出した臓器薬で、当時はほとんどドイツから輸入、トロンブリンは非常に好評
    • [15]大正14年に王子工場で止血薬トロンブリンの製造を開始。牛・豚の肺臓・心臓・腎臓・肝臓から化学的に抽出した臓器薬で、当時はほとんどドイツから輸入、トロンブリンは非常に好評
    • [16]大正14年に王子工場で止血薬トロンブリンの製造を開始。牛・豚の肺臓・心臓・腎臓・肝臓から化学的に抽出した臓器薬で、当時はほとんどドイツから輸入、トロンブリンは非常に好評
  • 証券 15(6) 1963年(新規上場会社紹介)
    • [18]持田製薬所以来、脾臓製止血剤の製品化と天然卵胞ホルモン製剤ペラニンの開発などで性ホルモン剤の分野で業界の先鞭をつけた

持田製薬所は1930年、天然卵胞ホルモン製剤ペラニンを日本初の女性ホルモン剤として製品化した。製品化の年は1974年の講演と1980年の記事が1930年、1963年と1979年の談話が1931年とする。原料は妊馬の尿で、そこから取り出したのはエストロンという発情物質。エストロンはドイツのゾンデック博士が1928年に発見し、更年期の症状や月経不順に効くと分かっていた。持田信夫氏によれば、当時は医師ですら動物由来のホルモンが人に効くとは考えず、同一成分と示すことで処方が徐々に広がった。続く男性ホルモンや黄体ホルモンの製剤で、持田はホルモン領域の専門メーカーとなった。販売は1948年まで塩野義製薬や中滝製薬に委ねており、経営資源を研究と製造に集中したと思われる。

  • 証券アナリストジャーナル 12(3) 1974年(持田信夫講演要旨)
    • [19]昭和5年、日本で初めて女性ホルモンの製品化に成功。妊娠した馬の尿から抽出したエストロン(ゾンデック博士が昭和3年に発見)で更年期・月経不順に効く。続いて男性・黄体ホルモンを開発しホルモン領域の専門メーカーに。昭和23年まで販売は主に塩野義製薬・中滝製薬を通した
    • [22]昭和5年、日本で初めて女性ホルモンの製品化に成功。妊娠した馬の尿から抽出したエストロン(ゾンデック博士が昭和3年に発見)で更年期・月経不順に効く。続いて男性・黄体ホルモンを開発しホルモン領域の専門メーカーに。昭和23年まで販売は主に塩野義製薬・中滝製薬を通した
    • [23]昭和5年、日本で初めて女性ホルモンの製品化に成功。妊娠した馬の尿から抽出したエストロン(ゾンデック博士が昭和3年に発見)で更年期・月経不順に効く。続いて男性・黄体ホルモンを開発しホルモン領域の専門メーカーに。昭和23年まで販売は主に塩野義製薬・中滝製薬を通した
    • [25]昭和5年、日本で初めて女性ホルモンの製品化に成功。妊娠した馬の尿から抽出したエストロン(ゾンデック博士が昭和3年に発見)で更年期・月経不順に効く。続いて男性・黄体ホルモンを開発しホルモン領域の専門メーカーに。昭和23年まで販売は主に塩野義製薬・中滝製薬を通した
  • 政経人 27(10) 1980年10月「《中堅企業》常に先見的独創と研究の持田製薬」
    • [20]昭和4年の脾臓製止血剤トロンブリン・脾臓製利尿剤ホルネフリンに続き、昭和5年に天然卵胞ホルモン製剤ペラニン
  • 証券時報 279号 1963年6月「持田製薬」(持田勝郎取締役の談話)
    • [21]持田勝郎取締役談:昭和6年に日本で最初の女性ホルモンを完成。以来、男性・女性・黄体ホルモンの分野で業界の先頭
  • 野田経済 1320号 1979年2月(持田信夫社長インタビュー)
    • [24]持田信夫社長談:女性ホルモン製造は当社が一番早い。昭和6年ごろ、医者は動物由来のホルモンが人間に効くはずがないと言ったが、同じ成分ということで徐々に普及した
参考文献[13]-[25]
  • 政経人 27(10) 1980年10月「《中堅企業》常に先見的独創と研究の持田製薬」
    • [13]昭和4年 脾臓製止血剤トロンブリン・脾臓製利尿剤ホルネフリン、昭和5年 天然卵胞ホルモン製剤ペラニン
    • [17]昭和4年 脾臓製止血剤トロンブリン・脾臓製利尿剤ホルネフリン、昭和5年 天然卵胞ホルモン製剤ペラニン
    • [20]昭和4年の脾臓製止血剤トロンブリン・脾臓製利尿剤ホルネフリンに続き、昭和5年に天然卵胞ホルモン製剤ペラニン
  • 証券アナリストジャーナル 12(3) 1974年(持田信夫講演要旨)
    • [14]大正14年に王子工場で止血薬トロンブリンの製造を開始。牛・豚の肺臓・心臓・腎臓・肝臓から化学的に抽出した臓器薬で、当時はほとんどドイツから輸入、トロンブリンは非常に好評
    • [15]大正14年に王子工場で止血薬トロンブリンの製造を開始。牛・豚の肺臓・心臓・腎臓・肝臓から化学的に抽出した臓器薬で、当時はほとんどドイツから輸入、トロンブリンは非常に好評
    • [16]大正14年に王子工場で止血薬トロンブリンの製造を開始。牛・豚の肺臓・心臓・腎臓・肝臓から化学的に抽出した臓器薬で、当時はほとんどドイツから輸入、トロンブリンは非常に好評
    • [19]昭和5年、日本で初めて女性ホルモンの製品化に成功。妊娠した馬の尿から抽出したエストロン(ゾンデック博士が昭和3年に発見)で更年期・月経不順に効く。続いて男性・黄体ホルモンを開発しホルモン領域の専門メーカーに。昭和23年まで販売は主に塩野義製薬・中滝製薬を通した
    • [22]昭和5年、日本で初めて女性ホルモンの製品化に成功。妊娠した馬の尿から抽出したエストロン(ゾンデック博士が昭和3年に発見)で更年期・月経不順に効く。続いて男性・黄体ホルモンを開発しホルモン領域の専門メーカーに。昭和23年まで販売は主に塩野義製薬・中滝製薬を通した
    • [23]昭和5年、日本で初めて女性ホルモンの製品化に成功。妊娠した馬の尿から抽出したエストロン(ゾンデック博士が昭和3年に発見)で更年期・月経不順に効く。続いて男性・黄体ホルモンを開発しホルモン領域の専門メーカーに。昭和23年まで販売は主に塩野義製薬・中滝製薬を通した
    • [25]昭和5年、日本で初めて女性ホルモンの製品化に成功。妊娠した馬の尿から抽出したエストロン(ゾンデック博士が昭和3年に発見)で更年期・月経不順に効く。続いて男性・黄体ホルモンを開発しホルモン領域の専門メーカーに。昭和23年まで販売は主に塩野義製薬・中滝製薬を通した
  • 証券 15(6) 1963年(新規上場会社紹介)
    • [18]持田製薬所以来、脾臓製止血剤の製品化と天然卵胞ホルモン製剤ペラニンの開発などで性ホルモン剤の分野で業界の先鞭をつけた
  • 証券時報 279号 1963年6月「持田製薬」(持田勝郎取締役の談話)
    • [21]持田勝郎取締役談:昭和6年に日本で最初の女性ホルモンを完成。以来、男性・女性・黄体ホルモンの分野で業界の先頭
  • 野田経済 1320号 1979年2月(持田信夫社長インタビュー)
    • [24]持田信夫社長談:女性ホルモン製造は当社が一番早い。昭和6年ごろ、医者は動物由来のホルモンが人間に効くはずがないと言ったが、同じ成分ということで徐々に普及した

出典・参考

7件
出典・参考
  • 持田製薬 有価証券報告書(2016年)【沿革】
  • 証券時報 279号 1963年6月「持田製薬」(持田勝郎取締役の談話)
  • 証券アナリストジャーナル 12(3) 1974年(持田信夫講演要旨)
  • 野田経済 1320号 1979年2月(持田信夫社長インタビュー)
  • 証券 15(6) 1963年(新規上場会社紹介)
  • 政経人 27(10) 1980年10月「《中堅企業》常に先見的独創と研究の持田製薬」
  • 持田製薬 Annual Report 2007「Highlights of Our Growth」

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