鳥井信治郎
サントリービバレッジ&フード・元社長
社長就任1921年12月
生年月日—
学歴大阪商業学校
出自—
経歴1892〜1961年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1892年主要役職の状況(推定含む目安)1962年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 小西儀助商店 | 1892 | 入店 | ||
| 寿屋(現サントリーホールディングス) | 1899 | 創業 | |||
| 1921 | 設立 社長 | ||||
| 1961 | 社長 退任(取締役会長へ) | ||||
| 1961 | 取締役会長 |
社長就任までの出自
社長に選ばれた経緯
抜擢
1921年12月1日に株式会社寿屋を設立し、その社長に就任した。これに先立つ1912年、西川定義氏との共同経営を解いて店を東区住吉町へ移していた。1919年には大阪・築港の工場が赤玉ポートワインの専用工場となり、主力品の量産体制が整っていた。山崎工場の竣工当時の組織では、代表取締役社長の鳥井信治郎氏の下に、取締役として兄の鳥井喜蔵氏らが名を連ねた。赤玉の利益を、回収に年数のかかるウイスキーへ充当する組織として株式会社を選んだとみられる。
在任中の主な施策
施策
1929年4月、山崎の原酒で造った初の本格ウイスキーであるサントリーウイスキー白札を発売したが販売は伸びず、1931年にはウイスキーの仕込みを止めた。売れずに貯蔵庫に残った原酒が熟成し、1937年末に角瓶を、1940年11月にオールドを発売した。1945年の空襲で住吉町の本社と大阪工場を失った一方、山崎の原酒は横穴に保管されて残った。戦後はトリスウイスキーが販売を伸ばし、1958年の販売数量は84万ケースに達した。1961年5月30日、次男の佐治敬三氏を社長に推し、取締役会長に就任した。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献5件
参考文献
- サントリーの70年1 やってみなはれ(1969)「やってみなはれ 戦前編」山口瞳
- サントリーの70年1 やってみなはれ(1969)「やってみなはれ 戦後編」開高健
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955)「壽屋」
- 社会人 74号(1955年6月)「寿屋社長 鳥井信治郎伝」岡田文夫
- サントリー食品インターナショナル 有価証券報告書 第17期(2025年12月期)【沿革】
事実根拠:出所(サントリービバレッジ&フード)