昭和産業の歴史
沿革
1936年に設立され、1938年に昭和製粉などを合併した会社が起源。
1957年に家庭用「昭和のホットケーキの素」、1961年に「昭和即席天ぷら粉」を発売し、家庭の粉ものを手軽にした。小麦粉・油脂・糖化製品を手がける穀物の加工メーカーで、2025年3月期の売上高は3,344億円。
創業期
1936年〜昭和産業の設立と日本加里工業など3社の吸収合併
- 赤塚工場(後の水戸工場)が竣工し小麦粉・食用油の製造を開始[1]
- 昭和産業を設立[2]
- 鶴見工場を新設[2]
- 上尾工場が竣工し飴の製造を開始[1]
- 関西工場を新設[2]
- 一之宮工場が竣工し大豆たん白繊維の製造を開始[1]
- 大豆蛋白からの人造繊維の製造方法で特許登録[1]
- 日本加里工業・日本肥料・昭和製粉を吸収合併[2]
- 初代社長の伊藤英夫氏が逝去[1]
売上高
- 売上高
昭和産業売上高—
成長期
1948年〜ぶどう糖事業への参入と家庭用天ぷら粉の発売
- ぶどう糖の製造販売を開始[2]
- 東京証券取引所市場第一部に上場[2]
- 本店を東京都千代田区に移転[2]
- 赤塚工場で肥料の製造を本格的に開始[1]
- 精麦事業を廃止[2]
- 松本浩三氏が4代目社長に就任[1]
- 業務用「結晶ぶどう糖」を発売[1]
- 家庭用「昭和のホットケーキの素」を発売[1]
- 家庭用「昭和の王冠マルニ印」スパゲッティ・マカロニを発売[1]
- ロサンゼルスで家庭用天ぷら粉を発売[1]
- マカロニ・スパゲッティなどの製造で昭産食品を設立[1]
- 家庭用天ぷら粉「昭和即席天ぷら粉」を発売[1]
- 大阪証券取引所市場第一部に上場[2]
- 船橋新工場を新設[2]
- 船橋工場(製粉)の移転で船橋食品コンビナートが完成[1]
- 内原畜産試験場(後の飼料技術センター)を開設[1]
- 総合研究所を開設[1]
- 神戸工場を新設[2]
- 大豆蛋白食品「昭和フレッシュ」を発売[1]
- 神戸工場(製粉)の竣工で神戸食品コンビナートが完成[1]
売上高
- 売上高
昭和産業売上高—
成長期
1973年〜鹿島工場の新設と不動産賃貸事業の本格化
- 本社現社屋が竣工[1]
- 不動産賃貸事業を本格化[2]
- 鹿島工場を新設[2]
- 鹿島工場(飼料)が竣工[1]
- 敷島スターチに資本参加[2]
- 鶴見工場(大豆たん白)が竣工[1]
- 鹿島工場(コーンスターチ・ぶどう糖)が竣工[1]
- 米国ピルスベリー社と提携しプレミックスの技術を導入[1]
- 家庭用高級天ぷら粉「天ぷら粉黄金」を発売[1]
- 九州昭和産業を設立[2]
- フランス・ファリーヌ社と提携し業務用欧風パンプレミックスを発売[1]
- ショッピングセンター「ショーサンプラザ」が竣工[1]
- 米国オレゴン州にグランパック・フーズを設立[1]
- 食品開発センターを開設[1]
- 神港製粉を吸収合併[2]
- 鹿島工場(製粉)が竣工[1]
- 新潟エリート食品を設立[2]
- 特定保健用食品「オリゴタイム」を発売[1]
- 総合研究所バイオ研究センターを開設[1]
- 中国に合弁会社の大成昭和食品(天津)を設立[1]
売上高
- 売上高
昭和産業売上高—
成熟期
2005年〜奥本製粉・ボーソー油脂などへの資本参加によるグループ拡大
- 家庭用「ケーキのようなホットケーキミックス」を発売[1]
- スウィングベーカリーを設立[2]
- 新日本化学工業と資本業務提携[1]
- 奥本製粉に資本参加[2]
- 「レンジでチンするから揚げ粉 しょうゆ味」を発売[3]
- 大成昭和食品(天津)の工場が竣工[1]
- 食品開発センターを商品開発センターに名称変更[1]
- 企業ブランドメッセージ「穀物ソリューション・カンパニー」を発表[1]
- セントラル製粉に資本参加[2]
- 研究開発の統合施設「RD&Eセンター」を新設[4]
- 機能性表示食品「大麦粉のホットケーキミックス」を発売[1]
- 台湾の大成集団と業務提携[1]
- ベトナムにShowa Sangyo Vietnamを設立[1]
- ガーデンベーカリーに資本参加[2]
- ボーソー油脂に資本参加[2]
- サンエイ糖化に資本参加[5]
- プライム市場に移行[2]
- 辻製油と資本業務提携[1]
- Showa Sangyo International Vietnamを設立[2]
- 新妻一彦氏が代表取締役会長を退任[6]