第1章 年〜年

積水ハウス:積水ハウス産業の設立と東証・大証二部上場

1960年〜沈没寸前の船を引き受けた田鍋健社長の高級化路線

1960年8月、積水化学工業のハウス事業部を母体として積水ハウス産業が資本金1億円で発足し、初代社長には積水化学工業社長の上野次郎男氏が兼任で就任した。プレハブ住宅の事業化を狙ったが、当時のプレハブは在来工法より割高で内容も見劣りし、売上高は1961年7月期2億6000万円、1963年12億4000万円と伸び悩んだ。1961年の業界解説がプレハブの急成長企業として挙げたのは大和ハウス工業と永大産業であり、発足3年で累積赤字9000万円、不良資産を含めれば実質2億円近い赤字を抱えて社員も意欲を失っていた。1963年6月、積水化学工業専務から転じた田鍋健氏が社長に就任し、『この会社は沈没寸前の船と同じや。しかし私は船長としてこの船と運命を共にする覚悟だ』(田鍋健氏、日経新聞"私の履歴書")と宣言し、出向社員に積水化学への帰任か、退職金を受け取っての移籍かを選ばせ、従業員の結束を固めた。

  • 積水ハウス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1960年8月 積水ハウス産業が発足
    • [3]発足時の資本金 1億円
  • 『日本会社史総覧, 1995, 東洋経済新報社』(1995年)
    • [2]積水化学工業のハウス事業部が母体
  • 日本会社史総覧(1995年、東洋経済新報社)「積水ハウス」の項
    • [4]初代社長は積水化学工業社長の上野次郎男が兼任
    • [5]当時のプレハブは在来工法より割高で内容も劣った
    • [6]売上高 1961年7月期2億6000万円・1963年12億4000万円
    • [10]1963年6月 積水化学工業専務の田鍋健が社長に就任
  • プラスチック材料読本(1961年)
    • [7]1961年時点でプレハブの急成長企業とされたのは大和ハウス工業と永大産業
  • 日本経済新聞「私の履歴書」田鍋健(1985年10月連載、『私の履歴書 経済人23』日本経済新聞社, 1987 所収)
    • [8]発足3年で累積赤字9000万円
    • [9]不良資産を含めれば実質2億円近い赤字
    • [11]積水ハウス社長の田鍋健氏による就任時の発言
    • [12]出向社員に積水化学への帰任か移籍かを選ばせた

1963年10月、田鍋健社長は社名を積水ハウスへ改め、販売と施工を自社社員が担う直接販売・責任施工方式へ切り替えた。代理店は兼業のため商品の消化に熱が入らず、自社の建築技術やシステムを理解している先も少ないという判断からで、同業他社は販売コストが高くなるとしてこの方式を敬遠した。同時に独身者向け2階建ての"2D型"、エコノミータイプの"E型"、デラックスタイプの"F型"を相次いで発売し、F型で"プレハブは安物"という当時のイメージを覆した。改革は数字に表れ、1964年に単年度黒字化を達成し、翌65年には累積赤字を一掃して初配当に踏み切った。1970年8月に東京・大阪証券取引所市場第二部へ株式を上場し、翌71年6月には第一部へ指定替えとなって、証券市場から資金を調達できるようになった。

  • 積水ハウス 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1963年10月 社名を積水ハウスへ変更
    • [21]1970年8月 東京・大阪証券取引所市場第二部へ上場
    • [22]1971年6月 市場第一部へ指定替え
  • 証券アナリストジャーナル 1972年10月号
    • [14]直接販売・責任施工方式への切り替え
    • [15]代理店販売をやめた理由(兼業で消化が進まず建築技術の理解も乏しい)
  • 実業の世界 1972年10月号
    • [16]同業他社は販売コスト増を理由に直販を敬遠
  • 日本会社史総覧(1995年、東洋経済新報社)「積水ハウス」の項
    • [17]2D型・E型・F型の相次ぐ発売
    • [18]F型が「プレハブは安物」のイメージを払拭
    • [19]1964年 単年度黒字化を達成
    • [20]1965年 累積赤字を一掃し初配当

成長を支えたのは、セールスマンを地域に固定して人的関係を深める営業体制だった。住宅産業のシェアはプレハブ全体で1割にとどまり、65%を地元の工務店が握っていたため、長期間ひとつの地域を担当させる必要があった。営業所は物流・建設工事・中古住宅の買い入れまで統括する地域拠点でもあり、1977年末に57カ所だった営業所は1年で67カ所へ増えた。生産面では工場を全国3カ所に集約し、各工場が月産300戸という規模で稼働した。資材はクギ1本に至るまで大量買い付けへ切り替え、『うちのプレハブ住宅で会社の指定外品はガスと水道、電気の資材だけ』と田鍋健社長が語る水準まで統一した。直販は競合を見た策ではなく、『住宅という大事な商品を売るのに人まかせにはできん、という私の哲学に従って直販にしたんや』(田鍋健氏、オール大衆 1976/06)という判断から出た方式である。

  • 日経ビジネス 1979年3月19日号
    • [23]セールスマンを地域に固定する営業体制
    • [24]プレハブは住宅産業の1割・地元工務店が65%
    • [25]営業所は物流・建設工事・中古住宅買い入れの地域拠点
    • [26]営業所は1977年末の57カ所から67カ所へ増加
    • [27]工場は全国3カ所・各工場月産300戸
    • [28]クギ1本に至るまでの大量買い付け
    • [29]積水ハウス社長の田鍋健氏による発言
  • オール大衆 1976年6月号
    • [30]積水ハウス社長の田鍋健氏による直販の動機に関する発言
参考文献[1]-[30]
  • 積水ハウス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1960年8月 積水ハウス産業が発足
    • [3]発足時の資本金 1億円
    • [13]1963年10月 社名を積水ハウスへ変更
    • [21]1970年8月 東京・大阪証券取引所市場第二部へ上場
    • [22]1971年6月 市場第一部へ指定替え
  • 『日本会社史総覧, 1995, 東洋経済新報社』(1995年)
    • [2]積水化学工業のハウス事業部が母体
  • 日本会社史総覧(1995年、東洋経済新報社)「積水ハウス」の項
    • [4]初代社長は積水化学工業社長の上野次郎男が兼任
    • [5]当時のプレハブは在来工法より割高で内容も劣った
    • [6]売上高 1961年7月期2億6000万円・1963年12億4000万円
    • [10]1963年6月 積水化学工業専務の田鍋健が社長に就任
    • [17]2D型・E型・F型の相次ぐ発売
    • [18]F型が「プレハブは安物」のイメージを払拭
    • [19]1964年 単年度黒字化を達成
    • [20]1965年 累積赤字を一掃し初配当
  • プラスチック材料読本(1961年)
    • [7]1961年時点でプレハブの急成長企業とされたのは大和ハウス工業と永大産業
  • 日本経済新聞「私の履歴書」田鍋健(1985年10月連載、『私の履歴書 経済人23』日本経済新聞社, 1987 所収)
    • [8]発足3年で累積赤字9000万円
    • [9]不良資産を含めれば実質2億円近い赤字
    • [11]積水ハウス社長の田鍋健氏による就任時の発言
    • [12]出向社員に積水化学への帰任か移籍かを選ばせた
    • [14]直接販売・責任施工方式への切り替え
    • [15]代理店販売をやめた理由(兼業で消化が進まず建築技術の理解も乏しい)
    • [16]同業他社は販売コスト増を理由に直販を敬遠
  • 日経ビジネス 1979年3月19日号
    • [23]セールスマンを地域に固定する営業体制
    • [24]プレハブは住宅産業の1割・地元工務店が65%
    • [25]営業所は物流・建設工事・中古住宅買い入れの地域拠点
    • [26]営業所は1977年末の57カ所から67カ所へ増加
    • [27]工場は全国3カ所・各工場月産300戸
    • [28]クギ1本に至るまでの大量買い付け
    • [29]積水ハウス社長の田鍋健氏による発言
  • オール大衆 1976年6月号
    • [30]積水ハウス社長の田鍋健氏による直販の動機に関する発言

1973年〜需要は待つな、創れ ── 自社ローンと売り建て方式

プレハブ住宅の建設戸数は1973年に20万戸台で頂点に達したが、1973年11月の石油危機を境に減り、1975年には15万戸まで落ち込んだ。カネボウや大林ハウジングのように高度成長の終わり近くに入ってきた会社が撤退や戦線の縮小に追い込まれる一方で、積水ハウスの受注はむしろ増えた。住宅ローンが金融の引き締めで細ると、同社は銀行と組んだ提携ローンとは別に、業界で初めてとなる自前のローンを設けた。資金の調達先も地方銀行・相互銀行から信用金庫にまで広げ、株式市場からは時価発行の増資で集めた。住宅資材が軒並み暴騰しても値上げは15%にとどめ、これは同業平均30%の半分にあたる。見直しを求める役員には『資材価格はすぐに落ち着くから、今の価格で十分もうかるんや』と言って応じなかった。値段が安いうえにローンも付くという条件に受注が集まり、大和ハウス工業をはじめとする他社を大きく引き離した。

  • 日経ビジネス 1979年3月19日号
    • [31]プレハブ住宅の建設戸数 1973年ピーク20万戸台→1975年15万戸
    • [32]カネボウ・大林ハウジングの撤退・戦線縮小
    • [33]石油危機下でも受注を拡大
    • [34]業界初の自社ローンの創設
    • [35]資金調達を地方銀行・相互銀行・信用金庫へ拡大し時価発行増資も実施
    • [36]値上げ幅15%(同業平均30%の半分)
    • [37]積水ハウス社長の田鍋健氏による発言
    • [38]大和ハウス工業以下の他社に差をつけた

販売の足かせとして浮かんだのは、割安で質のよい宅地が手に入らないという土地の不足だった。1975年後半には金融が緩み、住宅ローンの資金はすでに十分に出回っていた。これに対し積水ハウスが考えたのは、造成済みの土地を大手デベロッパーからまとめて仕入れ、安い値で客に渡し、その上に建つ家の注文を自社で取るやり方である。同社はこれを、従来の建て売りと対比させて"売り建て方式"と名づけた。1979年1月期末には保有する土地が995億円にのぼり、その1年で990億円分を買い入れ、725億円分を売った。土地販売で得る粗利益は売上の10.1%しかなく、仕入れ資金の金利まで勘定すれば多少の赤字を見込まねばならない水準だったが、『本業の住宅が売れれば、会社全体でみれば十分にもうかります』との読みのもとで押し通した。1976年3月には中古住宅の売買仲介を担う積和不動産を大阪に設立し、都市部の住宅購入希望者の約半分を占める買い換え需要を新築の受注へつないだ。

  • 日経ビジネス 1979年3月19日号
    • [39]1975年後半に土地不足が販売のネックとなった
    • [40]造成地を一括購入し上物を自社で受注する方式
    • [41]建て売りに対する呼称が「売り建て方式」
    • [42]1979年1月期末の土地保有高 995億円
    • [43]1年間の土地購入990億円・販売725億円
    • [44]土地販売の粗利益率 売上の10.1%
    • [45]積水ハウス社長の田鍋健氏による発言
    • [47]都市部の住宅購入希望者の約半分が買い換え需要
  • 積水ハウス 有価証券報告書【沿革】
    • [46]1976年3月 中古住宅仲介の積和不動産を大阪に設立

需要創造の積み重ねは業績に表れ、1979年1月期は売上高3,040億円・経常利益207億円を計上して、1964年以来15年連続の増収増益となった。経常利益は1978年3月期に110億円だった大成建設を抜き、最大手である鹿島建設の265億円に迫った。前年には大手ゼネコンを下請けに使ったマンションの建設・販売にも参入していた『うちはプレハブ会社から脱け出し、大手の建設会社に仲間入りした』(田鍋健氏、日経ビジネス 1979/3/19)。1970年代の積極経営は自己資本比率と売上高純金利負担率を一時的に悪化させた。全住宅産業に占めるシェアはなお2%程度にとどまり、田鍋健社長は『7〜8%のシェアを取りたい』(田鍋健氏、日経ビジネス 1979/3/19)と、未開拓の北海道・東北への営業所展開と関連業界への進出を次の課題に挙げた。

  • 日経ビジネス 1979年3月19日号
    • [48]1979年1月期 売上高3,040億円
    • [49]1979年1月期 経常利益207億円
    • [50]1964年以来15年連続の増収増益
    • [51]大成建設の経常利益は1978年3月期110億円
    • [52]鹿島建設の経常利益 265億円
    • [53]大手ゼネコンを下請けに使ったマンションの建設・販売
    • [54]積水ハウス社長の田鍋健氏による発言
    • [55]積極経営で自己資本比率と売上高純金利負担率が悪化
    • [56]全住宅産業に占めるシェアは2%程度
    • [57]積水ハウス社長の田鍋健氏によるシェア目標に関する発言
    • [58]北海道・東北への営業所展開と関連業界への進出が次の課題
参考文献[31]-[58]
  • 日経ビジネス 1979年3月19日号
    • [31]プレハブ住宅の建設戸数 1973年ピーク20万戸台→1975年15万戸
    • [32]カネボウ・大林ハウジングの撤退・戦線縮小
    • [33]石油危機下でも受注を拡大
    • [34]業界初の自社ローンの創設
    • [35]資金調達を地方銀行・相互銀行・信用金庫へ拡大し時価発行増資も実施
    • [36]値上げ幅15%(同業平均30%の半分)
    • [37]積水ハウス社長の田鍋健氏による発言
    • [38]大和ハウス工業以下の他社に差をつけた
    • [39]1975年後半に土地不足が販売のネックとなった
    • [40]造成地を一括購入し上物を自社で受注する方式
    • [41]建て売りに対する呼称が「売り建て方式」
    • [42]1979年1月期末の土地保有高 995億円
    • [43]1年間の土地購入990億円・販売725億円
    • [44]土地販売の粗利益率 売上の10.1%
    • [45]積水ハウス社長の田鍋健氏による発言
    • [47]都市部の住宅購入希望者の約半分が買い換え需要
    • [48]1979年1月期 売上高3,040億円
    • [49]1979年1月期 経常利益207億円
    • [50]1964年以来15年連続の増収増益
    • [51]大成建設の経常利益は1978年3月期110億円
    • [52]鹿島建設の経常利益 265億円
    • [53]大手ゼネコンを下請けに使ったマンションの建設・販売
    • [54]積水ハウス社長の田鍋健氏による発言
    • [55]積極経営で自己資本比率と売上高純金利負担率が悪化
    • [56]全住宅産業に占めるシェアは2%程度
    • [57]積水ハウス社長の田鍋健氏によるシェア目標に関する発言
    • [58]北海道・東北への営業所展開と関連業界への進出が次の課題
  • 積水ハウス 有価証券報告書【沿革】
    • [46]1976年3月 中古住宅仲介の積和不動産を大阪に設立

1984年〜「家のデパート」── 高級化路線の完成と事業領域の拡大

1970年代後半、積水ハウスは鉄骨系から出発した商品を木質系・コンクリート系・ツーバイフォー工法、さらに一般の注文住宅まで広げた。売上の9割はなお鉄骨系だったが、品ぞろえの厚みは『プレハブのワクを越えた家のデパート化』と業界で呼ばれ、消費者の嗜好の多様化に対応する需要発掘を側面から支えた。1戸あたりのプレハブ化率をあえて引き下げ、コスト上昇を承知で自由な設計と間取りを選べるようにした。1971年3月の寄棟型"K型"、同年7月の連棟式テラスハウス"テラス10"、1972年10月の枠組壁工法"M型"と続いた高級タイプの系譜は、1984年発売の高級住宅"イズシリーズ"へ受け継がれ、イズシリーズはプレハブ住宅のイメージを大きく塗り替えた。

  • 日経ビジネス 1979年3月19日号
    • [59]鉄骨系から木質系・コンクリート系・ツーバイフォー・注文住宅へ商品を拡大
    • [60]売上の9割は鉄骨系
    • [61]業界で「家のデパート化」と呼ばれた品ぞろえ
    • [62]プレハブ化率を下げて自由な設計・間取りを可能にした
  • 日本会社史総覧(1995年、東洋経済新報社)「積水ハウス」の項
    • [63]K型・テラス10・M型の発売
    • [64]1984年 高級住宅「イズシリーズ」を発売
    • [65]イズシリーズがプレハブ住宅のイメージを塗り替えた

1977年3月、大阪市西区で大規模マンション"グランドメゾン長堀"を分譲して都市開発事業に参入し、以後は各地で分譲マンションを供給した。その集大成が神戸市の事業コンペ"六甲アイランドCITY"第1期都市開発事業で、第1期部分だけで事業費は3,000億円に達した。海外では1971年7月にオランダのシステム・バウ社の株式51.9%を取得してセキスイ・システム・バウ社と改称し、西ドイツを中心に住宅販売を開始した。ただし物流コストなどの事情から住宅建築そのものは撤退し、ドイツでの不動産仲介・賃貸へ切り替えた。1987年には北米の豊富な木材資源と木材加工技術の確保を狙って米国積水ハウスをワシントン州に設立し、自社使用木材の2次加工品の供給を始めた。

  • 日本会社史総覧(1995年、東洋経済新報社)「積水ハウス」の項
    • [66]1977年3月 グランドメゾン長堀を分譲し都市開発事業へ参入
    • [67]神戸市「六甲アイランドCITY」第1期都市開発事業
    • [68]六甲アイランドCITY第1期の事業費 3,000億円
    • [69]1971年7月 オランダのシステム・バウ社の株式51.9%を取得
    • [70]セキスイ・システム・バウ社と改称し西ドイツ中心に住宅販売を開始
    • [71]物流コスト等で住宅建築から撤退し不動産仲介・賃貸へ転換
    • [72]1987年 米国積水ハウスをワシントン州に設立
    • [73]自社使用木材の2次加工品の供給を開始
参考文献[59]-[73]
  • 日経ビジネス 1979年3月19日号
    • [59]鉄骨系から木質系・コンクリート系・ツーバイフォー・注文住宅へ商品を拡大
    • [60]売上の9割は鉄骨系
    • [61]業界で「家のデパート化」と呼ばれた品ぞろえ
    • [62]プレハブ化率を下げて自由な設計・間取りを可能にした
  • 日本会社史総覧(1995年、東洋経済新報社)「積水ハウス」の項
    • [63]K型・テラス10・M型の発売
    • [64]1984年 高級住宅「イズシリーズ」を発売
    • [65]イズシリーズがプレハブ住宅のイメージを塗り替えた
    • [66]1977年3月 グランドメゾン長堀を分譲し都市開発事業へ参入
    • [67]神戸市「六甲アイランドCITY」第1期都市開発事業
    • [68]六甲アイランドCITY第1期の事業費 3,000億円
    • [69]1971年7月 オランダのシステム・バウ社の株式51.9%を取得
    • [70]セキスイ・システム・バウ社と改称し西ドイツ中心に住宅販売を開始
    • [71]物流コスト等で住宅建築から撤退し不動産仲介・賃貸へ転換
    • [72]1987年 米国積水ハウスをワシントン州に設立
    • [73]自社使用木材の2次加工品の供給を開始

筆者考察

積水ハウスが1963年に選んだのは、商品を変えることではなく、売り方を自社の手に握ることだった。代理店は兼業で、プレハブの技術も分からないまま売る。売った先の責任も分散する。田鍋健氏は販売と施工を自社の社員へ移し、同業が販売コスト増を理由に避けた道をあえて採った。高いものを作れば高く売れるのではなく、売り方を握っているから高いものを作れる、という順序である。"プレハブは安物"というイメージを覆したF型も、1984年のイズシリーズも、値段を説明できる営業組織の上でしか成り立たなかった。営業所を独立採算にして地域ごとに競わせた仕組みも、商品をどこまで高くできるかを決める装置だった。

石油危機のあと、積水ハウスは需要そのものが消えたのではなく、家を買える条件が消えたのだと読んだ。住宅ローンが細れば自社で貸し、宅地が手に入らなければ造成地を一括で買い、その上に自社の家を載せる。土地販売の粗利益率は10.1%で、購入資金の金利を勘定に入れれば持ち出しに近い。それでも土地を抱え続けたのは、土地が受注の入口だったからである。1979年1月期の経常利益207億円は、大成建設を上回り鹿島建設に迫る水準だった。住宅メーカーが建設大手の利益に並んだのは、家を数多く建てたからではなく、家を建てられる条件のほうを自前で作ったからである。

1960年〜1990年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1960年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1961年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1962年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1963年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1964年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1965年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1966年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1967年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1968年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1969年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1970年01月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1971年01月期 単体 345 n/a n/a 20 5.8% n/a
1972年01月期 単体 584 +69.3% n/a 37 6.3% n/a
1973年01月期 単体 882 +51.0% n/a 55 6.2% n/a
1974年01月期 単体 1,369 +55.2% n/a 63 4.6% 山口市に山口工場を設置、操業を開始(1973/08)
1975年01月期 単体 1,917 +40.0% n/a n/a n/a n/a
1976年01月期 単体 2,072 +8.1% 163 80 3.9% n/a
1977年01月期 単体 2,378 +14.8% 168 85 3.6% n/a
1978年01月期 単体 2,615 +10.0% 182 85 3.3% n/a
1979年01月期 単体 3,037 +16.1% 207 103 3.4% n/a
1980年01月期 単体 3,660 +20.5% 246 126 3.4% n/a
1981年01月期 単体 4,245 +16.0% 254 130 3.1% n/a
1982年01月期 単体 4,339 +2.2% 292 139 3.2% n/a
1983年01月期 単体 4,665 +7.5% 298 150 3.2% n/a
1984年01月期 単体 4,437 ▲4.9% 159 75 1.7% n/a
1985年01月期 単体 4,598 +3.6% 185 80 1.7% n/a
1986年01月期 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年01月期 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年01月期 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年01月期 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年01月期 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a

出所:会社年鑑1986年版

出典・参考

9件
出典・参考
  • 積水ハウス 有価証券報告書【沿革】
  • 『日本会社史総覧, 1995, 東洋経済新報社』(1995年)
  • 日本会社史総覧(1995年、東洋経済新報社)「積水ハウス」の項
  • 証券アナリストジャーナル 1972年10月号
  • 実業の世界 1972年10月号
  • オール大衆 1976年6月号
  • 日経ビジネス 1979年3月19日号
  • 日本経済新聞「私の履歴書」田鍋健(1985年10月連載、『私の履歴書 経済人23』日本経済新聞社, 1987 所収)
  • プラスチック材料読本(1961年)

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