富士急行の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

鉄道1本で客を待たず、バスと別荘で北麓へ客を呼んだ会社である。大月―吉田間の電車は開業から3日ほどで運賃収入が人件費を下回り、堀内良平氏は山中湖ホテルに続いて1930年に旭日丘の貸別荘23棟をそろえた。1932年には業績の低下した土地会社を電鉄へ吸収し、社内の反対を押し切って1935年にゴルフ場を開業させた。並行して1937年に東海自動車や静岡電鉄も合併を狙った富士自動車を取り込み、1939年には松田自動車を傘下に収めた結果、バス網は3県で49路線・476キロに達した。戦後に延ばした鉄道は河口湖までの3.1キロにとどまり、富士山麓一帯の交通はバスが担った。

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