決断
再建整備を終えた百十四銀行は、香川県の地方銀行のまま東京・日本橋に支店を出した。1948年の再建整備計画書で東京進出を掲げて同年11月に申請したが、大蔵省の方針が固まらず許可は下りず、1949年11月末に八丁堀へ東京事務所を置くにとどめた。1950年9月に開いた大阪支店の成績が予想を上回ったため1952年3月に申請し直し、5月6日の許可を経て5月15日に開店すると、初日の預金残高は10億円を超えた。開店を待った頭取の里見信三氏は4月8日に急逝し、専務の綾田整治氏が後を継いだ。1958年11月の創業80周年には県外支店が13店となり、預金の約33%を占めていた。