決断
創業から20年、武蔵野銀行は埼玉の中小企業へ貸すために預金を集め続けた。1955年11月に熊田克郎氏を委員長とする預金増強推進委員会を設置し、預金は1960年3月末に104億9,300万円と100億円の目標を超えた。集めた資金は工業県へ転じる埼玉の製造業に回り、1960年からの5年で貸出残高は4.14倍と、地方銀行の2.37倍を上回った。1969年10月の東証上場時、中小企業向け貸出の比率は約60%、県内取引率は預金92%・貸出85%に達していた。取引を県内に寄せた分、県内の資金需要の伸びがそのまま業容を押し上げた。