第4章 年〜年

イトーヨーカ堂:総会屋事件による伊藤雅俊の辞任とセブン&アイ・HDの設立

1992年〜総会屋事件による伊藤雅俊氏の辞任と、鈴木敏文社長のチームMD

1992年10月、伊藤雅俊社長は総会屋への利益供与事件の責任をとって辞任し、鈴木敏文副社長が社長に就任。10月29日の会見で伊藤雅俊氏は、65歳で退き鈴木敏文氏に後を託すつもりだったと明かした。68歳まで交代が延びたのは、1990年に買収した米サウスランド社の再建を鈴木敏文氏が率いていたためだという。前年春には長男の伊藤裕久氏が常務に昇格しており、事件の前は鈴木敏文氏を中継ぎとみる見方が業界に多かった。伊藤雅俊社長自身、1992年10月の時点で、小売業の経営はアマチュアの水準では通用せずプロの時代に入るという認識を示していた。事件は専門経営者への移行を早め、世襲の見込みを遠ざけたとみられる。

  • 日経ビジネス 1992年11月9日号
    • [1]1992年10月、総会屋への現金供与事件で伊藤雅俊社長が辞任し鈴木敏文副社長が後任。会見で65歳での退任と後継を語り、サウスランド再建で交代が遅れたと説明。長男裕久氏は前年常務
    • [2]1992年10月、総会屋への現金供与事件で伊藤雅俊社長が辞任し鈴木敏文副社長が後任。会見で65歳での退任と後継を語り、サウスランド再建で交代が遅れたと説明。長男裕久氏は前年常務
    • [3]1992年10月、総会屋への現金供与事件で伊藤雅俊社長が辞任し鈴木敏文副社長が後任。会見で65歳での退任と後継を語り、サウスランド再建で交代が遅れたと説明。長男裕久氏は前年常務
    • [4]1992年10月、総会屋への現金供与事件で伊藤雅俊社長が辞任し鈴木敏文副社長が後任。会見で65歳での退任と後継を語り、サウスランド再建で交代が遅れたと説明。長男裕久氏は前年常務
  • 日経ビジネス 1992年10月5日号 編集長インタビュー 伊藤雅俊
    • [5]伊藤雅俊社長は小売業は80年代までアマチュア経営で間に合ったが今後はプロの時代と発言

伊藤雅俊社長は、株式相場が上がっていた時期にもエクイティファイナンスを見送った。株価はいずれ下がるとみており、ワラント債を出していれば株主に損失を与えたという判断である。土地も出店に要る広さだけを取得し、含み益を当てにした買い増しはしなかった。2000年の回顧では、土地の含みについて『土地によって含みを持つということは、お客さんの土地を奪っちゃうんじゃないですか』と語っている。経営の物差しには株主資本利益率を置き、1992年時点で連結15%を目標に掲げたが、前期は12%程度だった。手元資金は米国式の基準でみて過大なほど厚く持ち、資金効率が悪いという批判にも改めなかった。ダイエーの含み経営とイトーヨーカ堂のキャッシュフロー経営の対比は、長く報道の題材になった。地価が下がった1990年代に、借入れに縛られない財務を後継者へ残したのだろう。

  • 日経ビジネス 1992年10月5日号 編集長インタビュー 伊藤雅俊
    • [6]株価上昇期にエクイティファイナンスをせず(株価下落を予想、ワラント債なら株主に損)。ROE連結15%目標、前期約12%
    • [7]株価上昇期にエクイティファイナンスをせず(株価下落を予想、ワラント債なら株主に損)。ROE連結15%目標、前期約12%
    • [10]株価上昇期にエクイティファイナンスをせず(株価下落を予想、ワラント債なら株主に損)。ROE連結15%目標、前期約12%
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号 泡沫証言編 伊藤雅俊
    • [8]土地は必要分だけ取得し含みを狙わず。ROE重視で規模拡大を抑制、米国式でみて過大なほどキャッシュを保有
    • [9]土地は必要分だけ取得し含みを狙わず。ROE重視で規模拡大を抑制、米国式でみて過大なほどキャッシュを保有
    • [11]土地は必要分だけ取得し含みを狙わず。ROE重視で規模拡大を抑制、米国式でみて過大なほどキャッシュを保有
  • 日経ビジネス 1996年9月30日号 伊藤雅俊名誉会長インタビュー
    • [12]ダイエー型含み経営とヨーカ堂型キャッシュフロー経営の対比は長年報道の話題

1994年3月、鈴木敏文社長は仮説を立てて試し、結果を検証する手順を繰り返すよう社内に求めた。イトーヨーカ堂はこの時点で11年ぶりの減益を見込み、売上の伸びも3年前の年4〜5%から1〜2%に鈍っていた。鈴木敏文社長は『経験に頼っていては縮小均衡になる』とし、上位商品の陰で伸び始めた商品まで単品ごとに追うよう求めた。商品開発では、グループ各社とメーカーが一体で商品を作るチームマーチャンダイジングを進めた。1992年秋の新合繊ポロシャツでは、バイヤーが紡績のクラボウや縫製会社と直接やり取りし、前年比200%以上の売上を記録した。新合繊ポロシャツは、1994年まで3年続けて店頭の売れ筋にとどまった。売上が伸びない時期の利益の源を、コンビニで育てた手法の移植に求めたとみてよい。

  • 日経ビジネス 1994年3月7日号 編集長インタビュー 鈴木敏文
    • [13]1994年3月、鈴木敏文社長は仮説・検証による変化対応と単品管理を説く。11年ぶり減益見通し、売上伸び率は3年前の4〜5%から1〜2%
    • [14]1994年3月、鈴木敏文社長は仮説・検証による変化対応と単品管理を説く。11年ぶり減益見通し、売上伸び率は3年前の4〜5%から1〜2%
    • [15]1994年3月、鈴木敏文社長は仮説・検証による変化対応と単品管理を説く。11年ぶり減益見通し、売上伸び率は3年前の4〜5%から1〜2%
  • Decide 11(4) 1993年
    • [16]チームMDはグループ各社とメーカーが一体で商品開発。1992年秋の新合繊ポロシャツはバイヤーが紡績・縫製と直接連携し前年比200%以上
    • [17]チームMDはグループ各社とメーカーが一体で商品開発。1992年秋の新合繊ポロシャツはバイヤーが紡績・縫製と直接連携し前年比200%以上
  • Decide 11(10) 1994年
    • [18]新合繊ポロシャツはこの3年ヨーカ堂店頭でヒットを継続(1994年)
参考文献[1]-[18]
  • 日経ビジネス 1992年11月9日号
    • [1]1992年10月、総会屋への現金供与事件で伊藤雅俊社長が辞任し鈴木敏文副社長が後任。会見で65歳での退任と後継を語り、サウスランド再建で交代が遅れたと説明。長男裕久氏は前年常務
    • [2]1992年10月、総会屋への現金供与事件で伊藤雅俊社長が辞任し鈴木敏文副社長が後任。会見で65歳での退任と後継を語り、サウスランド再建で交代が遅れたと説明。長男裕久氏は前年常務
    • [3]1992年10月、総会屋への現金供与事件で伊藤雅俊社長が辞任し鈴木敏文副社長が後任。会見で65歳での退任と後継を語り、サウスランド再建で交代が遅れたと説明。長男裕久氏は前年常務
    • [4]1992年10月、総会屋への現金供与事件で伊藤雅俊社長が辞任し鈴木敏文副社長が後任。会見で65歳での退任と後継を語り、サウスランド再建で交代が遅れたと説明。長男裕久氏は前年常務
  • 日経ビジネス 1992年10月5日号 編集長インタビュー 伊藤雅俊
    • [5]伊藤雅俊社長は小売業は80年代までアマチュア経営で間に合ったが今後はプロの時代と発言
    • [6]株価上昇期にエクイティファイナンスをせず(株価下落を予想、ワラント債なら株主に損)。ROE連結15%目標、前期約12%
    • [7]株価上昇期にエクイティファイナンスをせず(株価下落を予想、ワラント債なら株主に損)。ROE連結15%目標、前期約12%
    • [10]株価上昇期にエクイティファイナンスをせず(株価下落を予想、ワラント債なら株主に損)。ROE連結15%目標、前期約12%
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号 泡沫証言編 伊藤雅俊
    • [8]土地は必要分だけ取得し含みを狙わず。ROE重視で規模拡大を抑制、米国式でみて過大なほどキャッシュを保有
    • [9]土地は必要分だけ取得し含みを狙わず。ROE重視で規模拡大を抑制、米国式でみて過大なほどキャッシュを保有
    • [11]土地は必要分だけ取得し含みを狙わず。ROE重視で規模拡大を抑制、米国式でみて過大なほどキャッシュを保有
  • 日経ビジネス 1996年9月30日号 伊藤雅俊名誉会長インタビュー
    • [12]ダイエー型含み経営とヨーカ堂型キャッシュフロー経営の対比は長年報道の話題
  • 日経ビジネス 1994年3月7日号 編集長インタビュー 鈴木敏文
    • [13]1994年3月、鈴木敏文社長は仮説・検証による変化対応と単品管理を説く。11年ぶり減益見通し、売上伸び率は3年前の4〜5%から1〜2%
    • [14]1994年3月、鈴木敏文社長は仮説・検証による変化対応と単品管理を説く。11年ぶり減益見通し、売上伸び率は3年前の4〜5%から1〜2%
    • [15]1994年3月、鈴木敏文社長は仮説・検証による変化対応と単品管理を説く。11年ぶり減益見通し、売上伸び率は3年前の4〜5%から1〜2%
  • Decide 11(4) 1993年
    • [16]チームMDはグループ各社とメーカーが一体で商品開発。1992年秋の新合繊ポロシャツはバイヤーが紡績・縫製と直接連携し前年比200%以上
    • [17]チームMDはグループ各社とメーカーが一体で商品開発。1992年秋の新合繊ポロシャツはバイヤーが紡績・縫製と直接連携し前年比200%以上
  • Decide 11(10) 1994年
    • [18]新合繊ポロシャツはこの3年ヨーカ堂店頭でヒットを継続(1994年)

1995年〜返品ゼロの取引と、北京の華糖洋華堂と成都への出店

イトーヨーカ堂は1990年、仕入れた商品を返品しない完全買い取りを経営戦略の中心に据えた。1992年末には、契約しながら仕入れを先送りしていた衣料品を洗い出し、取引先25社から約5億5000万円分を買い取った。それでも、売れ残りを納入先に預けて翌年に買い取る慣行は衣料で残った。取引先の苦情を受けた鈴木敏文社長は1997年1月、翌年への持ち越しを禁じ、シーズン中に売り切るよう指示した。値下げと廃棄が重なり、1996年度の経常利益は前年度比8%減の約700億円と1987年度以来の低さになった。1997年度からは、例えば目標3万枚のシャツなら2万4千枚を必ず引き取り、残りはメーカーが補充に備える取り決めに改めた。持ち越しが残る限り、完全買い取りの看板は取引先の負担で支えられていたと考えられる。

  • 日経ビジネス 1993年1月25日号
    • [19]1990年に完全買い取りを表明。1992年末に未仕入れの衣料を洗い出し25社から約5億5000万円分を買い取り
    • [20]1990年に完全買い取りを表明。1992年末に未仕入れの衣料を洗い出し25社から約5億5000万円分を買い取り
  • 日経ビジネス 1997年4月14日号
    • [21]売れ残りを納入先に預け翌年買い取る慣行が判明。1997年1月に持ち越し禁止を指示、1996年度経常利益8%減の約700億円。97年度から目標3万枚中2万4千枚を必ず引き取る方式
    • [22]売れ残りを納入先に預け翌年買い取る慣行が判明。1997年1月に持ち越し禁止を指示、1996年度経常利益8%減の約700億円。97年度から目標3万枚中2万4千枚を必ず引き取る方式
    • [23]売れ残りを納入先に預け翌年買い取る慣行が判明。1997年1月に持ち越し禁止を指示、1996年度経常利益8%減の約700億円。97年度から目標3万枚中2万4千枚を必ず引き取る方式
    • [24]売れ残りを納入先に預け翌年買い取る慣行が判明。1997年1月に持ち越し禁止を指示、1996年度経常利益8%減の約700億円。97年度から目標3万枚中2万4千枚を必ず引き取る方式

1997年、イトーヨーカ堂は伊藤忠商事、中国糖業酒類集団公司との合弁で華糖洋華堂商業有限公司を設立した。出資比率は日本側49%、中国側51%で、10月7日に北京の人民大会堂で設立を披露。中国国務院がこの会社に認めたチェーン展開は外資の小売業として初めてのもので、1都市1店舗の原則の例外にあたる。話は中国政府の要請で始まり、1994年からの交渉を経て承認までに3年を要した。1号店の華堂商場十里堡店は1998年4月28日の開業で、場所は天安門から東へ約9キロの郊外住宅地である。四川省の成都でも、イトーヨーカ堂が単独で北京に先立つ出店を準備していた。国内の総合スーパーが伸び悩むなか、出店数の縛りがない権利が中国を選ぶ決め手になったと推測される。

  • Decide 15(9) 1997年
    • [25]1997年、伊藤忠・中国糖業酒類集団と合弁で華糖洋華堂を設立(日本49%・中国51%)、10月7日人民大会堂で披露。国務院が外資小売初のチェーン展開を認可。1994年から交渉し承認まで3年。成都は単独出店を準備
    • [26]1997年、伊藤忠・中国糖業酒類集団と合弁で華糖洋華堂を設立(日本49%・中国51%)、10月7日人民大会堂で披露。国務院が外資小売初のチェーン展開を認可。1994年から交渉し承認まで3年。成都は単独出店を準備
    • [27]1997年、伊藤忠・中国糖業酒類集団と合弁で華糖洋華堂を設立(日本49%・中国51%)、10月7日人民大会堂で披露。国務院が外資小売初のチェーン展開を認可。1994年から交渉し承認まで3年。成都は単独出店を準備
    • [28]1997年、伊藤忠・中国糖業酒類集団と合弁で華糖洋華堂を設立(日本49%・中国51%)、10月7日人民大会堂で披露。国務院が外資小売初のチェーン展開を認可。1994年から交渉し承認まで3年。成都は単独出店を準備
    • [30]1997年、伊藤忠・中国糖業酒類集団と合弁で華糖洋華堂を設立(日本49%・中国51%)、10月7日人民大会堂で披露。国務院が外資小売初のチェーン展開を認可。1994年から交渉し承認まで3年。成都は単独出店を準備
  • Decide 16(5) 1998年
    • [29]華堂商場十里堡店が1998年4月28日、天安門から東へ約9キロの郊外住宅地に開業

1998年秋から冬にかけ、イトーヨーカ堂は消費税分の5%や7%を還元するセールを行い、売上は前年比3〜6割増えた。売上を追わないという持論を持つ鈴木敏文社長にとって、セールは消費者心理を確かめる試みだった。セールでは予定外のマッサージ器や買い替えの電気毛布が売れ、セール後も売上は前年同期からあまり下がらなかった。1999年9月、日本チェーンストア協会の会長を兼ねる鈴木敏文社長は、スーパーの不振の原因を機会損失の増加に求めた。損失を恐れたメーカーや卸が生産を抑える一方、消費は特定の商品に集中し、品切れが増えるという見立てだった。対策には、全量の買い取りを約束してメーカーに短期の生産を頼むチームマーチャンダイジングを挙げた。不振の原因を客の減少ではなく店の品揃えに求める姿勢は、二つの発言を通じて変わらなかったようだ。

  • 日経ビジネス 1999年1月4日号 編集長インタビュー 鈴木敏文
    • [31]1998年秋〜冬に消費税分5%・7%還元セール、売上前年比3〜6割増。消費者心理を確かめる狙い、予定外の購買が増えセール後も売上は大きく落ちず
    • [32]1998年秋〜冬に消費税分5%・7%還元セール、売上前年比3〜6割増。消費者心理を確かめる狙い、予定外の購買が増えセール後も売上は大きく落ちず
    • [33]1998年秋〜冬に消費税分5%・7%還元セール、売上前年比3〜6割増。消費者心理を確かめる狙い、予定外の購買が増えセール後も売上は大きく落ちず
  • 日経ビジネス 1999年9月20日号 編集長インタビュー 鈴木敏文
    • [34]1999年9月、鈴木敏文氏(日本チェーンストア協会会長)はスーパー不振の原因を機会損失の増加とし、対策にチームMDでの全量買い取りを挙げる
    • [35]1999年9月、鈴木敏文氏(日本チェーンストア協会会長)はスーパー不振の原因を機会損失の増加とし、対策にチームMDでの全量買い取りを挙げる
    • [36]1999年9月、鈴木敏文氏(日本チェーンストア協会会長)はスーパー不振の原因を機会損失の増加とし、対策にチームMDでの全量買い取りを挙げる
参考文献[19]-[36]
  • 日経ビジネス 1993年1月25日号
    • [19]1990年に完全買い取りを表明。1992年末に未仕入れの衣料を洗い出し25社から約5億5000万円分を買い取り
    • [20]1990年に完全買い取りを表明。1992年末に未仕入れの衣料を洗い出し25社から約5億5000万円分を買い取り
  • 日経ビジネス 1997年4月14日号
    • [21]売れ残りを納入先に預け翌年買い取る慣行が判明。1997年1月に持ち越し禁止を指示、1996年度経常利益8%減の約700億円。97年度から目標3万枚中2万4千枚を必ず引き取る方式
    • [22]売れ残りを納入先に預け翌年買い取る慣行が判明。1997年1月に持ち越し禁止を指示、1996年度経常利益8%減の約700億円。97年度から目標3万枚中2万4千枚を必ず引き取る方式
    • [23]売れ残りを納入先に預け翌年買い取る慣行が判明。1997年1月に持ち越し禁止を指示、1996年度経常利益8%減の約700億円。97年度から目標3万枚中2万4千枚を必ず引き取る方式
    • [24]売れ残りを納入先に預け翌年買い取る慣行が判明。1997年1月に持ち越し禁止を指示、1996年度経常利益8%減の約700億円。97年度から目標3万枚中2万4千枚を必ず引き取る方式
  • Decide 15(9) 1997年
    • [25]1997年、伊藤忠・中国糖業酒類集団と合弁で華糖洋華堂を設立(日本49%・中国51%)、10月7日人民大会堂で披露。国務院が外資小売初のチェーン展開を認可。1994年から交渉し承認まで3年。成都は単独出店を準備
    • [26]1997年、伊藤忠・中国糖業酒類集団と合弁で華糖洋華堂を設立(日本49%・中国51%)、10月7日人民大会堂で披露。国務院が外資小売初のチェーン展開を認可。1994年から交渉し承認まで3年。成都は単独出店を準備
    • [27]1997年、伊藤忠・中国糖業酒類集団と合弁で華糖洋華堂を設立(日本49%・中国51%)、10月7日人民大会堂で披露。国務院が外資小売初のチェーン展開を認可。1994年から交渉し承認まで3年。成都は単独出店を準備
    • [28]1997年、伊藤忠・中国糖業酒類集団と合弁で華糖洋華堂を設立(日本49%・中国51%)、10月7日人民大会堂で披露。国務院が外資小売初のチェーン展開を認可。1994年から交渉し承認まで3年。成都は単独出店を準備
    • [30]1997年、伊藤忠・中国糖業酒類集団と合弁で華糖洋華堂を設立(日本49%・中国51%)、10月7日人民大会堂で披露。国務院が外資小売初のチェーン展開を認可。1994年から交渉し承認まで3年。成都は単独出店を準備
  • Decide 16(5) 1998年
    • [29]華堂商場十里堡店が1998年4月28日、天安門から東へ約9キロの郊外住宅地に開業
  • 日経ビジネス 1999年1月4日号 編集長インタビュー 鈴木敏文
    • [31]1998年秋〜冬に消費税分5%・7%還元セール、売上前年比3〜6割増。消費者心理を確かめる狙い、予定外の購買が増えセール後も売上は大きく落ちず
    • [32]1998年秋〜冬に消費税分5%・7%還元セール、売上前年比3〜6割増。消費者心理を確かめる狙い、予定外の購買が増えセール後も売上は大きく落ちず
    • [33]1998年秋〜冬に消費税分5%・7%還元セール、売上前年比3〜6割増。消費者心理を確かめる狙い、予定外の購買が増えセール後も売上は大きく落ちず
  • 日経ビジネス 1999年9月20日号 編集長インタビュー 鈴木敏文
    • [34]1999年9月、鈴木敏文氏(日本チェーンストア協会会長)はスーパー不振の原因を機会損失の増加とし、対策にチームMDでの全量買い取りを挙げる
    • [35]1999年9月、鈴木敏文氏(日本チェーンストア協会会長)はスーパー不振の原因を機会損失の増加とし、対策にチームMDでの全量買い取りを挙げる
    • [36]1999年9月、鈴木敏文氏(日本チェーンストア協会会長)はスーパー不振の原因を機会損失の増加とし、対策にチームMDでの全量買い取りを挙げる

2001年〜アイワイバンク銀行と、3社共同の株式移転によるセブン&アイ・HD

親会社イトーヨーカ堂の利益は1992年度を頂点に減り続けていた。1999年にグループが正式に打ち出した銀行業への参入は、全国約9000カ所のスーパーとコンビニの店内にATMを据え、店舗網にほとんど費用をかけずに決済網を作る構想で、狙いは来店の機会を増やして物販を広げることにあった。金融そのものを主力事業にするつもりはないと佐藤信武副社長は述べ、再投資をまかなえるだけの利益が出れば足りるとした。アイワイバンク銀行の開業は2001年5月で、2002年3月末までにグループ3業態の店舗へ設置したATMは約3,650台に上ったが、開業の費用が重く、金融を含むその他の事業は2002年2月期に130億7800万円の営業損失となった。決済で直接稼ぐより、ATMに来た客を店の売上につなげることを優先した設計と読める。

  • 日経ビジネス 1999年11月22日号
    • [37]1999年、ヨーカ堂グループが銀行業参入を正式表明。約9000店にATMを置く決済特化の構想。佐藤信武副社長は再投資に必要な利益でよいと発言。ヨーカ堂は92年度をピークに減益
    • [38]1999年、ヨーカ堂グループが銀行業参入を正式表明。約9000店にATMを置く決済特化の構想。佐藤信武副社長は再投資に必要な利益でよいと発言。ヨーカ堂は92年度をピークに減益
    • [39]1999年、ヨーカ堂グループが銀行業参入を正式表明。約9000店にATMを置く決済特化の構想。佐藤信武副社長は再投資に必要な利益でよいと発言。ヨーカ堂は92年度をピークに減益
    • [40]1999年、ヨーカ堂グループが銀行業参入を正式表明。約9000店にATMを置く決済特化の構想。佐藤信武副社長は再投資に必要な利益でよいと発言。ヨーカ堂は92年度をピークに減益
  • イトーヨーカ堂 平成14年2月期 決算短信(連結)
    • [41]アイワイバンク銀行は平成13年5月開業、平成14年3月末までにイトーヨーカドー・セブン-イレブン・デニーズに約3,650台のATM。その他の事業は開業費用で営業損失130億7800万円
    • [42]アイワイバンク銀行は平成13年5月開業、平成14年3月末までにイトーヨーカドー・セブン-イレブン・デニーズに約3,650台のATM。その他の事業は開業費用で営業損失130億7800万円

2001年8月1日、鈴木敏文社長は30代の社員21人を集め、全員を竹の塚店のマネジャー職以上に任じた。店長には幕張店の衣料統括マネジャーだった36歳の山本孝英氏を充て、平均50歳前後の店長のなかで最年少となった。鈴木敏文社長は、店頭売上の減少は客の変化に店が対応できていないためだとし、『自己変革がなければヨーカ堂に将来はない』と若手に告げた。山本孝英氏は約200人のパート社員の意見を売場に取り入れ、売上高は前年比10%前後伸びた。グループは2001年度から事業構造改革を掲げ、2003年2月期のスーパーストア事業の営業利益は前期比520.7%増の224億円となった。決算短信は、販売価格の下落を来店客数の増加で補ったと説明した。衣料の不振を商品より人の側から解こうとしたのが、この時期の本体改革の特徴だったと言える。

  • 日経ビジネス 2002年2月25日号
    • [43]2001年8月1日、鈴木敏文社長が30代21人を竹の塚店のマネジャー職以上に任命、店長に36歳の山本孝英氏(店長平均50歳前後)。パートの意見を反映し売上高は前年比10%前後増
    • [44]2001年8月1日、鈴木敏文社長が30代21人を竹の塚店のマネジャー職以上に任命、店長に36歳の山本孝英氏(店長平均50歳前後)。パートの意見を反映し売上高は前年比10%前後増
    • [45]2001年8月1日、鈴木敏文社長が30代21人を竹の塚店のマネジャー職以上に任命、店長に36歳の山本孝英氏(店長平均50歳前後)。パートの意見を反映し売上高は前年比10%前後増
    • [46]2001年8月1日、鈴木敏文社長が30代21人を竹の塚店のマネジャー職以上に任命、店長に36歳の山本孝英氏(店長平均50歳前後)。パートの意見を反映し売上高は前年比10%前後増
  • イトーヨーカ堂 平成15年2月期 決算短信(連結)
    • [47]平成13年度から事業構造改革。平成15年2月期スーパーストア事業の営業利益224億円(前期比520.7%増)、価格下落を来店客数増で補う
    • [48]平成13年度から事業構造改革。平成15年2月期スーパーストア事業の営業利益224億円(前期比520.7%増)、価格下落を来店客数増で補う

2005年4月20日、イトーヨーカ堂、セブン-イレブン・ジャパン、デニーズジャパンの3社は、株式移転による共同持株会社の設立を決議した。当時、イトーヨーカ堂はセブン-イレブン・ジャパン株の50.6%、デニーズジャパン株の51.6%を持つ親会社である。2003年2月期の営業利益は、コンビニエンスストア事業の1,697億円に対し、スーパーストア事業は224億円だった。3社は目的に、コーポレートガバナンスの強化とグループ全体の企業価値の増大を掲げた。3社の株式は2005年8月26日に東京証券取引所で上場廃止となった。イトーヨーカ堂は1981年9月から上場していたパリの市場でも、同じ日付で上場を廃止した。利益の大半を生む子会社を親会社が持つ構図を、持株会社の下に並べ直す狙いがあったと思われる。

  • イトーヨーカ堂・セブン-イレブン・ジャパン・デニーズジャパン 2005年4月20日「株式移転による持株会社設立に関するお知らせ」
    • [49]2005年4月20日、3社が株式移転による持株会社設立を決議。目的はガバナンス強化とグループ企業価値の増大。8月26日上場廃止、9月1日持株会社上場の予定
    • [52]2005年4月20日、3社が株式移転による持株会社設立を決議。目的はガバナンス強化とグループ企業価値の増大。8月26日上場廃止、9月1日持株会社上場の予定
    • [53]2005年4月20日、3社が株式移転による持株会社設立を決議。目的はガバナンス強化とグループ企業価値の増大。8月26日上場廃止、9月1日持株会社上場の予定
  • イトーヨーカ堂・セブン-イレブン・ジャパン・デニーズジャパン 2005年4月20日「持株会社設立について」(説明資料)
    • [50]設立前、イトーヨーカ堂はセブン-イレブン・ジャパン株50.6%、デニーズジャパン株51.6%を保有
  • イトーヨーカ堂 平成15年2月期 決算短信(連結)
    • [51]平成15年2月期営業利益はコンビニエンスストア事業1,697億円、スーパーストア事業224億円
  • 2005年6月28日「イトーヨーカ堂株式のユーロネクスト・パリ上場廃止および…」
    • [54]イトーヨーカ堂は1981年9月上場のユーロネクスト・パリも東証と同じ2005年8月26日に上場廃止
参考文献[37]-[54]
  • 日経ビジネス 1999年11月22日号
    • [37]1999年、ヨーカ堂グループが銀行業参入を正式表明。約9000店にATMを置く決済特化の構想。佐藤信武副社長は再投資に必要な利益でよいと発言。ヨーカ堂は92年度をピークに減益
    • [38]1999年、ヨーカ堂グループが銀行業参入を正式表明。約9000店にATMを置く決済特化の構想。佐藤信武副社長は再投資に必要な利益でよいと発言。ヨーカ堂は92年度をピークに減益
    • [39]1999年、ヨーカ堂グループが銀行業参入を正式表明。約9000店にATMを置く決済特化の構想。佐藤信武副社長は再投資に必要な利益でよいと発言。ヨーカ堂は92年度をピークに減益
    • [40]1999年、ヨーカ堂グループが銀行業参入を正式表明。約9000店にATMを置く決済特化の構想。佐藤信武副社長は再投資に必要な利益でよいと発言。ヨーカ堂は92年度をピークに減益
  • イトーヨーカ堂 平成14年2月期 決算短信(連結)
    • [41]アイワイバンク銀行は平成13年5月開業、平成14年3月末までにイトーヨーカドー・セブン-イレブン・デニーズに約3,650台のATM。その他の事業は開業費用で営業損失130億7800万円
    • [42]アイワイバンク銀行は平成13年5月開業、平成14年3月末までにイトーヨーカドー・セブン-イレブン・デニーズに約3,650台のATM。その他の事業は開業費用で営業損失130億7800万円
  • 日経ビジネス 2002年2月25日号
    • [43]2001年8月1日、鈴木敏文社長が30代21人を竹の塚店のマネジャー職以上に任命、店長に36歳の山本孝英氏(店長平均50歳前後)。パートの意見を反映し売上高は前年比10%前後増
    • [44]2001年8月1日、鈴木敏文社長が30代21人を竹の塚店のマネジャー職以上に任命、店長に36歳の山本孝英氏(店長平均50歳前後)。パートの意見を反映し売上高は前年比10%前後増
    • [45]2001年8月1日、鈴木敏文社長が30代21人を竹の塚店のマネジャー職以上に任命、店長に36歳の山本孝英氏(店長平均50歳前後)。パートの意見を反映し売上高は前年比10%前後増
    • [46]2001年8月1日、鈴木敏文社長が30代21人を竹の塚店のマネジャー職以上に任命、店長に36歳の山本孝英氏(店長平均50歳前後)。パートの意見を反映し売上高は前年比10%前後増
  • イトーヨーカ堂 平成15年2月期 決算短信(連結)
    • [47]平成13年度から事業構造改革。平成15年2月期スーパーストア事業の営業利益224億円(前期比520.7%増)、価格下落を来店客数増で補う
    • [48]平成13年度から事業構造改革。平成15年2月期スーパーストア事業の営業利益224億円(前期比520.7%増)、価格下落を来店客数増で補う
    • [51]平成15年2月期営業利益はコンビニエンスストア事業1,697億円、スーパーストア事業224億円
  • イトーヨーカ堂・セブン-イレブン・ジャパン・デニーズジャパン 2005年4月20日「株式移転による持株会社設立に関するお知らせ」
    • [49]2005年4月20日、3社が株式移転による持株会社設立を決議。目的はガバナンス強化とグループ企業価値の増大。8月26日上場廃止、9月1日持株会社上場の予定
    • [52]2005年4月20日、3社が株式移転による持株会社設立を決議。目的はガバナンス強化とグループ企業価値の増大。8月26日上場廃止、9月1日持株会社上場の予定
    • [53]2005年4月20日、3社が株式移転による持株会社設立を決議。目的はガバナンス強化とグループ企業価値の増大。8月26日上場廃止、9月1日持株会社上場の予定
  • イトーヨーカ堂・セブン-イレブン・ジャパン・デニーズジャパン 2005年4月20日「持株会社設立について」(説明資料)
    • [50]設立前、イトーヨーカ堂はセブン-イレブン・ジャパン株50.6%、デニーズジャパン株51.6%を保有
  • 2005年6月28日「イトーヨーカ堂株式のユーロネクスト・パリ上場廃止および…」
    • [54]イトーヨーカ堂は1981年9月上場のユーロネクスト・パリも東証と同じ2005年8月26日に上場廃止

1992年〜2005年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率 億円
1992年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1993年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1994年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1995年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1996年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1997年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1998年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1999年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2000年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2001年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2002年02月期 連結 31,125 n/a 1,649 5.3% 523 n/a
2003年02月期 連結 35,303 +13.4% 1,896 5.4% 466 n/a
2004年02月期 連結 35,421 +0.3% 2,008 5.7% 536 n/a
2005年02月期 連結 36,236 +2.3% 2,083 5.7% 172 n/a

出所:旧イトーヨーカ堂 第44期。米国会計基準。営業収益、経常利益は第46期での修正再表示後の値、旧イトーヨーカ堂 第45期、旧イトーヨーカ堂 第46期、旧イトーヨーカ堂 第47期

出典・参考

20件
出典・参考
  • イトーヨーカ堂 平成14年2月期 決算短信(連結)
  • イトーヨーカ堂 平成15年2月期 決算短信(連結)
  • 日経ビジネス 1992年11月9日号
  • 日経ビジネス 1992年10月5日号 編集長インタビュー 伊藤雅俊
  • 日経ビジネス 1993年1月25日号
  • 日経ビジネス 1994年3月7日号 編集長インタビュー 鈴木敏文
  • 日経ビジネス 1996年9月30日号 伊藤雅俊名誉会長インタビュー
  • 日経ビジネス 1997年4月14日号
  • 日経ビジネス 1999年1月4日号 編集長インタビュー 鈴木敏文
  • 日経ビジネス 1999年9月20日号 編集長インタビュー 鈴木敏文
  • 日経ビジネス 1999年11月22日号
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号 泡沫証言編 伊藤雅俊
  • 日経ビジネス 2002年2月25日号
  • Decide 11(4) 1993年
  • Decide 11(10) 1994年
  • Decide 15(9) 1997年
  • Decide 16(5) 1998年
  • イトーヨーカ堂・セブン-イレブン・ジャパン・デニーズジャパン 2005年4月20日「株式移転による持株会社設立に関するお知らせ」
  • イトーヨーカ堂・セブン-イレブン・ジャパン・デニーズジャパン 2005年4月20日「持株会社設立について」(説明資料)
  • 2005年6月28日「イトーヨーカ堂株式のユーロネクスト・パリ上場廃止および…」

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