池尻光夫

アイワ・元アイワへ商号変更

Ikejiri Mitsuo(敬称略)

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社長就任 1951年
生年月日 —
学歴 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

池尻光夫氏は終戦直後、名古屋で個人企業としてマイクロホンの製造を開始した。1947年4月に東京へ出て組織を法人に改め、資本金15万円の合資会社愛興電機産業社を設立した。当時はマイクロホンを製造する同業がほとんど無く、通商産業省の指定工場となって資材が円滑に供給されたことが、その後の発展の基礎となった。1958年5月末の大株主名簿では345,400株を持つ筆頭株主で、自ら興した会社の資本を握っていた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1951年6月20日、資本金100万円で愛興電機産業株式会社が設立され、前身である合資会社愛興電機産業社の代表社員だった池尻氏が代表取締役社長に就任した。合資会社を1946年12月に興したのは池尻氏自身で、引き継ぐ前任者はいなかった。1958年3月末の株主は485人で発行済株式は160万株、うち池尻氏が345,400株を持ち、同族の池尻茂二氏も23,400株で名を連ねた。個人企業を法人へ改めた創業者が、資本と経営の双方を握ったまま代表に就任した。

在任中の主な施策
施策

1956年12月にNHK技術研究所の技術指導工場へ指定され、1958年6月に株式を店頭公開した。1959年10月に社名をアイワへ改め、1961年12月にテープレコーダーの生産へ踏み切って部品メーカーからセットメーカーへ転じた。1963年5月にはアイワ商事を設立して直販へ移り、従来の問屋経路を手放した。売上高は1959年11月期の5.75億円から1968年11月期に78.16億円へ伸びたが、1969年11月期は3.88億円の当期純損失に転じ、同年2月の増資12億円でソニーの資本参加を受け入れた。

在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1951〜1969年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
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参考文献 3件
参考文献

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