長瀬富郎
花王・元洋物店・長瀬商店 創業・店主(社長に相当)
社長就任1887年6月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1874〜1911年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1874年主要役職の状況(推定含む目安)1911年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 若松屋(服田彦七商店) | 1874 | 入店 | ||
| 1883 | 塚田支店 副支配人 | ||||
| 伊能喜一郎商店 | 1886 | 入店 | |||
| 1886 | 番頭 | ||||
| 花王(旧・長瀬商店) | 1887 | 創業 店主 | |||
| 1911 | 店主 退任 |
社長就任までの出自
出自
1863年(文久3年)11月21日、美濃国恵那郡福岡村柏原で酒造業を営む寿々田屋・長瀬栄蔵氏の二男に生まれ、幼名を富二郎といった。1874年7月、12歳で母方の実家にあたる加茂郡神土村の若松屋・服田彦七氏の店へ修業に入り、塩問屋と荒物商の商いを身につけた。1883年暮に下呂の塚田に若松屋の支店が開かれると副支配人を務め、1885年7月に在勤12年で店を退いて東京へ向かった。花王の前身である長瀬商店を興した創業者である。
社長に選ばれた経緯
抜擢
上京した1885年の秋、日本橋蛎殻町で米穀の相場に郷里で蓄えた150円を投じたが、2カ月で失った。1886年1月に馬喰町の和洋小間物問屋・伊能喜一郎商店へ入り、半年で帳場を預かる番頭となった。洋小間物問屋は文房具から石鹸、歯みがき粉、香水まで扱う新しい業態で、取引先の石鹸職人・村田亀太郎氏との縁もこの時期に生まれた。1887年はじめに同店を退き、6月19日に馬喰町2丁目の板新道で洋物店・長瀬商店を創業して店主となった。
在任中の主な施策
施策
1890年10月に発売した「花王石鹸」を主力に、隣接する商品を順に加えた。1891年4月に薬剤士の瀬戸末吉氏が創製した歯みがき「寿考散」を発売し、1892年には元茨城県令の人見寧氏と共同出資してろうそく「人印石蝋」の製造を始めた。1893年には長瀬富郎氏が処方した「鹿印練歯磨」を出し、1900年末には自宅の作業場で研究した化粧水「二八水」を加えた。石蝋はのちにガスと電灯の普及を見越して工場を譲渡し、販売からも退いた。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献5件
参考文献
- 『初代長瀬富郎伝』(花王石鹸, 1940)「第一章 寿々田屋」
- 『初代長瀬富郎伝』(花王石鹸, 1940)「年譜」
- 花王石鹸『花王石鹸八十年史』(1971)「洋物店・長瀬商店の創業」
- 花王『花王史100年(1890〜1990年)』(1993)「年表」
- 花王 ニュースリリース(2021年7月5日)Kao Group Revamps its Corporate Philosophy
事実根拠:出所(花王)