第4章 年〜年

花王:花王への改称とフロッピーディスク事業の参入から撤退まで

1985年〜花王石鹸から外した「石鹸」の二字と、フロッピーディスクへの参入

1985年10月、花王石鹸は商号を「花王株式会社」に改めた。10年ほど前には石鹸と洗剤で売上高の5割を占めたが、1985年3月期には両者を合わせても3分の1にとどまった。1984年6月の講演で渡邊正太郎専務は、社名が事業の実態を表さなくなったとして変更の検討を明かした。売上を押し上げたのは入浴剤・紙おむつ・ボディシャンプーなどの新製品で、売上増加分の7割以上を占めた。その広告で、1984年度の広告宣伝費は前年首位のトヨタ自動車を2億円上回った。競合のライオンは、売上高の6割強を洗剤と歯磨きに依存したままだった。新日本証券は改称を、石鹸離れをさらに進める意欲の表れと評した。

  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
    • [1]1985年10月に「花王石鹸株式会社」から「花王株式会社」へ商号変更
  • 証券調査 178 1985年7月「花王石鹼(60年10月「花王」に社名変更)」 / 新日本証券
    • [2]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
    • [6]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
    • [7]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年(渡邊正太郎専務 講演要旨)
    • [3]1984年3月期の売上高3,300億円超のうち石鹸は約120億円(構成比3〜4%)で、社名が体を表さなくなり社名変更を検討中(1984年6月22日講演)
  • 日経ビジネス 1985年11月18日号
    • [4]1984年度の広告宣伝費で花王が前年首位のトヨタ自動車を2億円上回り首位。入浴剤(1983年10月)・紙おむつ(同11月)・ボディシャンプー(1984年9月)を投入し、売上増加分の7割以上が新製品
    • [5]1984年度の広告宣伝費で花王が前年首位のトヨタ自動車を2億円上回り首位。入浴剤(1983年10月)・紙おむつ(同11月)・ボディシャンプー(1984年9月)を投入し、売上増加分の7割以上が新製品

1985年6月、花王はフロッピーディスク(FD)を発売し、日立マクセルや富士写真フイルムなど10数社が先行する市場へ最後発で参入した。起点は1980年に丸田芳郎社長が打ち出した基礎研究の拡大策で、新設の応用物理研究室が事業化のテーマにFDを選んだ。花王は界面活性技術で磁性粉の表面を処理し、製品劣化の原因だった分散剤を使わずに塗布する方法を考案した。原材料を内製できる化学メーカーであることも、後発でもコストで対抗できる根拠とされた。事業化を担った今村哲也氏は、自社技術の応用で先発に追随できると判断したと振り返った『この分野の技術ならば、後発でも他社に十分追随できると判断した』。1986年5月にはカナダのDidak Manufacturing Limitedを買収し、情報関連事業に本格参入した。

  • 日経ビジネス 1988年2月15日号
    • [8]1985年6月にFDを発売し、日立マクセル・富士写真フイルム・ソニーなど10数社の市場へ最後発で参入。原材料をすべて内製でき、コスト面で有利と判断
    • [11]1985年6月にFDを発売し、日立マクセル・富士写真フイルム・ソニーなど10数社の市場へ最後発で参入。原材料をすべて内製でき、コスト面で有利と判断
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [9]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
    • [10]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
    • [12]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
    • [13]1986年5月にカナダのDidak Manufacturing Limitedを買収し、情報関連事業に本格的に進出

花王は1986年7月、工場のラインを合理化するTCR(トータル・コスト・リダクション)運動を始めた。1989年5月の時点で、4,500人いた工場の従業員のうち1,400人がこの運動で減っていた。同年9月までに、さらに1,000人を減らす計画だった。浮いた人員は、フロッピーディスクや化粧品などの新事業、システム開発、販社へ配置換えされた。同じ1989年の日経ビジネスは、TCRを「トータル・クリエイティブ・レボリューション」の名で事務改善運動として伝えた。そこでは部課長クラスが改善案を出し、すぐ実行に移していた。丸田芳郎社長は、売上高やシェアの目標は押し込み販売を招くとして、長期計画に数字を掲げなかった。原価の削減で浮かせた人員を新事業へ移す運営が、FDへ資源を割く余力を支えたと推察される。

  • RIRI流通産業 21(5) 1989年5月「製造から販売まで一貫して把握した統合へ――花王の流通政策強化の狙い」 / 野間潔
    • [14]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [15]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [16]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [17]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
  • 日経ビジネス 1989年8月14日号
    • [18]事務改善運動TCR(トータル・クリエイティブ・レボリューション)をトップが年中推進し部課長にアイデアを出させ実行。陳列提案システム「スキマティック」はミドル以下の発案
    • [19]事務改善運動TCR(トータル・クリエイティブ・レボリューション)をトップが年中推進し部課長にアイデアを出させ実行。陳列提案システム「スキマティック」はミドル以下の発案
  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
    • [20]丸田芳郎社長は売上・シェアの数値目標は押し込み販売を招くとして掲げず、交際費・研究費に予算枠を設けず研究員に装置購入の権限を与えた
参考文献[1]-[20]
  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
    • [1]1985年10月に「花王石鹸株式会社」から「花王株式会社」へ商号変更
    • [13]1986年5月にカナダのDidak Manufacturing Limitedを買収し、情報関連事業に本格的に進出
  • 証券調査 178 1985年7月「花王石鹼(60年10月「花王」に社名変更)」 / 新日本証券
    • [2]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
    • [6]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
    • [7]10年ほど前は石鹸・洗剤が売上の5割、1985年3月期は洗剤に石鹸を加えても3分の1。ライオンは売上の6割強が洗剤と歯磨・歯刷子。社名変更は脱石鹸をさらに進める意欲の表れ(新日本証券の評)
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年(渡邊正太郎専務 講演要旨)
    • [3]1984年3月期の売上高3,300億円超のうち石鹸は約120億円(構成比3〜4%)で、社名が体を表さなくなり社名変更を検討中(1984年6月22日講演)
  • 日経ビジネス 1985年11月18日号
    • [4]1984年度の広告宣伝費で花王が前年首位のトヨタ自動車を2億円上回り首位。入浴剤(1983年10月)・紙おむつ(同11月)・ボディシャンプー(1984年9月)を投入し、売上増加分の7割以上が新製品
    • [5]1984年度の広告宣伝費で花王が前年首位のトヨタ自動車を2億円上回り首位。入浴剤(1983年10月)・紙おむつ(同11月)・ボディシャンプー(1984年9月)を投入し、売上増加分の7割以上が新製品
  • 日経ビジネス 1988年2月15日号
    • [8]1985年6月にFDを発売し、日立マクセル・富士写真フイルム・ソニーなど10数社の市場へ最後発で参入。原材料をすべて内製でき、コスト面で有利と判断
    • [11]1985年6月にFDを発売し、日立マクセル・富士写真フイルム・ソニーなど10数社の市場へ最後発で参入。原材料をすべて内製でき、コスト面で有利と判断
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [9]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
    • [10]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
    • [12]1980年の丸田芳郎社長の基礎研究拡大策で応用物理研究室を開設しFDが生まれた。界面活性技術で磁性粉を処理し分散剤なしで塗布(今村哲也・研究開発部門統括の証言)
  • RIRI流通産業 21(5) 1989年5月「製造から販売まで一貫して把握した統合へ――花王の流通政策強化の狙い」 / 野間潔
    • [14]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [15]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [16]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
    • [17]TCR(トータル・コスト・リダクション)運動は1986年7月以降に始めた工場ライン等の合理化運動。工場従業員4,500人のうち1,400人を削減済み、1989年9月までにさらに1,000人削減の計画。生み出した人員はFD・化粧品など新事業、システム開発、販社・RJSへ異動
  • 日経ビジネス 1989年8月14日号
    • [18]事務改善運動TCR(トータル・クリエイティブ・レボリューション)をトップが年中推進し部課長にアイデアを出させ実行。陳列提案システム「スキマティック」はミドル以下の発案
    • [19]事務改善運動TCR(トータル・クリエイティブ・レボリューション)をトップが年中推進し部課長にアイデアを出させ実行。陳列提案システム「スキマティック」はミドル以下の発案
  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
    • [20]丸田芳郎社長は売上・シェアの数値目標は押し込み販売を招くとして掲げず、交際費・研究費に予算枠を設けず研究員に装置購入の権限を与えた

1990年〜常盤文克社長が転じた卸の育成と、海外OEMに頼ったフロッピーディスク

1990年6月、副社長の常盤文克氏が下馬評を覆して社長に就任し、丸田芳郎氏は会長となった。常盤文克氏は1957年に入社した研究畑の出身で、1971年に37歳で200人の家庭品研究所を任された。常盤文克社長は就任時、エクセレントではなくエキサイティングな会社を目指せと社員に求めた。売上高や利益は目的ではなく、よい製品を届けることが仕事だと説いた。1992年の不況は、伸びることだけを考えてきた経営を見直す機会と位置づけた。部門の壁を防ぐため、人事や経理から「部」の枠を外してグループと呼んだ。常盤文克社長は、環境に合わせて組織を変え続けることを経営の大原則に置いた『組織も企業も常に変わっていかねばならないというのが大原則だと思います。』。

  • 日経ビジネス 1990年8月27日号
    • [21]1990年6月に常盤文克氏が社長就任、丸田芳郎氏は会長。下馬評を覆す人事
  • 日化協月報 46(1) 1993年1月「クローズアップ 社長インタビュー 常盤文克(花王㈱社長)」 / 山内喜美子
    • [22]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [23]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [24]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [25]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
  • 日経ビジネス 1992年12月7日号 編集長インタビュー 常盤文克
    • [26]人事・経理は「部」でなくグループと呼びセクショナリズムを避ける。組織は常に変えていくのが大原則
    • [27]人事・経理は「部」でなくグループと呼びセクショナリズムを避ける。組織は常に変えていくのが大原則

1993年、花王は販社網だけで小売へ届ける方針を改め、卸売業者の育成に転じた。1989年時点で、花王製品を扱う約28万店のうち販社が直接届けるのは11万店で、売上高の7割を占めた。残る17万店の中小小売店には、販社から2次問屋を経て製品が届いた。1993年も家庭用品の約25%は、「代行店」と呼ぶ卸が中小小売店へ配送していた。花王は2年前から代行店と商品の絞り込みや倉庫の配置を研究し、手引きにまとめて支援に使うとした。代行店が衰えれば花王が直送網を広げる必要があり、効率の面で難しかった。競合が共同配送で1日1回納品すれば、週2〜3回配送の自社網ではコストが合わなかった。販社自体は大手チェーンの出店域に合わせて合併を重ね、1997年には8エリアの広域販社となった。

  • 日経ビジネス 1993年6月7日号
    • [28]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [31]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [32]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [33]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [34]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
  • RIRI流通産業 21(5) 1989年5月「製造から販売まで一貫して把握した統合へ――花王の流通政策強化の狙い」 / 野間潔
    • [29]1989年時点で花王は約28万店に供給し、11万店を販社経由(売上の7割)、残り17万店は販社から2次問屋経由
    • [30]1989年時点で花王は約28万店に供給し、11万店を販社経由(売上の7割)、残り17万店は販社から2次問屋経由
  • Best partner 9(8) 1997年8月「【戦略の研究】決断(5)花王 17期連続増収増益を支えた「販社制度」」 / 山田泰造
    • [35]販社は大手スーパーの出店エリア広域化などを背景に合併・統合を重ね、1997年時点で北海道〜九州の8エリアの広域販社体制

1991年、花王のFD売上高は全世界で約250億円に達し、国内最大手の日立マクセルの約350億円に迫った。伸ばしたのは海外へのOEM供給で、1988年7月に米国の中堅メーカーを買収し、1990年3月にはスペイン工場を稼働させた。ところが米国市場は1991年の約12億枚から1桁成長へ鈍り、日本では2DDの価格が5年で1枚300円から130円台へ下がった。佐々木住明副社長は第1段階が終わったとして、KAOブランドをスーパーやコンビニへ広げる方針を示した。渡邉正太郎副社長は1994年、FDはエレクトロニクスの分野に足場を得るための事業で、収益を得るのはマルチメディアが普及した後と説明した。媒体だけを手がける事業は、この時点で価格の競争に劣位に置かれ始めていたと思われる。

  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [36]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [37]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [38]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [39]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
  • 証券アナリストジャーナル 別冊32(11) 1994年11月 / 渡邉正太郎
    • [40]FD参入はエレクトロニクスの世界を手がけるためで、粉体処理・界面化学の技術が生きる。FDで食べられるのはマルチメディアの花が咲くもっと先(渡邉正太郎副社長)
参考文献[21]-[40]
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号
    • [21]1990年6月に常盤文克氏が社長就任、丸田芳郎氏は会長。下馬評を覆す人事
  • 日化協月報 46(1) 1993年1月「クローズアップ 社長インタビュー 常盤文克(花王㈱社長)」 / 山内喜美子
    • [22]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [23]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [24]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
    • [25]1957年入社、1971年に37歳で約200人の家庭品研究所長。就任時にエクセレントでなくエキサイティング・カンパニーになれと檄。売上・利益は目的でなく良い製品の提供が仕事。1992年のバブル崩壊を、伸びることだけ考えてきた原点を見直すきっかけと評価
  • 日経ビジネス 1992年12月7日号 編集長インタビュー 常盤文克
    • [26]人事・経理は「部」でなくグループと呼びセクショナリズムを避ける。組織は常に変えていくのが大原則
    • [27]人事・経理は「部」でなくグループと呼びセクショナリズムを避ける。組織は常に変えていくのが大原則
  • 日経ビジネス 1993年6月7日号
    • [28]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [31]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [32]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [33]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
    • [34]家庭用品の約75%を販社ルート、25%を代行店(卸)経由。2年前から代行店と商品絞り込み・倉庫レイアウトを研究しマニュアル化。小売の共同配送センター利用へ転じた。競合が1日1回配送なら週2〜3回の自社網は追随せざるを得ずコストが合わない。代行店が衰退すれば花王自ら直送網をかける必要があるが効率上難しい
  • RIRI流通産業 21(5) 1989年5月「製造から販売まで一貫して把握した統合へ――花王の流通政策強化の狙い」 / 野間潔
    • [29]1989年時点で花王は約28万店に供給し、11万店を販社経由(売上の7割)、残り17万店は販社から2次問屋経由
    • [30]1989年時点で花王は約28万店に供給し、11万店を販社経由(売上の7割)、残り17万店は販社から2次問屋経由
  • Best partner 9(8) 1997年8月「【戦略の研究】決断(5)花王 17期連続増収増益を支えた「販社制度」」 / 山田泰造
    • [35]販社は大手スーパーの出店エリア広域化などを背景に合併・統合を重ね、1997年時点で北海道〜九州の8エリアの広域販社体制
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
    • [36]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [37]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [38]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
    • [39]1991年のFD全世界売上約250億円(日立マクセル約350億円)。海外OEM中心で1988年7月米国メーカー買収・1990年3月スペイン工場稼働。シェアはカナダ約30%・米国約20%・日本8%。米国市場約12億枚(1991年)は1桁成長へ、国内2DDは1枚300円から130円台へ。佐々木住明副社長が第1フェーズ終了としKAOブランドの国内浸透へ
  • 証券アナリストジャーナル 別冊32(11) 1994年11月 / 渡邉正太郎
    • [40]FD参入はエレクトロニクスの世界を手がけるためで、粉体処理・界面化学の技術が生きる。FDで食べられるのはマルチメディアの花が咲くもっと先(渡邉正太郎副社長)

1994年〜PB洗剤とP&Gに挟まれた国内と、800億円の情報事業からの撤退

1993年9月にダイエーがPB洗剤「ホワイト」を発売し、1994年4月にはイトーヨーカ堂も続いた。1.5kg入りで348円と、希望小売価格870円の「アタック」の半値以下だった。花王は1994年、アタックを1.6kgへ増量し、価格を据え置いて東北で試験販売した。渡邉正太郎副社長は1994年、PBが有利になるのは原材料が値下がりする局面だと分析した。研究開発と大型設備を持たないPBは紙おむつのような製品に追随できないとして、技術開発と合理化で応じるとした。アタックの店頭の平均売価は、1995年2月に437円と1年で66円下がった。花王は1995年1月、洗剤製法の特許を根拠に、小売業や製造業者20社弱へ侵害の恐れを問う質問状を送った。

  • 日経ビジネス 1994年6月20日号
    • [41]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
    • [42]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
    • [43]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
  • 証券アナリストジャーナル 別冊32(11) 1994年11月 / 渡邉正太郎
    • [44]PBが有利なのは原材料が下がるとき。研究開発を持たず大型設備投資もできないPBは紙おむつのような技術革新の多い分野に追随できない。技術開発と合理化努力で対応するのが基本姿勢(渡邉正太郎副社長、1994年)
    • [45]PBが有利なのは原材料が下がるとき。研究開発を持たず大型設備投資もできないPBは紙おむつのような技術革新の多い分野に追随できない。技術開発と合理化努力で対応するのが基本姿勢(渡邉正太郎副社長、1994年)
  • 日経ビジネス 1995年3月27日号
    • [46]1995年1月、洗剤の製法特許を侵害する可能性があるとして小売業・製造業者20社弱に質問状。アタックの1995年2月の平均売価437円(前年比66円低下)
    • [47]1995年1月、洗剤の製法特許を侵害する可能性があるとして小売業・製造業者20社弱に質問状。アタックの1995年2月の平均売価437円(前年比66円低下)

1964年に初の海外現地法人を置いたタイで、花王のシャンプーのシェアは1990年代に3%台まで下がっていた。花王は1990年暮れに研究所長を送り込み、冷水で洗うタイの生活に合わせた新「フェザー」を1993年秋に発売した。価格は10バーツに据え置いたまま、容量を50ccから100ccへ倍にした。月販は100万本から300万本へ増え、自社物流と18の営業所も整えて、トイレタリーのシェアは15%に上がった。それでも首位のユニリーバは30%のシェアを占めていた。1993年8月には上海花王を設立し、中国へ進出した。中国ではP&Gが1994年10月時点で約2億ドルの事業を持ち、忌部和也副社長はアジアへの資源投入を急ぐとした。

  • 日経ビジネス 1995年1月2日号
    • [48]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [49]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [50]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [51]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [52]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
    • [53]1993年8月に上海花王有限公司を設立
  • 日経ビジネス 1995年7月31日号
    • [54]P&Gの中国事業は1994年10月時点で約2億ドル。忌部和也副社長はアジアにヒト・モノ・カネを急いで投入し、海外売上比率を4分の1弱から2分の1へ高めたい考え

1997年6月、化学品事業本部長を務めた専務の後藤卓也氏が、副社長3人と筆頭専務を飛び越して社長に就任した。1998年3月期に17期続いた増収増益が途切れ、後藤卓也社長は流通の競争による値下がりと情報事業の整理を理由に挙げた。後藤卓也社長は、4本目の収益源と位置づけた情報事業を外し、トイレタリー・化粧品・化学品に力を入れるとした。情報関連事業は1998年度に売上高が277億円減って484億円となり、期末までに全事業を終えた。撤退の特別損失238億円を家庭用製品の増益で吸収し、1999年3月期の当期純利益は347億円と41.7%増えた。後藤卓也社長は後に、メディアしか持たない事業は市場の変化に振り回されたと振り返った『花王の情報事業はフロッピーディスクなどのメディアだけで、ハードもソフトも持っていないわけです。』。本業に資源を集めてP&Gとユニリーバの欧米2強に対抗する前提が、ここで整ったのだろう。

  • 日経ビジネス 1997年9月8日号
    • [55]1997年6月、化学品事業本部長を経た専務の後藤卓也氏が副社長3人と筆頭専務を飛び越して社長就任。主力の家庭用品の経験はない
  • 日化協月報 51(8) 1998年8月「クローズアップ 社長インタビュー 後藤卓也(花王(株)社長)」 / 粂美奈子
    • [56]17期連続増収増益が1998年3月期で途切れた。理由は消費需要の不振、流通競争激化による価格下落、情報事業の整理。4本目の柱と考えた情報事業を再編成し、トイレタリー・化粧品・化学品に注力(後藤卓也社長)
    • [57]17期連続増収増益が1998年3月期で途切れた。理由は消費需要の不振、流通競争激化による価格下落、情報事業の整理。4本目の柱と考えた情報事業を再編成し、トイレタリー・化粧品・化学品に注力(後藤卓也社長)
  • 花王 平成11年3月期 連結決算短信(1999年4月22日)
    • [58]情報関連事業の全事業を終結、売上高は277億円減の484億円。特別損失238億円を計上し、当期純利益は41.7%増の347億円
    • [59]情報関連事業の全事業を終結、売上高は277億円減の484億円。特別損失238億円を計上し、当期純利益は41.7%増の347億円
  • 日経ビジネス 1999年6月14日号 編集長インタビュー 後藤卓也
    • [60]売上高800億円の情報事業から撤退。メディアだけでハードもソフトも持たず変化に振り回された
参考文献[41]-[60]
  • 日経ビジネス 1994年6月20日号
    • [41]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
    • [42]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
    • [43]1993年9月ダイエー、1994年4月イトーヨーカ堂がPB洗剤(1.5kg 348円、アタック870円の半値以下)を発売。花王はアタックを1.6kgに増量し価格据え置きで東北で試験販売
  • 証券アナリストジャーナル 別冊32(11) 1994年11月 / 渡邉正太郎
    • [44]PBが有利なのは原材料が下がるとき。研究開発を持たず大型設備投資もできないPBは紙おむつのような技術革新の多い分野に追随できない。技術開発と合理化努力で対応するのが基本姿勢(渡邉正太郎副社長、1994年)
    • [45]PBが有利なのは原材料が下がるとき。研究開発を持たず大型設備投資もできないPBは紙おむつのような技術革新の多い分野に追随できない。技術開発と合理化努力で対応するのが基本姿勢(渡邉正太郎副社長、1994年)
  • 日経ビジネス 1995年3月27日号
    • [46]1995年1月、洗剤の製法特許を侵害する可能性があるとして小売業・製造業者20社弱に質問状。アタックの1995年2月の平均売価437円(前年比66円低下)
    • [47]1995年1月、洗剤の製法特許を侵害する可能性があるとして小売業・製造業者20社弱に質問状。アタックの1995年2月の平均売価437円(前年比66円低下)
  • 日経ビジネス 1995年1月2日号
    • [48]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [49]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [50]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [51]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
    • [52]1964年タイ営業子会社が初の海外現地法人。シャンプーシェアは90年代に3%台、1993年秋の新フェザーは10バーツ据え置きで50ccから100ccへ倍増し、月100万本から300万本。1991年末から自社物流・営業所18か所、トイレタリーシェア10%未満から15%(ユニリーバ30%)
  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
    • [53]1993年8月に上海花王有限公司を設立
  • 日経ビジネス 1995年7月31日号
    • [54]P&Gの中国事業は1994年10月時点で約2億ドル。忌部和也副社長はアジアにヒト・モノ・カネを急いで投入し、海外売上比率を4分の1弱から2分の1へ高めたい考え
  • 日経ビジネス 1997年9月8日号
    • [55]1997年6月、化学品事業本部長を経た専務の後藤卓也氏が副社長3人と筆頭専務を飛び越して社長就任。主力の家庭用品の経験はない
  • 日化協月報 51(8) 1998年8月「クローズアップ 社長インタビュー 後藤卓也(花王(株)社長)」 / 粂美奈子
    • [56]17期連続増収増益が1998年3月期で途切れた。理由は消費需要の不振、流通競争激化による価格下落、情報事業の整理。4本目の柱と考えた情報事業を再編成し、トイレタリー・化粧品・化学品に注力(後藤卓也社長)
    • [57]17期連続増収増益が1998年3月期で途切れた。理由は消費需要の不振、流通競争激化による価格下落、情報事業の整理。4本目の柱と考えた情報事業を再編成し、トイレタリー・化粧品・化学品に注力(後藤卓也社長)
  • 花王 平成11年3月期 連結決算短信(1999年4月22日)
    • [58]情報関連事業の全事業を終結、売上高は277億円減の484億円。特別損失238億円を計上し、当期純利益は41.7%増の347億円
    • [59]情報関連事業の全事業を終結、売上高は277億円減の484億円。特別損失238億円を計上し、当期純利益は41.7%増の347億円
  • 日経ビジネス 1999年6月14日号 編集長インタビュー 後藤卓也
    • [60]売上高800億円の情報事業から撤退。メディアだけでハードもソフトも持たず変化に振り回された

1985年〜1998年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1985年03月期 単体 3,698 n/a 164 72 2.0% n/a
1986年03月期 単体 4,057 +9.7% n/a n/a n/a n/a
1987年03月期 単体 4,411 +8.7% n/a n/a n/a n/a
1988年03月期 単体 4,900 +11.1% n/a n/a n/a n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 連結 7,298 n/a n/a 200 2.7% n/a
1993年03月期 連結 7,712 +5.7% n/a 204 2.6% n/a
1994年03月期 連結 7,738 +0.3% n/a 221 2.9% n/a
1995年03月期 連結 7,967 +3.0% n/a 236 3.0% n/a
1996年03月期 連結 8,355 +4.9% n/a 245 2.9% n/a
1997年03月期 連結 9,014 +7.9% n/a 275 3.1% n/a
1998年03月期 連結 9,072 +0.6% n/a 244 2.7% n/a

出所:会社年鑑、日経ビジネス

出典・参考

23件
出典・参考
  • 花王 平成11年3月期 連結決算短信(1999年4月22日)
  • 花王 有価証券報告書(2025年12月期)「沿革」
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年(渡邊正太郎専務 講演要旨)
  • 日経ビジネス 1985年11月18日号
  • 日経ビジネス 1988年2月15日号
  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
  • 日経ビジネス 1989年8月14日号
  • 日経ビジネス 1990年8月27日号
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号
  • 日経ビジネス 1992年12月7日号 編集長インタビュー 常盤文克
  • 日経ビジネス 1993年6月7日号
  • 証券アナリストジャーナル 別冊32(11) 1994年11月 / 渡邉正太郎
  • 日経ビジネス 1994年6月20日号
  • 日経ビジネス 1995年3月27日号
  • 日経ビジネス 1995年1月2日号
  • 日経ビジネス 1995年7月31日号
  • 日経ビジネス 1997年9月8日号
  • 日経ビジネス 1999年6月14日号 編集長インタビュー 後藤卓也
  • 証券調査 178 1985年7月「花王石鹼(60年10月「花王」に社名変更)」 / 新日本証券
  • RIRI流通産業 21(5) 1989年5月「製造から販売まで一貫して把握した統合へ――花王の流通政策強化の狙い」 / 野間潔
  • 日化協月報 46(1) 1993年1月「クローズアップ 社長インタビュー 常盤文克(花王㈱社長)」 / 山内喜美子
  • Best partner 9(8) 1997年8月「【戦略の研究】決断(5)花王 17期連続増収増益を支えた「販社制度」」 / 山田泰造
  • 日化協月報 51(8) 1998年8月「クローズアップ 社長インタビュー 後藤卓也(花王(株)社長)」 / 粂美奈子

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