第3章 年〜年

花王:再販契約による販社網の構築とメリーズ・化粧品への参入

1964年〜代理店1,360店を組み替えた小売店との再販契約と、地域ごとに立てた花王販社

1964年の花王石鹸は、家庭用洗剤を代理店1,360店から小売店20万軒へ流していた。代理店経由の経路では、問屋どうしが値引きと割戻しで売り先を奪い合った。福島正雄社長は1966年、値引割戻による販売促進は双方の倒産まで止まらないと論じ、流通機構の整備を説いた。スーパーは洗剤を客寄せの安売り品に使い、問屋のマージンはほぼ消えていた。洗剤の需要が年率5割で伸びても、問屋の収益と資本の蓄積は伸びなかった。複雑な流通経路が、スーパーの安売りの材料になっていたためだった。花王石鹸は石鹸と洗剤を再販売価格維持の指定品目に入れさせ、1965年から値引きした小売店への出荷を止められる立場を得た。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「花王」
    • [1]1964年版時点で家庭用洗剤は国内生産の50%・業界1位、製品は1,360店を通じ20万軒の小売店で販売
  • 新日本経済 30(1) 1966年
    • [2]福島正雄社長が1966年、値引・割戻制による販売促進は双方の倒産を招く双刃の剣で、流通機構の整備で販路を拡大すべきと論じた
    • [3]福島正雄社長が1966年、値引・割戻制による販売促進は双方の倒産を招く双刃の剣で、流通機構の整備で販路を拡大すべきと論じた
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [4]1966年当時スーパーの値下げ競争で問屋マージンがほぼゼロとなり、洗剤・石鹸を再販指定品目にさせた。1965〜1973年は再販製品で値引き店への出荷停止ができた
    • [7]1966年当時スーパーの値下げ競争で問屋マージンがほぼゼロとなり、洗剤・石鹸を再販指定品目にさせた。1965〜1973年は再販製品で値引き店への出荷停止ができた
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [5]販社構想時、洗剤需要は年率5割で伸びたが問屋の収益は伸び悩み資本蓄積が進まず、複雑な流通経路がスーパーの目玉商品のタネになっていた(丸田芳郎氏の説明)
    • [6]販社構想時、洗剤需要は年率5割で伸びたが問屋の収益は伸び悩み資本蓄積が進まず、複雑な流通経路がスーパーの目玉商品のタネになっていた(丸田芳郎氏の説明)

再販の値を店頭で守らせる担い手として、花王石鹸は1966年ごろから花王製品だけを扱う販売会社(販社)を地区ごとに設けた。販社は従来の取扱問屋が地区別に運転資金を持ち寄って設立し、花王石鹸はほとんど出資しなかった。1968年6月以降に発売した新製品は販社だけに流し、販社に出資しない卸には扱わせなかった。取引条件の差を不当とする卸は、1968年11月に公正取引委員会へ申告書を出した。東京都内では200の問屋が販社粉砕協議会を結成した。切り替えで出荷が滞り、洗剤シェアは1969年から1971年まで首位をライオン油脂に譲った。販社は1969年に全国で100社を超え、合併による大型化へ進んだ。洗剤シェアは1972年から1973年に首位へ回復した。

  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [8]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
    • [12]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
    • [15]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号
    • [9]販社は問屋が運転資金を持ち寄り花王はほとんど出資せず。1969〜1971年の3年間は洗剤シェア首位を譲った(丸田芳郎社長の説明)
    • [13]販社は問屋が運転資金を持ち寄り花王はほとんど出資せず。1969〜1971年の3年間は洗剤シェア首位を譲った(丸田芳郎社長の説明)
  • 公正取引情報 282 1969年10月29日「流通経路合理化による系列化の波紋=花王販社の場合=」
    • [10]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出
    • [11]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出
    • [14]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出

1971年10月、伊藤英三社長の病死を受けて丸田芳郎副社長が社長に就任した。丸田芳郎氏は桐生高等工業学校で応用化学を修め、航空潤滑油の合成で京都大学から工学博士号を得た技術者だった。販社づくりを自ら指揮したのも丸田芳郎氏で、狙いは流通経路の確保と値崩れの防止にあった。丸田芳郎氏は導入の動機を、流通を近代化しなければP&Gをはじめとする巨大外資に対抗できないためと説明した。丸田芳郎氏によれば、花王石鹸は1968年ごろに年15〜20%の成長を前提とする考えを改め、省力化と公害防止・安全に取り組んだ。販社による価格の安定と工程の省力化を、次の投資の元手に充てる考えだったと思われる。

  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
    • [16]丸田芳郎氏は桐生高工応用化学科卒、1948年京大で工学博士、1971年10月に病死した伊藤英三前社長の後を継ぎ社長就任
    • [17]丸田芳郎氏は桐生高工応用化学科卒、1948年京大で工学博士、1971年10月に病死した伊藤英三前社長の後を継ぎ社長就任
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [18]販社体制の生みの親は丸田芳郎社長で、狙いは流通ルートの確保と値崩れ防止
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [19]販社づくりを自ら指揮した丸田芳郎社長が、流通近代化で値崩れを防がなければP&Gなど巨大外資に対抗できないと動機を説明
  • 日経ビジネス 1977年2月28日号
    • [20]1968年ごろまでの年15〜20%成長の考え方を改め、省力化・公害防止・安全に取り組んだ(丸田芳郎社長)
参考文献[1]-[20]
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「花王」
    • [1]1964年版時点で家庭用洗剤は国内生産の50%・業界1位、製品は1,360店を通じ20万軒の小売店で販売
  • 新日本経済 30(1) 1966年
    • [2]福島正雄社長が1966年、値引・割戻制による販売促進は双方の倒産を招く双刃の剣で、流通機構の整備で販路を拡大すべきと論じた
    • [3]福島正雄社長が1966年、値引・割戻制による販売促進は双方の倒産を招く双刃の剣で、流通機構の整備で販路を拡大すべきと論じた
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [4]1966年当時スーパーの値下げ競争で問屋マージンがほぼゼロとなり、洗剤・石鹸を再販指定品目にさせた。1965〜1973年は再販製品で値引き店への出荷停止ができた
    • [7]1966年当時スーパーの値下げ競争で問屋マージンがほぼゼロとなり、洗剤・石鹸を再販指定品目にさせた。1965〜1973年は再販製品で値引き店への出荷停止ができた
    • [18]販社体制の生みの親は丸田芳郎社長で、狙いは流通ルートの確保と値崩れ防止
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [5]販社構想時、洗剤需要は年率5割で伸びたが問屋の収益は伸び悩み資本蓄積が進まず、複雑な流通経路がスーパーの目玉商品のタネになっていた(丸田芳郎氏の説明)
    • [6]販社構想時、洗剤需要は年率5割で伸びたが問屋の収益は伸び悩み資本蓄積が進まず、複雑な流通経路がスーパーの目玉商品のタネになっていた(丸田芳郎氏の説明)
    • [8]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
    • [12]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
    • [15]花王販社は取扱問屋が地区別に共同出資した花王製品専売の卸機構で、1966年に着手し1974年時点で99社。都内200問屋が販社粉砕協議会を結成。1972〜73年に洗剤首位を奪還
    • [19]販社づくりを自ら指揮した丸田芳郎社長が、流通近代化で値崩れを防がなければP&Gなど巨大外資に対抗できないと動機を説明
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号
    • [9]販社は問屋が運転資金を持ち寄り花王はほとんど出資せず。1969〜1971年の3年間は洗剤シェア首位を譲った(丸田芳郎社長の説明)
    • [13]販社は問屋が運転資金を持ち寄り花王はほとんど出資せず。1969〜1971年の3年間は洗剤シェア首位を譲った(丸田芳郎社長の説明)
  • 公正取引情報 282 1969年10月29日「流通経路合理化による系列化の波紋=花王販社の場合=」
    • [10]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出
    • [11]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出
    • [14]販社づくりは昭和41年頃から始まり1969年に全国百余店、合同販社で大型化へ。販社は花王石鹸と資本関係なし。1968年6月以降発売のシリーズ製品は販社経由に限り、販社に資本参加しない卸は扱えない。1968年11月に一卸店が公取委へ申告書を提出
  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
    • [16]丸田芳郎氏は桐生高工応用化学科卒、1948年京大で工学博士、1971年10月に病死した伊藤英三前社長の後を継ぎ社長就任
    • [17]丸田芳郎氏は桐生高工応用化学科卒、1948年京大で工学博士、1971年10月に病死した伊藤英三前社長の後を継ぎ社長就任
  • 日経ビジネス 1977年2月28日号
    • [20]1968年ごろまでの年15〜20%成長の考え方を改め、省力化・公害防止・安全に取り組んだ(丸田芳郎社長)

1972年〜洗剤パニックで浴びた値上げ批判と、販社と工場を結ぶオンライン物流

1973年10月末に大阪・千里で始まった洗剤の買いだめ騒ぎは全国に広がり、メーカーの売り惜しみが原因と批判された。花王石鹸は同年11月7日に一部の大手問屋へ値上げを予告し、12月5日に台所用洗剤マイペットを200円から250円に改めた。主力のザブとニュービーズは、1974年1月1日に2.65kg入りを500円から600円へ引き上げた。丸田芳郎社長は、16年間据え置いた洗剤の原材料が平均65%上がったことを理由に挙げた。同年2月22日の衆議院予算委員会では、花王石鹸の販売レポートが品不足の一因として示された。花王石鹸は7,000世帯の購買調査で買い急ぎが主因と反論し、5月16日には東京都知事を提訴した。1974年9月1日、自ら返上した洗剤と石鹸の再販指定が外れた。

  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [21]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
    • [26]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
    • [27]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
  • 新評 21(4) 1974年4月「企業インサイド・レポート 洗剤パニックの元凶 花王石鹸値上げの舞台裏」 / 勝田健
    • [22]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [23]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [24]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [25]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及

再販の拘束が外れた後、花王石鹸は販社と工場の間の在庫と配送を詰めて価格を保った。花王石鹸は1968年に業界で初めて受注・出荷・在庫をオンラインで処理し、1971年末から販社へ小型計算機を入れた。1974年5月には都内4販社で、注文ではなく販社の売上報告を基に本社が補充量を決める方式を始めた。販社の在庫は花王石鹸の在庫とみなし、販社が小売へ売った日に本社の売上を立てた。同じ年の5〜6月には、川崎・和歌山両工場の自動倉庫が完成した。1977年度からの本格稼働で、花王と販社の合計在庫は1.4カ月分から0.9カ月分に減った。1979年度の物流コストは推定で売上高の8.2%と、ライオンの12%を下回った。

  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [28]1977年度から本社・工場・販社を本格オンライン化し合計在庫1.4→0.9カ月。再販外れ後は販社社員が小売店を週1回〜10日に1回訪問し値崩れ防止を依頼
    • [33]1977年度から本社・工場・販社を本格オンライン化し合計在庫1.4→0.9カ月。再販外れ後は販社社員が小売店を週1回〜10日に1回訪問し値崩れ防止を依頼
  • 日化協月報 27(12) 1974年12月「花王石鹼の総合オンライン物流システムについて」 / 宮坂忠文
    • [29]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
    • [30]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
    • [31]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [32]1974年5〜6月に川崎・和歌山工場の自動倉庫完成、東京・大阪地区で本社・工場・販社のオンライン化試験開始、総投資200億円計画
  • 日経ビジネス 1980年6月30日号
    • [34]1979年度物流コスト売上比8.2%(推定、ライオン12%)

価格維持で利益が安定した花王石鹸は、1977年に設備投資を減価償却の範囲に抑える方針を改めた。1960年代まで借入金を持たずに収益の範囲で投資してきたが、研究開発の強化に要る投資は外部資金でも賄う方針に転じた。4年間で600億円を投じる計画を掲げ、1976年には丸田芳郎社長を本部長とする研究開発本部を発足させた。1978年から1980年の3年間に1,200億円を投じ、鹿島工場の新設と和歌山工場の増強で中間原料の能力を高めた。脂肪酸の年産能力は5万トンから12万トンに増えた。1979年8月、丸田芳郎社長は九州工場を翌年中にほぼ無人化し、24時間365日の自動運転に移すと明らかにした。償却を終えた後に欧米市場へ進む順序も示した。合理化で余る500〜600人は研究所へ配置換えする方針だった。

  • 日経ビジネス 1977年2月28日号
    • [35]オイルショック以来償却内に抑えた設備投資を4年600億円に増額、1976年に丸田芳郎社長を本部長とする研究開発本部発足
    • [37]オイルショック以来償却内に抑えた設備投資を4年600億円に増額、1976年に丸田芳郎社長を本部長とする研究開発本部発足
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [36]昭和40年代まで借入金皆無で設備投資を収益内で実施、石油ショック後の50年代に外部資金調達による積極投資へ転換
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [38]1978〜80年に総額1,200億円を投資し鹿島工場新設・和歌山増強、脂肪酸年産5万→12万トン
    • [39]1978〜80年に総額1,200億円を投資し鹿島工場新設・和歌山増強、脂肪酸年産5万→12万トン
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号
    • [40]1979年度500億円・3年で1,200〜1,300億円の投融資、九州工場を翌年中にほぼ無人化し24時間365日運転、償却後に欧米市場へ(丸田芳郎社長)
    • [41]1979年度500億円・3年で1,200〜1,300億円の投融資、九州工場を翌年中にほぼ無人化し24時間365日運転、償却後に欧米市場へ(丸田芳郎社長)
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [42]合理化で3年間に500〜600人が余り研究所へ回す(丸田芳郎社長)
参考文献[21]-[42]
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
    • [21]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
    • [26]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
    • [27]1973年10月末の洗剤不足騒動で売り惜しみを批判され、7,000世帯調査を公表・配布、1974年3月に丸田芳郎社長が国会で反論、5月16日に都知事を提訴。再販指定を自発返上し9月1日に指定外。1974年3月期の売上高利益率1.6%(従来2.6〜2.7%)
    • [32]1974年5〜6月に川崎・和歌山工場の自動倉庫完成、東京・大阪地区で本社・工場・販社のオンライン化試験開始、総投資200億円計画
  • 新評 21(4) 1974年4月「企業インサイド・レポート 洗剤パニックの元凶 花王石鹸値上げの舞台裏」 / 勝田健
    • [22]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [23]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [24]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
    • [25]花王は1973年11月7日に一部大手問屋へ値上げ予告文書。台所用洗剤マイペット200→250円・ファミリー100→120円を1973年12月5日、ザブ・ニュービーズ2.65kg 500→600円を1974年1月1日に値上げ。丸田芳郎社長は洗剤は16年間値上げせず原材料が平均65%上昇と説明。1974年2月22日衆院予算委で松浦利尚議員が花王の「販売レポート」を示し追及
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
    • [28]1977年度から本社・工場・販社を本格オンライン化し合計在庫1.4→0.9カ月。再販外れ後は販社社員が小売店を週1回〜10日に1回訪問し値崩れ防止を依頼
    • [33]1977年度から本社・工場・販社を本格オンライン化し合計在庫1.4→0.9カ月。再販外れ後は販社社員が小売店を週1回〜10日に1回訪問し値崩れ防止を依頼
    • [42]合理化で3年間に500〜600人が余り研究所へ回す(丸田芳郎社長)
  • 日化協月報 27(12) 1974年12月「花王石鹼の総合オンライン物流システムについて」 / 宮坂忠文
    • [29]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
    • [30]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
    • [31]1968年にUNIVAC-418で業界初のオンライン・リアルタイム受注・出荷・在庫管理。1971年末から販社にミニコン導入(1974年時点約35社)。1974年5月から都内4販社で、注文でなく販社の売上報告で積送するOSシステムを開始。販社在庫を本社在庫とし販社の売上を本社の売上として計上
  • 日経ビジネス 1980年6月30日号
    • [34]1979年度物流コスト売上比8.2%(推定、ライオン12%)
  • 日経ビジネス 1977年2月28日号
    • [35]オイルショック以来償却内に抑えた設備投資を4年600億円に増額、1976年に丸田芳郎社長を本部長とする研究開発本部発足
    • [37]オイルショック以来償却内に抑えた設備投資を4年600億円に増額、1976年に丸田芳郎社長を本部長とする研究開発本部発足
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [36]昭和40年代まで借入金皆無で設備投資を収益内で実施、石油ショック後の50年代に外部資金調達による積極投資へ転換
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [38]1978〜80年に総額1,200億円を投資し鹿島工場新設・和歌山増強、脂肪酸年産5万→12万トン
    • [39]1978〜80年に総額1,200億円を投資し鹿島工場新設・和歌山増強、脂肪酸年産5万→12万トン
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号
    • [40]1979年度500億円・3年で1,200〜1,300億円の投融資、九州工場を翌年中にほぼ無人化し24時間365日運転、償却後に欧米市場へ(丸田芳郎社長)
    • [41]1979年度500億円・3年で1,200〜1,300億円の投融資、九州工場を翌年中にほぼ無人化し24時間365日運転、償却後に欧米市場へ(丸田芳郎社長)

1980年〜ソフィーナで入った化粧品と、メリーズで挑んだ紙おむつ・世界市場

1982年、花王石鹸は高級化粧品ソフィーナを全国で発売し、1本2,000〜3,000円の価格帯に参入した。合弁のニベア花王でスキンクリームは扱っていたが、高価格の化粧品に参入するのは初めてだった。ソフィーナは1980年10月から静岡県でテスト販売し、界面活性剤による乳化の技術から派生させた製品だった。多角化を急いだ背景には、主力の石鹸・洗剤の需要が数量で伸び悩んでいたことがあった。皮膚の天然保湿成分に近い物質を合成し、ソフィーナの特長の一つとした。丸田芳郎社長は気分ではなく皮膚医学上の効用を訴求する方針をとり、発売当初は派手な宣伝を控えた。1984年時点で化粧品部門は年20〜30億円の赤字とされ、丸田芳郎社長は採算を確保するまで5〜6年を見込んだ。

  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [43]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [44]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [45]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [46]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [47]皮膚の天然保湿成分に近い成分の合成に成功し、化粧品ソフィーナの特長の一つとした
  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
    • [48]丸田芳郎社長は化粧品を機能で売る方針で発売当初派手な宣伝をせず、1984年時点で化粧品部門は年20〜30億円の赤字、軌道まで5〜6年を覚悟
    • [49]丸田芳郎社長は化粧品を機能で売る方針で発売当初派手な宣伝をせず、1984年時点で化粧品部門は年20〜30億円の赤字、軌道まで5〜6年を覚悟

化粧品に続き、花王石鹸は生理用品で得た吸水の技術を紙おむつに持ち込み、メリーズを発売した。起点は和歌山の研究所が開発した高分子吸収体で、1980年5月に生理用品ロリエとして全国発売した。ロリエは2年間で24〜25%のシェアを得て、ユニ・チャームに次ぐ業界2位となった。高分子吸収体は1gで400gの水を吸い、メリーズは3回分の尿を吸収する設計とした。丸田芳郎社長は1980年ごろ紙おむつを3年後に製品化すると明言し、経理・資材・設備の部門が開発を後押しした。1984年の日本の紙おむつ普及率は10%と米国の80%を下回り、国内市場は350億円程度だった。花王石鹸は普及が進めば2,000億円の市場になると見込んだ。

  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [50]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [53]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [55]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [56]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [51]和歌山の研究所で高分子吸収体を開発し1980年5月に生理用品ロリエを全国発売、2年でシェア24〜25%・業界2位
    • [52]和歌山の研究所で高分子吸収体を開発し1980年5月に生理用品ロリエを全国発売、2年でシェア24〜25%・業界2位
  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
    • [54]丸田芳郎社長が約4年前に紙おむつを3年後に製品化すると公言し、経理・資材・設備部門が協力

花王石鹸は1964年のタイ進出を皮切りに、台湾・シンガポール・マレーシアで石鹸・洗剤・シャンプーの合弁生産を広げた。スペインとメキシコでは中間原料の脂肪族アミンを生産し、1982年時点でいずれも黒字だった。1977年1月に米コルゲート・パルモリーブと歯磨きの合弁を設け、1980年から同社の販路で米国の一部にヘアケア製品を試験販売した。一方、1984年3月期の売上高3,300億円のうち石鹸は120億円程度で、構成比は3〜4%にとどまった。渡邊正太郎専務は1984年6月、社名が事業の実態を表さなくなったとして社名変更の検討を明らかにした。同じ講演で、各家庭とオンラインで結ぶ双方向の通信販売に備える考えも示した。石鹸の会社でなくなった自覚が、1985年の社名変更と情報事業への参入の前提になったとみられる。

  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [57]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
    • [58]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
    • [59]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [60]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
    • [61]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
    • [62]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
参考文献[43]-[62]
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
    • [43]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [44]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [45]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [46]高級化粧品(1本2,000〜3,000円)を1980年10月から静岡でテスト販売し1982年秋に全国発売、乳化技術から派生。多角化の理由は石鹸・洗剤需要の数量伸び悩み。既に合弁ニベア花王でスキンクリームに進出済みで高級化粧品は初
    • [51]和歌山の研究所で高分子吸収体を開発し1980年5月に生理用品ロリエを全国発売、2年でシェア24〜25%・業界2位
    • [52]和歌山の研究所で高分子吸収体を開発し1980年5月に生理用品ロリエを全国発売、2年でシェア24〜25%・業界2位
    • [57]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
    • [58]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
    • [59]1964年のタイを皮切りに台湾・シンガポール・マレーシア等で合弁、スペイン・メキシコで脂肪族アミン生産しいずれも黒字。1977年1月コルゲートと合弁、1980年から米国でヘアケア試験販売
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
    • [47]皮膚の天然保湿成分に近い成分の合成に成功し、化粧品ソフィーナの特長の一つとした
    • [50]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [53]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [55]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [56]新発売の紙おむつメリーズはロリエの高分子吸収体(1gで400gの水を吸収)を使い3回分の尿を吸収。1984年の日本の普及率10%(米国80%超)、市場350億円程度、普及すれば2,000億円
    • [60]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
    • [61]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
    • [62]1984年3月期売上高3,300億円超のうち石鹸は120億円程度で3〜4%、社名変更を検討中。家庭とオンライン直結の双方向通信販売に備える(1984年6月22日講演)
  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
    • [48]丸田芳郎社長は化粧品を機能で売る方針で発売当初派手な宣伝をせず、1984年時点で化粧品部門は年20〜30億円の赤字、軌道まで5〜6年を覚悟
    • [49]丸田芳郎社長は化粧品を機能で売る方針で発売当初派手な宣伝をせず、1984年時点で化粧品部門は年20〜30億円の赤字、軌道まで5〜6年を覚悟
    • [54]丸田芳郎社長が約4年前に紙おむつを3年後に製品化すると公言し、経理・資材・設備部門が協力

1964年〜1984年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1964年03月期 単体 236 n/a n/a 9 4.1% n/a
1965年03月期 単体 280 +18.6% n/a 8 2.9% n/a
1966年03月期 単体 328 +17.1% n/a 9 2.9% n/a
1967年03月期 単体 392 +19.5% n/a 11 2.9% n/a
1968年03月期 単体 436 +11.2% n/a 12 2.8% n/a
1969年03月期 単体 454 +4.1% n/a 12 2.8% n/a
1970年03月期 単体 501 +10.4% n/a 14 2.9% n/a
1971年03月期 単体 577 +15.2% n/a 15 2.7% n/a
1972年03月期 単体 661 +14.6% n/a 17 2.6% n/a
1973年03月期 単体 837 +26.6% n/a 22 2.7% n/a
1974年03月期 単体 1,166 +39.3% n/a 22 1.9% n/a
1975年03月期 単体 1,420 +21.8% n/a 18 1.3% n/a
1976年03月期 単体 1,469 +3.5% 44 20 1.4% n/a
1977年03月期 単体 1,610 +9.6% 61 27 1.7% n/a
1978年03月期 単体 1,867 +16.0% 73 29 1.6% n/a
1979年03月期 単体 2,142 +14.7% 97 33 1.5% n/a
1980年03月期 単体 2,456 +14.7% 88 36 1.5% n/a
1981年03月期 単体 2,524 +2.8% 88 38 1.5% n/a
1982年03月期 単体 2,806 +11.2% 114 47 1.7% n/a
1983年03月期 単体 3,055 +8.9% 120 55 1.8% n/a
1984年03月期 単体 3,306 +8.2% 132 62 1.9% n/a

出所:会社年鑑、証券投資

出典・参考

13件
出典・参考
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「花王」
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
  • 日経ビジネス 1977年2月28日号
  • 日経ビジネス 1978年7月3日号
  • 日経ビジネス 1979年8月13日号
  • 日経ビジネス 1980年6月30日号
  • 日経ビジネス 1982年3月8日号
  • 日経ビジネス 1984年10月15日号
  • 証券アナリストジャーナル 22(9) 1984年 渡邊正太郎(花王石鹸専務取締役)
  • 新日本経済 30(1) 1966年
  • 公正取引情報 282 1969年10月29日「流通経路合理化による系列化の波紋=花王販社の場合=」
  • 新評 21(4) 1974年4月「企業インサイド・レポート 洗剤パニックの元凶 花王石鹸値上げの舞台裏」 / 勝田健
  • 日化協月報 27(12) 1974年12月「花王石鹼の総合オンライン物流システムについて」 / 宮坂忠文

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