八谷泰造

日本触媒・元取締役社長

Hachiya Taizo(敬称略)

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社長就任 1949年4月
生年月日 1906年1月1日
学歴 大阪帝国大学工学部応用化学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1906年に広島県で生まれ、1932年に大阪帝国大学工学部を卒業して由良染料に入り、1935年にヲサメ硫酸工業へ移った。同社の附属研究所長としてナフタリンの空気酸化による無水フタル酸の企業化に道筋をつけ、1941年8月に資本金18万円のヲサメ合成化学工業として独立させている。設立とともに取締役工場長に就任し、1943年に常務取締役、1948年に工学博士となった。触媒の研究者がそのまま事業の経営へ移った経路である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1949年、ヲサメ硫酸工業を興した納五平氏が退き、八谷泰造氏が社長に就任した。同年4月には商号を日本触媒化学工業へ改めている。就任前の5年間に、1944年3月の吹田工場のプラント爆発で死者を出し、1945年6月には空襲で本社を焼失して吹田へ移転していた。それでも撤退せず再建を選んだ末の交代で、資本を出した側から技術を担った側へトップが移ったと思われる。

在任中の主な施策
施策

1952年11月、塩化ビニール向けの需要が縮んで半期赤字に転落し、原料のナフタリンを納めていた富士製鐵の資本参加で資金難を凌いだ。1959年6月には資本金4.8億円の2倍を超える9.8億円を投じて日本石油化学の川崎コンビナートへ参画し、酸化エチレンの製造を開始する。1960年10月に姫路工場、1967年3月に川崎第二工場を建設し、無水フタル酸で磨いた気相酸化の触媒技術をアクリル酸へ広げる道筋を残した。1970年3月、在任のまま急逝している。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1906〜1970年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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