ステラケミファ:橋本升高堂製薬所の創業とフッ素化合物の製造開始
1916年〜橋本升高堂製薬所の創業と、1930年に始めたフッ素化合物の製造
ステラケミファの源流は、1998年時点の社長・深田純子氏の祖父が1916年に創業した橋本升高堂製薬所にある。深田純子氏は前社長の長女として1994年に社長に就任し、祖父と父に続いて創業家から経営を担った。製薬所の事業を1944年2月に継いだ橋本化成工業株式会社は、本店を大阪府堺市少林寺町に置いた。終戦後の1945年11月には、同じ堺市の少林寺工場で硫酸銅の生産を再開した。フッ素化合物の製造は、創業から14年後の1930年に始まった。再開という記録とフッ素への着手時期から、創業期の製薬所は堺で硫酸銅を含む硫酸塩をつくる無機薬品の工場だったとみられる。
- 長銀総研L 15(8)(175) 1998年8月(編集部・p22-23)
- [1]1916年に現社長(深田純子氏)の祖父が橋本升高堂製薬所を創業し、1930年にフッ素化合物の製造を開始(OCRは「弁高堂」)。深田純子氏は前社長の長女で1994年に社長就任
- [2]1916年に現社長(深田純子氏)の祖父が橋本升高堂製薬所を創業し、1930年にフッ素化合物の製造を開始(OCRは「弁高堂」)。深田純子氏は前社長の長女で1994年に社長就任
- [5]1916年に現社長(深田純子氏)の祖父が橋本升高堂製薬所を創業し、1930年にフッ素化合物の製造を開始(OCRは「弁高堂」)。深田純子氏は前社長の長女で1994年に社長就任
- ステラケミファ 有価証券報告書【沿革】
- [3]1944年2月、合名会社橋本製薬所の事業を継承して橋本化成工業株式会社を大阪府堺市少林寺町に設立。1945年11月、少林寺工場で硫酸銅の生産を再開
- [4]1944年2月、合名会社橋本製薬所の事業を継承して橋本化成工業株式会社を大阪府堺市少林寺町に設立。1945年11月、少林寺工場で硫酸銅の生産を再開
橋本升高堂製薬所は、1930年にフッ素化合物の製造を始めた。フッ素は電気陰性度が全元素で最も大きく、ほぼ全元素と結合しうるため、天然には単体で存在せず、主な産出形態は蛍石などの鉱物。1944年2月には、合名会社橋本製薬所の事業を継承する目的で、資本金40万円の橋本化成工業株式会社が設立された。2000年10月の上場時、社長の深田純子氏はあいさつでフッ素化合物の製造開始を大正5年(1916年)と記し、長銀総研の1998年の記事が示す1930年より14年早い年を挙げた。硫酸塩の製造で得た無機薬品の設備と技術が、反応性の強いフッ素を扱う土台になったと推察される。
- 長銀総研L 15(8)(175) 1998年8月(編集部・p22-23)
- [6]1930年にフッ素化合物の製造を開始。経営は現社長の父親へ渡り、1944年に橋本化成工業株式会社へ改組。フッ素は電気陰性度最大で単体では天然に産出しない。深田純子氏は前社長の長女。主に蛍石として産する
- [7]1930年にフッ素化合物の製造を開始。経営は現社長の父親へ渡り、1944年に橋本化成工業株式会社へ改組。フッ素は電気陰性度最大で単体では天然に産出しない。深田純子氏は前社長の長女。主に蛍石として産する
- ステラケミファ 有価証券報告書【沿革】
- [8]1944年2月、合名会社橋本製薬所の事業を継承するため資本金40万円で橋本化成工業株式会社を設立
- 証券 52(12)(621) 2000年
- [9]2000年10月18日上場時の社長あいさつ(深田純子氏)で、フッ素化合物の製造開始を大正5年(1916年)とする(公式沿革・長銀総研1998の1930年と食い違う。本文は1930年を採る)
参考文献[1]-[9]
- 長銀総研L 15(8)(175) 1998年8月(編集部・p22-23)
- [1]1916年に現社長(深田純子氏)の祖父が橋本升高堂製薬所を創業し、1930年にフッ素化合物の製造を開始(OCRは「弁高堂」)。深田純子氏は前社長の長女で1994年に社長就任
- [2]1916年に現社長(深田純子氏)の祖父が橋本升高堂製薬所を創業し、1930年にフッ素化合物の製造を開始(OCRは「弁高堂」)。深田純子氏は前社長の長女で1994年に社長就任
- [5]1916年に現社長(深田純子氏)の祖父が橋本升高堂製薬所を創業し、1930年にフッ素化合物の製造を開始(OCRは「弁高堂」)。深田純子氏は前社長の長女で1994年に社長就任
- [6]1930年にフッ素化合物の製造を開始。経営は現社長の父親へ渡り、1944年に橋本化成工業株式会社へ改組。フッ素は電気陰性度最大で単体では天然に産出しない。深田純子氏は前社長の長女。主に蛍石として産する
- [7]1930年にフッ素化合物の製造を開始。経営は現社長の父親へ渡り、1944年に橋本化成工業株式会社へ改組。フッ素は電気陰性度最大で単体では天然に産出しない。深田純子氏は前社長の長女。主に蛍石として産する
- ステラケミファ 有価証券報告書【沿革】
- [3]1944年2月、合名会社橋本製薬所の事業を継承して橋本化成工業株式会社を大阪府堺市少林寺町に設立。1945年11月、少林寺工場で硫酸銅の生産を再開
- [4]1944年2月、合名会社橋本製薬所の事業を継承して橋本化成工業株式会社を大阪府堺市少林寺町に設立。1945年11月、少林寺工場で硫酸銅の生産を再開
- [8]1944年2月、合名会社橋本製薬所の事業を継承するため資本金40万円で橋本化成工業株式会社を設立
- 証券 52(12)(621) 2000年
- [9]2000年10月18日上場時の社長あいさつ(深田純子氏)で、フッ素化合物の製造開始を大正5年(1916年)とする(公式沿革・長銀総研1998の1930年と食い違う。本文は1930年を採る)
出典・参考
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- ステラケミファ 有価証券報告書【沿革】
- 長銀総研L 15(8)(175) 1998年8月(編集部・p22-23)
- 証券 52(12)(621) 2000年