第1章 年〜年

ダイトウボウ:東京モスリン紡織の設立と羊毛一貫工程の確立

1896年〜三井高保氏ら21人の資本金100万円と、月120万ヤードの羊毛一貫工場

東京モスリン紡織は1896年2月、資本金100万円で設立された。出資者は三井銀行総長の三井高保氏、日本橋で洋反物を商う松村甚兵衛氏ら21人。設立の目的はモスリンを国内で織ることにあり、当時の羊毛工業はまだ育ち始めた段階にあった。東京府吾嬬村に工場を建設し、原料のトップを海外から輸入して毛糸とモスリンを造った。吾嬬村の工場は、国内で大規模にモスリンを製造した最初の工場にあたる。銀行と反物の流通を担う人々が並んだ顔ぶれには、輸入品が占める市場を国産品で置き換える狙いが表れていた。

  • 有価証券報告書 FY25 沿革
    • [1]1896年2月 資本金100万円で東京モスリン紡織株式会社を設立
  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)
    • [2]1896年2月、国産モスリン製織を目的に三井高保(三井銀行総長)・松村甚兵衛(日本橋洋反物商)ら21人が資本金100万円で東京モスリン紡織を設立。吾嬬村工場で輸入トップから毛糸・モスリンを製造し、国内大規模モスリン工場の最初となった
    • [3]1896年2月、国産モスリン製織を目的に三井高保(三井銀行総長)・松村甚兵衛(日本橋洋反物商)ら21人が資本金100万円で東京モスリン紡織を設立。吾嬬村工場で輸入トップから毛糸・モスリンを製造し、国内大規模モスリン工場の最初となった
    • [4]1896年2月、国産モスリン製織を目的に三井高保(三井銀行総長)・松村甚兵衛(日本橋洋反物商)ら21人が資本金100万円で東京モスリン紡織を設立。吾嬬村工場で輸入トップから毛糸・モスリンを製造し、国内大規模モスリン工場の最初となった
    • [5]1896年2月、国産モスリン製織を目的に三井高保(三井銀行総長)・松村甚兵衛(日本橋洋反物商)ら21人が資本金100万円で東京モスリン紡織を設立。吾嬬村工場で輸入トップから毛糸・モスリンを製造し、国内大規模モスリン工場の最初となった

東京モスリン紡織は創業後に設備を順次拡充し、生産量を増やし続けた。1907年4月、資本金を200万円へ増資。1911年9月には羊毛トップの製造を始めた。洗毛とトップ製造の設備は同業他社より先に新設したもので、原毛の洗浄から織物までを1社で通す一貫工場ができた。モスリンの生産は月平均120万ヤードに達し、創業時の約10倍の規模になった。輸入トップを加工する工程のままでは原料の量と質を海外の加工に委ねることになるため、上流の工程を社内に取り込んで量産の制約を外したとみられる。

  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)
    • [6]1911年、他社に先んじて洗毛・トップ製造設備を新設し一貫工場化。モスリン生産は月平均120万ヤード(創業時の約10倍)
    • [9]1911年、他社に先んじて洗毛・トップ製造設備を新設し一貫工場化。モスリン生産は月平均120万ヤード(創業時の約10倍)
    • [10]1911年、他社に先んじて洗毛・トップ製造設備を新設し一貫工場化。モスリン生産は月平均120万ヤード(創業時の約10倍)
  • 株式会社年鑑 1950年版「大東紡織」
    • [7]1907年4月 資本金200万円に増資
  • 有価証券報告書 FY25 沿革
    • [8]1911年9月 羊毛トップ製造開始
参考文献[1]-[10]
  • 有価証券報告書 FY25 沿革
    • [1]1896年2月 資本金100万円で東京モスリン紡織株式会社を設立
    • [8]1911年9月 羊毛トップ製造開始
  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)
    • [2]1896年2月、国産モスリン製織を目的に三井高保(三井銀行総長)・松村甚兵衛(日本橋洋反物商)ら21人が資本金100万円で東京モスリン紡織を設立。吾嬬村工場で輸入トップから毛糸・モスリンを製造し、国内大規模モスリン工場の最初となった
    • [3]1896年2月、国産モスリン製織を目的に三井高保(三井銀行総長)・松村甚兵衛(日本橋洋反物商)ら21人が資本金100万円で東京モスリン紡織を設立。吾嬬村工場で輸入トップから毛糸・モスリンを製造し、国内大規模モスリン工場の最初となった
    • [4]1896年2月、国産モスリン製織を目的に三井高保(三井銀行総長)・松村甚兵衛(日本橋洋反物商)ら21人が資本金100万円で東京モスリン紡織を設立。吾嬬村工場で輸入トップから毛糸・モスリンを製造し、国内大規模モスリン工場の最初となった
    • [5]1896年2月、国産モスリン製織を目的に三井高保(三井銀行総長)・松村甚兵衛(日本橋洋反物商)ら21人が資本金100万円で東京モスリン紡織を設立。吾嬬村工場で輸入トップから毛糸・モスリンを製造し、国内大規模モスリン工場の最初となった
    • [6]1911年、他社に先んじて洗毛・トップ製造設備を新設し一貫工場化。モスリン生産は月平均120万ヤード(創業時の約10倍)
    • [9]1911年、他社に先んじて洗毛・トップ製造設備を新設し一貫工場化。モスリン生産は月平均120万ヤード(創業時の約10倍)
    • [10]1911年、他社に先んじて洗毛・トップ製造設備を新設し一貫工場化。モスリン生産は月平均120万ヤード(創業時の約10倍)
  • 株式会社年鑑 1950年版「大東紡織」
    • [7]1907年4月 資本金200万円に増資

1912年〜東京キャリコ製織の合併による資本金1500万円と、名古屋製絨工場のラシャ

東京モスリン紡織は1920年、名古屋で絹紡工場を新たに建て、絹紡糸と絹紡織物の製造を始めた。前年の1919年4月には資本金を1000万円へ増資していた。1916年4月に400万円へ増資しており、資本金は3年で2.5倍に増えた。それまでの製品は吾嬬村の工場で造る毛糸とモスリンが中心で、生産拠点は東京にあった。名古屋の絹紡工場が、羊毛以外の繊維を扱う最初の拠点である。増資で得た資金を東京の外の新しい品種に振り向け、モスリン1品種への依存を下げようとしたと推察される。

  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)
    • [11]1920年(大正9年)名古屋に絹紡工場を新設し、絹紡糸・絹紡織物の製造を開始。それ以前は吾嬬工場で毛糸・モスリンを製造
    • [14]1920年(大正9年)名古屋に絹紡工場を新設し、絹紡糸・絹紡織物の製造を開始。それ以前は吾嬬工場で毛糸・モスリンを製造
    • [15]1920年(大正9年)名古屋に絹紡工場を新設し、絹紡糸・絹紡織物の製造を開始。それ以前は吾嬬工場で毛糸・モスリンを製造
  • 株式会社年鑑 1950年版「大東紡織」
    • [12]1916年4月 資本金400万円、1919年4月 資本金1000万円に増資
    • [13]1916年4月 資本金400万円、1919年4月 資本金1000万円に増資

東京モスリン紡織は1921年6月、東京キャリコ製織を合併した。合併に伴う増資は500万円で、資本金は1000万円から1500万円となった。合併後は亀戸と三島の両工場で綿糸と綿織物を造り、綿布の仕上げも兼ねた。前年に名古屋で始めた絹紡と合わせ、羊毛・綿・絹の3系統の繊維を1社で扱うようになった。1896年の創業から25年で、モスリン専業の会社は複数の繊維を持つ紡織会社に変わった。綿の工場を一から建てるより、稼働している会社を合併する方が早く品種を揃えられると判断したのだろう。

  • 有価証券報告書 FY25 沿革
    • [16]1921年6月 東京キャリコ製織株式会社を合併
  • 株式会社年鑑 1950年版「大東紡織」
    • [17]1921年6月 東京キャラコ製織を合併し資本金500万円を増資
  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)
    • [18]東京キャリコ製織を合併して資本金1500万円となり、亀戸・三島両工場で綿糸・綿織物の製造と綿布の仕上げを兼営
    • [19]東京キャリコ製織を合併して資本金1500万円となり、亀戸・三島両工場で綿糸・綿織物の製造と綿布の仕上げを兼営
    • [20]東京キャリコ製織を合併して資本金1500万円となり、亀戸・三島両工場で綿糸・綿織物の製造と綿布の仕上げを兼営

名古屋製絨工場は1923年2月に操業を始めた。場所は1920年に新設した名古屋の絹紡工場の近接地で、服地やラシャを織る工場である。これで製品は、毛糸・モスリン・ラシャから綿糸・綿布・絹紡糸・絹紡織物までの各種繊維製品に広がった。生産拠点は東京の吾嬬と亀戸、三島、名古屋の絹紡工場と製絨工場の5カ所になった。名古屋製絨工場は、関東大震災の7カ月前に東京の外で動き出した毛織物の工場だった。服地とラシャという別の毛織物を名古屋に持ったことが、東京の工場が被災した後の生産を支えたと思われる。

  • 有価証券報告書 FY25 沿革
    • [21]1923年2月 名古屋製絨工場 操業開始
  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)
    • [22]1923年(大正12年)絹紡工場の近接地に名古屋工場を開設し服地・ラシャを製織。毛糸・モスリン・ラシャ・綿糸・綿布・絹紡糸・絹紡織物を製造する会社となる
    • [23]1923年(大正12年)絹紡工場の近接地に名古屋工場を開設し服地・ラシャを製織。毛糸・モスリン・ラシャ・綿糸・綿布・絹紡糸・絹紡織物を製造する会社となる
    • [24]1923年(大正12年)絹紡工場の近接地に名古屋工場を開設し服地・ラシャを製織。毛糸・モスリン・ラシャ・綿糸・綿布・絹紡糸・絹紡織物を製造する会社となる
    • [25]1923年(大正12年)絹紡工場の近接地に名古屋工場を開設し服地・ラシャを製織。毛糸・モスリン・ラシャ・綿糸・綿布・絹紡糸・絹紡織物を製造する会社となる
参考文献[11]-[25]
  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)
    • [11]1920年(大正9年)名古屋に絹紡工場を新設し、絹紡糸・絹紡織物の製造を開始。それ以前は吾嬬工場で毛糸・モスリンを製造
    • [14]1920年(大正9年)名古屋に絹紡工場を新設し、絹紡糸・絹紡織物の製造を開始。それ以前は吾嬬工場で毛糸・モスリンを製造
    • [15]1920年(大正9年)名古屋に絹紡工場を新設し、絹紡糸・絹紡織物の製造を開始。それ以前は吾嬬工場で毛糸・モスリンを製造
    • [18]東京キャリコ製織を合併して資本金1500万円となり、亀戸・三島両工場で綿糸・綿織物の製造と綿布の仕上げを兼営
    • [19]東京キャリコ製織を合併して資本金1500万円となり、亀戸・三島両工場で綿糸・綿織物の製造と綿布の仕上げを兼営
    • [20]東京キャリコ製織を合併して資本金1500万円となり、亀戸・三島両工場で綿糸・綿織物の製造と綿布の仕上げを兼営
    • [22]1923年(大正12年)絹紡工場の近接地に名古屋工場を開設し服地・ラシャを製織。毛糸・モスリン・ラシャ・綿糸・綿布・絹紡糸・絹紡織物を製造する会社となる
    • [23]1923年(大正12年)絹紡工場の近接地に名古屋工場を開設し服地・ラシャを製織。毛糸・モスリン・ラシャ・綿糸・綿布・絹紡糸・絹紡織物を製造する会社となる
    • [24]1923年(大正12年)絹紡工場の近接地に名古屋工場を開設し服地・ラシャを製織。毛糸・モスリン・ラシャ・綿糸・綿布・絹紡糸・絹紡織物を製造する会社となる
    • [25]1923年(大正12年)絹紡工場の近接地に名古屋工場を開設し服地・ラシャを製織。毛糸・モスリン・ラシャ・綿糸・綿布・絹紡糸・絹紡織物を製造する会社となる
  • 株式会社年鑑 1950年版「大東紡織」
    • [12]1916年4月 資本金400万円、1919年4月 資本金1000万円に増資
    • [13]1916年4月 資本金400万円、1919年4月 資本金1000万円に増資
    • [17]1921年6月 東京キャラコ製織を合併し資本金500万円を増資
  • 有価証券報告書 FY25 沿革
    • [16]1921年6月 東京キャリコ製織株式会社を合併
    • [21]1923年2月 名古屋製絨工場 操業開始

1923年〜関東大震災で焼けた吾嬬・亀戸の羊毛と、2度の減資で915万円になった資本金

1923年9月の関東大震災で、東京の吾嬬と亀戸の両工場が被害を受けた。工場にあった羊毛も大量に焼け、この損失はその後20年にわたる経営難の原因になった。吾嬬は創業以来モスリンを造ってきた工場で、亀戸は2年前の合併で得た綿の工場にあたる。震災翌年の1924年7月には、資本金を3051万2500円へ増資。1921年の1500万円から3年で約2倍になった。原料の羊毛と東京の主力工場を同時に失ったことで、膨らんだ資本に見合う収益を上げられなくなったと考えられる。

  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)
    • [26]1923年の関東大震災で吾嬬・亀戸両工場が被害を受け、多量の羊毛を焼失。これがその後20年間の苦闘の原因となった
    • [27]1923年の関東大震災で吾嬬・亀戸両工場が被害を受け、多量の羊毛を焼失。これがその後20年間の苦闘の原因となった
    • [28]1923年の関東大震災で吾嬬・亀戸両工場が被害を受け、多量の羊毛を焼失。これがその後20年間の苦闘の原因となった
  • 株式会社年鑑 1950年版「大東紡織」
    • [29]1924年7月 資本金3051万2500円に増資
    • [30]1924年7月 資本金3051万2500円に増資

東京モスリン紡織は1928年10月、資本金を3051万2500円から1525万6250円へ減資した。1932年7月にも減資し、資本金は915万3750円になった。震災後は損害の回復を進めたものの、欧州大戦が終わった後の反動で不況が続いた。主力製品であるモスリンの市況も低迷し、2度の減資を余儀なくされた。1928年の減資は資本金を半分にし、1932年の減資でさらに4割減少した。1924年に3051万円まで積んだ資本金は、8年で約3割の水準に縮んだ。大戦中の好況を前提に拡げた設備と資本が、震災と戦後不況で重荷に転じた経過が読み取れる。

  • 株式会社年鑑 1950年版「大東紡織」
    • [31]1928年10月 資本金1525万6250円に減資、1932年7月 資本金915万3750円に減資
    • [32]1928年10月 資本金1525万6250円に減資、1932年7月 資本金915万3750円に減資
    • [35]1928年10月 資本金1525万6250円に減資、1932年7月 資本金915万3750円に減資
    • [36]1928年10月 資本金1525万6250円に減資、1932年7月 資本金915万3750円に減資
  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)
    • [33]震災後の損害回復に努めたが、欧州大戦後の反動不況とモスリン市況不振により1928年・1932年に減資(915万3700円)
    • [34]震災後の損害回復に努めたが、欧州大戦後の反動不況とモスリン市況不振により1928年・1932年に減資(915万3700円)

東京モスリン紡織は1932年10月、第二東京モスリン紡織を合併した。7月の減資から3カ月後に、資本金は1070万2600円へ増えた。この頃から事業を取り巻く状況は徐々に好転し、会社は震災からの復興に向けて動き始めた。1936年には名古屋と三島の両工場で梳毛の設備を増やした。モスリンの製造を続けながら、服地やラシャを重点の品種に据えた。減資で資本を圧縮した後に合併で資本を積み直したことが、モスリンから服地・ラシャへ主力を移す資金面の足場になったとうかがえる。

  • 株式会社年鑑 1950年版「大東紡織」
    • [37]1932年10月 第二東京モスリン紡織を合併し資本金1070万2600円に増資
    • [38]1932年10月 第二東京モスリン紡織を合併し資本金1070万2600円に増資
  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)
    • [39]1932年10月に資本金を1070万2600円に増額し復興の緒につく。1936年に名古屋・三島両工場に梳毛設備を増設し、服地・ラシャに重点を置くようになる
    • [40]1932年10月に資本金を1070万2600円に増額し復興の緒につく。1936年に名古屋・三島両工場に梳毛設備を増設し、服地・ラシャに重点を置くようになる
    • [41]1932年10月に資本金を1070万2600円に増額し復興の緒につく。1936年に名古屋・三島両工場に梳毛設備を増設し、服地・ラシャに重点を置くようになる
参考文献[26]-[41]
  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)
    • [26]1923年の関東大震災で吾嬬・亀戸両工場が被害を受け、多量の羊毛を焼失。これがその後20年間の苦闘の原因となった
    • [27]1923年の関東大震災で吾嬬・亀戸両工場が被害を受け、多量の羊毛を焼失。これがその後20年間の苦闘の原因となった
    • [28]1923年の関東大震災で吾嬬・亀戸両工場が被害を受け、多量の羊毛を焼失。これがその後20年間の苦闘の原因となった
    • [33]震災後の損害回復に努めたが、欧州大戦後の反動不況とモスリン市況不振により1928年・1932年に減資(915万3700円)
    • [34]震災後の損害回復に努めたが、欧州大戦後の反動不況とモスリン市況不振により1928年・1932年に減資(915万3700円)
    • [39]1932年10月に資本金を1070万2600円に増額し復興の緒につく。1936年に名古屋・三島両工場に梳毛設備を増設し、服地・ラシャに重点を置くようになる
    • [40]1932年10月に資本金を1070万2600円に増額し復興の緒につく。1936年に名古屋・三島両工場に梳毛設備を増設し、服地・ラシャに重点を置くようになる
    • [41]1932年10月に資本金を1070万2600円に増額し復興の緒につく。1936年に名古屋・三島両工場に梳毛設備を増設し、服地・ラシャに重点を置くようになる
  • 株式会社年鑑 1950年版「大東紡織」
    • [29]1924年7月 資本金3051万2500円に増資
    • [30]1924年7月 資本金3051万2500円に増資
    • [31]1928年10月 資本金1525万6250円に減資、1932年7月 資本金915万3750円に減資
    • [32]1928年10月 資本金1525万6250円に減資、1932年7月 資本金915万3750円に減資
    • [35]1928年10月 資本金1525万6250円に減資、1932年7月 資本金915万3750円に減資
    • [36]1928年10月 資本金1525万6250円に減資、1932年7月 資本金915万3750円に減資
    • [37]1932年10月 第二東京モスリン紡織を合併し資本金1070万2600円に増資
    • [38]1932年10月 第二東京モスリン紡織を合併し資本金1070万2600円に増資

出典・参考

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出典・参考
  • 有価証券報告書 FY25 沿革
  • 株式会社年鑑 1950年版「大東紡織」
  • 会社銀行八十年史 1955年「大東紡織」(2篇 日本会社史 03_羊毛)

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