決断
火力発電所の補修から入り、据付と海外へ受注先を広げてきた会社である。1949年、日発小倉発電所の140トン汽罐の増設を多数の同業者と争って受注し、工期内に仕上げた。一方で収支は欠損となり、見積りと予算統制を改める教訓になる。1950年6月には砂川発電所の汽罐据付を機に北海道の工事を直営とし、1951年1月に札幌支店を開設した。同じ1950年6月に沖縄火力発電所で海外工事の第1号を受け、1956年度にはインド・カルカッタの運炭設備へ進む。満洲出身者の海外志向に加え、受注先を広げてリスクを分ける方針があった。損益は1949〜1950年の損金の後、3割の普通配当を維持した。