大東建託:東証一部上場とハウスコムの設立
1989年〜東証一部上場が固めた無借金経営と、地方市場を押さえた88拠点
1989年3月の名古屋証券取引所市場第二部への上場のあと、1991年9月に名証一部へ指定替えとなり、1992年2月には東京証券取引所市場第一部へ上場した。銀行からの長期借入を持たない無借金経営で、1994年3月期末の総資産2,404億6,100万円に対して株主資本は1,428億3,300万円、株主資本比率は59.4%となった。約2,000億円の資産のうち定期預金と株式が1,000億円を占め、この余資を預金などで運用した受取利息配当金が営業外収益として経常利益を押し上げた。1993年5月20日には1株を1.05株とする株式分割を実施し、期末の発行済株式数は1億4,210万3,000株となった。
- 証券アナリストジャーナル(1995年12月・33巻12号) 藤田浩一常務取締役講演
- [1]1989年3月 名証二部上場、1991年9月 名証一部へ指定替え、1992年2月 東証一部上場
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [2]銀行からの長期借入がない無借金企業で資産は約2,000億円
- [4]資産約2,000億円のうち定期預金・株式などが1,000億円を占める
- 証券アナリストジャーナル(1994年6月・32巻6号) 多田勝美社長講演
- [3]1994年3月期末 総資産2,404億6,100万円・株主資本1,428億3,300万円・株主資本比率59.4%
- [6]1993年5月20日付で1株を1.05株とする株式分割を実施し期末発行済株式数は1億4,210万3,000株
- 証券アナリストジャーナル(1996年6月・34巻6号) 藤田浩一常務取締役講演
- [5]無借金経営で余資を預金等で運用しており、預金金利の低下で営業外収益が伸びなかった
大東建託はバブル期に年率60%のペースで売上高を伸ばし、バブル崩壊後も1991年の生産緑地法改正による貸家建設の急増を受けて2桁の増収を保った。売上高に占める3大都市圏の割合は約50%にとどまり、残りは中核都市から車で1時間ほど、人口30万人から40万人という地方都市の周辺が生んでいた。地方では賃貸住宅の需要が薄いという先入観が根強く、大手住宅メーカーはそこへ手を着けていなかった。1994年3月期の売上高は2,741億4,600万円、経常利益は466億5,400万円で、売上は創業以来初めて前期を1.4%下回ったが、利益は12年連続の増益を保った。この市場を全国88か所の営業拠点で押さえ、5年後に120か所、10年後には150か所まで広げる計画であった。
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [7]バブル期は年率60%ペースで成長し、生産緑地法の改正に伴う貸家建設の急増でバブル後も2桁成長を継続
- [8]売上高に占める3大都市圏の割合は約50%で、残りは中核都市から車で1時間・人口30万〜40万人の地方都市周辺
- [9]地方では賃貸住宅の需要が少ないという先入観が根強く大手ハウスメーカーは手をつけていなかった
- [11]営業拠点は全国88か所で、5年後に120か所・10年後に150か所まで拡大する計画
- 証券アナリストジャーナル(1994年6月・32巻6号) 多田勝美社長講演
- [10]1994年3月期 売上高2,741億4,600万円(前期比1.4%減)・経常利益466億5,400万円(同5.1%増)で12年連続増益
入居者の確保は社外の業者に担わせた。他社が請け負った物件に入居者を紹介した場合、仲介業者どうしで手数料を半分ずつ分けるのが業界の慣行だった。大東建託はこれに従わず、自社が請け負う物件でも、紹介してきた業者に手数料の全額を渡した。業者にとっては、この物件を優先して勧めるほど手数料がまるごと自らの取り分になり、積極的に扱う理由ができた。フレンドショップとして組織された地場の仲介業者は各地におよそ1万社に及び、入居者の7割はこの網を通じて集まった。テナント営業部員は各支店に10人ほど、全社で約500人いた。彼らは業者網のもとへ足繁く通い、竣工後の入居者探しにも自ら歩いた。管理戸数は約10万戸に達し、そのうち92%が大東共済会に入っていた。空室率は4%に抑えられていた。
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [12]通常は仲介手数料を折半するところ、大東建託は自社が請け負う物件でも手数料全額をフレンドショップへ渡していた
- [13]優先的に入居者を紹介すれば仲介手数料がそっくり自社の収入になるためフレンドショップは紹介に力を入れざるをえない
- [14]各地の地場不動産仲介業者約1万社をフレンドショップとして組織し入居者の7割がこの網を通じたもの
- [15]テナント営業部は約500人で各支店に10人程度を配置し、フレンドショップへの接触と竣工後の客付けを担った
- [17]管理する建物戸数は約10万戸でうち92%が大東共済会に加入、空室率は4%
- 証券アナリストジャーナル(1992年12月・30巻12号) 多田勝美社長講演
- [16]1992年時点で全社員の1割強にあたる約500人がテナント営業部門に所属
参考文献[1]-[17]
- [1]1989年3月 名証二部上場、1991年9月 名証一部へ指定替え、1992年2月 東証一部上場
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [2]銀行からの長期借入がない無借金企業で資産は約2,000億円
- [4]資産約2,000億円のうち定期預金・株式などが1,000億円を占める
- [7]バブル期は年率60%ペースで成長し、生産緑地法の改正に伴う貸家建設の急増でバブル後も2桁成長を継続
- [8]売上高に占める3大都市圏の割合は約50%で、残りは中核都市から車で1時間・人口30万〜40万人の地方都市周辺
- [9]地方では賃貸住宅の需要が少ないという先入観が根強く大手ハウスメーカーは手をつけていなかった
- [11]営業拠点は全国88か所で、5年後に120か所・10年後に150か所まで拡大する計画
- [12]通常は仲介手数料を折半するところ、大東建託は自社が請け負う物件でも手数料全額をフレンドショップへ渡していた
- [13]優先的に入居者を紹介すれば仲介手数料がそっくり自社の収入になるためフレンドショップは紹介に力を入れざるをえない
- [14]各地の地場不動産仲介業者約1万社をフレンドショップとして組織し入居者の7割がこの網を通じたもの
- [15]テナント営業部は約500人で各支店に10人程度を配置し、フレンドショップへの接触と竣工後の客付けを担った
- [17]管理する建物戸数は約10万戸でうち92%が大東共済会に加入、空室率は4%
- [3]1994年3月期末 総資産2,404億6,100万円・株主資本1,428億3,300万円・株主資本比率59.4%
- [6]1993年5月20日付で1株を1.05株とする株式分割を実施し期末発行済株式数は1億4,210万3,000株
- [10]1994年3月期 売上高2,741億4,600万円(前期比1.4%減)・経常利益466億5,400万円(同5.1%増)で12年連続増益
- [5]無借金経営で余資を預金等で運用しており、預金金利の低下で営業外収益が伸びなかった
- [16]1992年時点で全社員の1割強にあたる約500人がテナント営業部門に所属
1993年〜査定家賃の読み違いが招いた大東共済会の空室急増
1993年の春から空家が増え始め、上期を終えた時点で業績予想の下方修正を余儀なくされた。空家数は1993年3月期に期初の3,775が期末には1万772と2.5倍に膨らみ、1994年3月期にはさらに9,565から1万5,573へ44.57%増えた。家賃保証を担う大東共済会の空家率は1993年3月末の2.66%が1994年3月末に5.22%となり、1994年9月末には6.51%、上期の累計で6.12%まで上がった。共済会の総収入に対する空家保証給付率は136.35%となり、給付が会費収入を上回った。年間収支は1994年初の時点で既に均衡すれすれまで悪化しており、空室率がさらに上がれば会費の引き上げを考えざるをえない状態にあった。地主から引き受けた空室の損失が、会社側の費用として表に出た局面であった。
- 証券アナリストジャーナル(1994年6月・32巻6号) 多田勝美社長講演
- [18]1993年4〜5月ごろから半年ほど空家数が増え、上期を終えた時点で業績予想の下方修正を余儀なくされた
- 証券アナリストジャーナル(1994年12月・32巻12号) 多田勝美社長講演
- [19]空家数は1993年3月期に期初3,775から期末1万772へ2.5倍、1994年3月期は9,565から1万5,573へ44.57%増
- [20]大東共済会の空家率は1993年3月末2.66%・1994年3月末5.22%・1994年9月末6.51%で上期累計6.12%
- [21]総収入に対する空家保証給付率は136.35%
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [22]1994年初時点で大東共済会の年間収支は収支均衡まで悪化し、空室率が上昇すれば共済会費の引き上げを考慮する状況
1988年以前に建てた物件に限れば、空室率は3%程度と低く、完成から年数を経ても上がっておらず、建物が古びるほど空室が出るという動きはなかった。一方、大都市部を中心に賃貸住宅は供給が過剰となり、空き部屋が増えて家賃が下がり始めていた。戦後ずっと上がり続けてきた家賃がここで向きを変えたことを見誤り、1992年ごろに受けた物件では査定家賃を高く見積もっていた。1993年の後半に査定を先安へ改め、相場を上回る家賃を付けた物件については、1994年の初めから5%から10%程度の差額を会社が埋めた。この補填は家賃保証費の10分の1程度の負担で収まり、1995年3月期は2億3,300万円だった。
- 証券アナリストジャーナル(1995年6月・33巻6号) 藤田浩一常務取締役講演
- [23]1988年以前の古い物件の空室率は完成当時からほとんど変化なく3%程度の低水準
- [25]戦後一貫して上昇してきた家賃傾向の変化を読み切れず1992年ごろの受注物件の査定家賃を高めに設定したことが空室率悪化の主因
- [26]1993年後半から査定家賃を先安に設定し、高く設定した1992年ごろの受注物件には1994年初から5〜10%程度の差額家賃を補填
- [27]差額家賃補填の負担は家賃保証費の10分の1程度で、1995年3月期の実績は2億3,300万円
- 証券アナリストジャーナル(1994年12月・32巻12号) 多田勝美社長講演
- [24]賃貸住宅市場の供給過剰傾向による空室の増加と家賃の下落傾向が大都市部を中心に拡大
1994年8月から翌1995年1月にかけて、受注そのものを絞る策を続けて打った。大東共済会の給付率は基準家賃の90%から80%へ下がり、1994年10月には営業社員の採用が止まり、1995年1月には会費率が家賃の4%から6%へ上がった。1994年12月からは定期借地事業に着手して営業戦力をそちらへ振り向け、新規受注よりも受注残高の精査に力点を置いた。成績不良の営業社員の削減も併せて進め、1,600人ほどいた営業社員は1,100人ほどまで減った。人海戦術で地主を訪ねる営業であったから、人員が減れば受注も減る。1995年3月期の売上高は2,103億9,400万円と23.3%減り、営業利益は136億4,800万円と65.4%減、受注高は1,864億7,500万円と39.3%減となった。
- 証券アナリストジャーナル(1996年6月・34巻6号) 藤田浩一常務取締役講演
- [28]1994年8月 大東共済会の保証率を90%から80%へ引き下げ、1994年10月以降 営業社員の採用を中止、1995年1月 会費率を4%から6%へ引き上げ
- [29]1994年8月 大東共済会の保証率を90%から80%へ引き下げ、1994年10月以降 営業社員の採用を中止、1995年1月 会費率を4%から6%へ引き上げ
- 証券アナリストジャーナル(1995年6月・33巻6号) 藤田浩一常務取締役講演
- [30]1994年12月から定期借地事業に着手して営業戦力を振り向け、新規受注よりも受注残高の精査に重点を置いた
- [33]1995年3月期 売上高2,103億9,400万円(前期比23.3%減)・営業利益136億4,800万円(同65.4%減)・受注高1,864億7,500万円(同39.3%減)
- 証券アナリストジャーナル(1995年12月・33巻12号) 藤田浩一常務取締役講演
- [31]営業社員の採用中止と成績不良社員のリストラで営業社員は1,600人ほどから1,100人ほどまで減少
- [32]人海戦術で顧客を訪ねるダイレクトセールスのため人員が増えると受注が増え、減ると受注が減る構造
参考文献[18]-[33]
- [18]1993年4〜5月ごろから半年ほど空家数が増え、上期を終えた時点で業績予想の下方修正を余儀なくされた
- [19]空家数は1993年3月期に期初3,775から期末1万772へ2.5倍、1994年3月期は9,565から1万5,573へ44.57%増
- [20]大東共済会の空家率は1993年3月末2.66%・1994年3月末5.22%・1994年9月末6.51%で上期累計6.12%
- [21]総収入に対する空家保証給付率は136.35%
- [24]賃貸住宅市場の供給過剰傾向による空室の増加と家賃の下落傾向が大都市部を中心に拡大
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [22]1994年初時点で大東共済会の年間収支は収支均衡まで悪化し、空室率が上昇すれば共済会費の引き上げを考慮する状況
- [23]1988年以前の古い物件の空室率は完成当時からほとんど変化なく3%程度の低水準
- [25]戦後一貫して上昇してきた家賃傾向の変化を読み切れず1992年ごろの受注物件の査定家賃を高めに設定したことが空室率悪化の主因
- [26]1993年後半から査定家賃を先安に設定し、高く設定した1992年ごろの受注物件には1994年初から5〜10%程度の差額家賃を補填
- [27]差額家賃補填の負担は家賃保証費の10分の1程度で、1995年3月期の実績は2億3,300万円
- [30]1994年12月から定期借地事業に着手して営業戦力を振り向け、新規受注よりも受注残高の精査に重点を置いた
- [33]1995年3月期 売上高2,103億9,400万円(前期比23.3%減)・営業利益136億4,800万円(同65.4%減)・受注高1,864億7,500万円(同39.3%減)
- [28]1994年8月 大東共済会の保証率を90%から80%へ引き下げ、1994年10月以降 営業社員の採用を中止、1995年1月 会費率を4%から6%へ引き上げ
- [29]1994年8月 大東共済会の保証率を90%から80%へ引き下げ、1994年10月以降 営業社員の採用を中止、1995年1月 会費率を4%から6%へ引き上げ
- [31]営業社員の採用中止と成績不良社員のリストラで営業社員は1,600人ほどから1,100人ほどまで減少
- [32]人海戦術で顧客を訪ねるダイレクトセールスのため人員が増えると受注が増え、減ると受注が減る構造
1994年〜客付けと営業を外へ出したハウスコムと販売子会社10社
1994年4月、賃貸仲介を担う子会社ハウスコム株式会社を設立した。建設営業が持ち込む案件について、建てる物件の中身や妥当な賃貸条件を審査する役目も負っていたため、本体のテナント営業部門は客付けに専念できず、しかも支店は駅の近くになく、アパート・マンションの入居者集めでは大きく不利だった。一方、他社物件も扱う仲介会社を別に設ければ、その会社で黒字を確保しながら客付けの力を高められる。本体の拠点を広げる方法では、収益に直結しないテナント営業の人員も併せて増やす必要が出てくるからである。計画では初年度に首都圏・中部圏・近畿圏で20店舗を出し、いずれは3大都市圏を軸に全国300店舗以上へ広げるとしていた。
- 証券アナリストジャーナル(1994年6月・32巻6号) 多田勝美社長講演
- [34]1994年4月 賃貸仲介などを行う子会社ハウスコムを設立し仲介部門へ本格的に進出
- [35]テナント営業部門は立地プラン審査の役割を兼ねるため客付活動のみに力を注ぐわけにはいかなかった
- [36]支店の立地が駅周辺などではなくアパート・マンションのテナント客付けに大きなハンディがあった
- [39]初年度に首都圏・中部圏・近畿圏で20店舗を開設し、将来は3大都市圏を中心に全国300店舗以上へ
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [37]他社物件も扱う仲介子会社を設立して黒字を確保しつつテナント営業のテコ入れにつなげる考え
- [38]営業拠点の増加に伴いカネを生まないテナント営業も増やさざるをえなかった
客付けの体制は1994年度のうちに形になった。ハウスコムは浦和店・川越店など19店舗を開き、賃貸物件情報誌「住SEE」を発行した。1店舗あたり5人から10人程度の従業員を求人誌などで募り、20拠点の要員は約3分の1を本体のテナント営業部門から出向させ、残りはこの分野の経験者を中途採用して訓練した。以後も経験者の中途採用を主とする方針で、本体の負担増はほとんど生じない見通しであった。1995年度の上期には入居者のあっせん件数が前年同期比14.1%増の2万1,872件となり、空室数は前期末に比べ1,507室減った。大東共済会の空室率は1996年3月末で5.05%と、前期末を0.45ポイント下回った。
- 証券アナリストジャーナル(1994年12月・32巻12号) 多田勝美社長講演
- [40]ハウスコムは浦和店・川越店など19店舗を開設し賃貸物件情報誌「住SEE」を発行
- 証券アナリストジャーナル(1994年6月・32巻6号) 多田勝美社長講演
- [41]ハウスコムの従業員は1店舗につき5〜10人程度を求人誌等で募集する考え
- [42]20拠点の約3分の1をテナント営業部門からの出向で賄い、残りは経験者を中途採用して訓練
- [43]今後も経験者の中途採用を主とする方針で本体の負担増はほとんどない見通し
- 証券アナリストジャーナル(1995年12月・33巻12号) 藤田浩一常務取締役講演
- [44]1995年度上期 入居者あっせん件数は前年同期比14.1%増の2万1,872件、空室数は前期末比1,507室減
- 証券アナリストジャーナル(1996年6月・34巻6号) 藤田浩一常務取締役講演
- [45]1996年3月末の大東共済会の空室率は5.05%で前期末比0.45ポイント低下
支店の体制は年月を経て固まり、支店どうしで利害をともにする意識が次第に前に出て、事業の骨組みの土台をなす綱引きが働かなくなっていた『支店体制が確立し長期化してくるとともに支店としての共同利害関係が徐々に優先され、当社の事業構造の基本である綱引きが機能しなくなってきた』。競い合う関係と稼ぐ関係をはっきりさせ、営業の力をいっそう高めるため、1995年4月に営業を担う機能を地域別の販売子会社10社へ分けた。10社が営業を始めたのは同年10月で、賃貸建物の企画提案から受注までの業務が営業譲渡の形で移された。同じ10月、大東共済会の給付率は90%に戻り、営業社員の採用も1995年4月から再開していた。受注高は1994年10月からの半年間の621億6,200万円を底に、1995年度の下期には955億3,600万円と前年同期比53.7%増へ回復した。1996年3月期の連結売上高は2,004億3,200万円、経常利益は134億400万円で、この期を底に業績を伸ばす見通しが立った。
- 証券アナリストジャーナル(1995年6月・33巻6号) 藤田浩一常務取締役講演
- [46]支店体制が確立し長期化するとともに支店としての共同利害関係が徐々に優先され、事業構造の基本である綱引きが機能しなくなってきた
- [47]綱引き構造が明快に機能するようにし競争関係・収益関係を明確にして営業力の強化を図る狙い
- [48]1995年4月 営業力強化のため地域別販売子会社10社を設立
- 証券アナリストジャーナル(1996年6月・34巻6号) 藤田浩一常務取締役講演
- [49]1995年10月 地域別販売子会社10社が営業を開始し、賃貸建物の企画提案から受注に至る業務を営業譲渡
- [50]1995年10月 大東共済会の保証率を90%へ復元、1995年4月 営業社員の採用を再開
- [51]受注高は1994年10月〜1995年3月の6カ月累計621億6,200万円を底に、1995年度下期は955億3,600万円(前年同期比53.7%増)
- [52]1996年3月期 連結売上高2,004億3,200万円・経常利益134億400万円で、96年3月期を底に業績伸長へ進む状況
参考文献[34]-[52]
- [34]1994年4月 賃貸仲介などを行う子会社ハウスコムを設立し仲介部門へ本格的に進出
- [35]テナント営業部門は立地プラン審査の役割を兼ねるため客付活動のみに力を注ぐわけにはいかなかった
- [36]支店の立地が駅周辺などではなくアパート・マンションのテナント客付けに大きなハンディがあった
- [39]初年度に首都圏・中部圏・近畿圏で20店舗を開設し、将来は3大都市圏を中心に全国300店舗以上へ
- [41]ハウスコムの従業員は1店舗につき5〜10人程度を求人誌等で募集する考え
- [42]20拠点の約3分の1をテナント営業部門からの出向で賄い、残りは経験者を中途採用して訓練
- [43]今後も経験者の中途採用を主とする方針で本体の負担増はほとんどない見通し
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- [37]他社物件も扱う仲介子会社を設立して黒字を確保しつつテナント営業のテコ入れにつなげる考え
- [38]営業拠点の増加に伴いカネを生まないテナント営業も増やさざるをえなかった
- [40]ハウスコムは浦和店・川越店など19店舗を開設し賃貸物件情報誌「住SEE」を発行
- [44]1995年度上期 入居者あっせん件数は前年同期比14.1%増の2万1,872件、空室数は前期末比1,507室減
- [45]1996年3月末の大東共済会の空室率は5.05%で前期末比0.45ポイント低下
- [49]1995年10月 地域別販売子会社10社が営業を開始し、賃貸建物の企画提案から受注に至る業務を営業譲渡
- [50]1995年10月 大東共済会の保証率を90%へ復元、1995年4月 営業社員の採用を再開
- [51]受注高は1994年10月〜1995年3月の6カ月累計621億6,200万円を底に、1995年度下期は955億3,600万円(前年同期比53.7%増)
- [52]1996年3月期 連結売上高2,004億3,200万円・経常利益134億400万円で、96年3月期を底に業績伸長へ進む状況
- [46]支店体制が確立し長期化するとともに支店としての共同利害関係が徐々に優先され、事業構造の基本である綱引きが機能しなくなってきた
- [47]綱引き構造が明快に機能するようにし競争関係・収益関係を明確にして営業力の強化を図る狙い
- [48]1995年4月 営業力強化のため地域別販売子会社10社を設立
1989年〜1995年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1989年03月期 | 単体 | 737 | n/a | 109 | 112 | 15.2% | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | 1,052 | +42.7% | 139 | 151 | 14.4% | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | 1,512 | +43.7% | 196 | 268 | 17.7% | n/a | n/a |
| 1992年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1993年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1994年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1995年03月期 | 連結 | 2,168 | n/a | n/a | 188 | 8.7% | 95 | n/a |
出所:証券 44(4)(517), 1992/4、会社年鑑 2002年版
出典・参考
7件
- 証券アナリストジャーナル(1992年12月・30巻12号) 多田勝美社長講演
- 日経ビジネス 1994年3月21日号
- 証券アナリストジャーナル(1994年6月・32巻6号) 多田勝美社長講演
- 証券アナリストジャーナル(1994年12月・32巻12号) 多田勝美社長講演
- 証券アナリストジャーナル(1995年12月・33巻12号) 藤田浩一常務取締役講演
- 証券アナリストジャーナル(1995年6月・33巻6号) 藤田浩一常務取締役講演
- 証券アナリストジャーナル(1996年6月・34巻6号) 藤田浩一常務取締役講演