第1章 年〜年

西松建設:美濃国安八郡での西松桂輔の土木請負業創業

1874年〜明治7年に西松桂輔氏が始めた土木請負と、九州・四国から東海道・信越へ延びた鉄道工事

西松建設の起点は、1874年(明治7年)に初代の西松桂輔氏が個人で始めた土木請負にある。1962年の経済誌の誌面は、その創業の地を九州の若松と記しており、事業は個人の商いとして始まった。1968年刊の企業史の書籍も、同じ明治7年に西松桂輔氏が土木建築の仕事に携わったことを創業に置いた。1961年の証券誌は、日本の近代的な土木請負業の出発点を鉄道工事に求めた。そのうえで西松も、鉄道の御用達を務める工事業者として事業を起こしたと整理した。発注者が官の鉄道当局に限られていた時期に、その御用達の地位を得たことが、資本の乏しい個人の請負に継続した仕事の口をもたらしたと推察される。

  • 野田経済 848 1962年12月3日号
    • [1]1874年(明治7年)初代西松桂輔が九州若松で個人として土木請負業を開始
    • [2]1874年(明治7年)初代西松桂輔が九州若松で個人として土木請負業を開始
  • 企業の歴史 明治百年 1968「西松建設」
    • [3]明治7年、初代西松桂輔が土木建築業に携わったのが創業
  • 証券 151 1961年12月号(横山)
    • [4]近代土木建設業の源流は鉄道工事で、西松も鉄道御用達の工事業者から出発した
    • [5]近代土木建設業の源流は鉄道工事で、西松も鉄道御用達の工事業者から出発した

西松桂輔氏の請負は、はじめ九州と四国の鉄道建設に従事した。各地で鉄道路線の建設が相次ぐと、西松桂輔氏は事業の規模を段階的に広げた。東海道線を皮切りに、信越線・筑豊線・鹿児島線の鉄路建設の工事を手がけた。工区は九州北部の筑豊と南部の鹿児島に加え、本州の東海道と信越の山間部にまで及んだ。路線名から見ると、請け負った工事は本州の幹線と九州の炭鉱地帯の路線の双方にわたっていた。1962年の経済誌の誌面は、創業から90年近い老舗である点を、新興の建設業者との差として挙げた。新線の着工が続く時期に工区から工区へ移り続けた働き方が、九州の個人の請負を本州にまたがる鉄道工事業者へ育てたのだろう。

  • 野田経済 848 1962年12月3日号
    • [6]当初は九州・四国方面の鉄道建設に従事。1962年時点で創業90年近い老舗
    • [11]当初は九州・四国方面の鉄道建設に従事。1962年時点で創業90年近い老舗
  • 企業の歴史 明治百年 1968「西松建設」
    • [7]鉄道路線建設の波に乗り、東海道線・信越線・筑豊線・鹿児島線などの鉄路建設工事を実施し業態を拡大
    • [8]鉄道路線建設の波に乗り、東海道線・信越線・筑豊線・鹿児島線などの鉄路建設工事を実施し業態を拡大
    • [9]鉄道路線建設の波に乗り、東海道線・信越線・筑豊線・鹿児島線などの鉄路建設工事を実施し業態を拡大
    • [10]鉄道路線建設の波に乗り、東海道線・信越線・筑豊線・鹿児島線などの鉄路建設工事を実施し業態を拡大
参考文献[1]-[11]
  • 野田経済 848 1962年12月3日号
    • [1]1874年(明治7年)初代西松桂輔が九州若松で個人として土木請負業を開始
    • [2]1874年(明治7年)初代西松桂輔が九州若松で個人として土木請負業を開始
    • [6]当初は九州・四国方面の鉄道建設に従事。1962年時点で創業90年近い老舗
    • [11]当初は九州・四国方面の鉄道建設に従事。1962年時点で創業90年近い老舗
  • 企業の歴史 明治百年 1968「西松建設」
    • [3]明治7年、初代西松桂輔が土木建築業に携わったのが創業
    • [7]鉄道路線建設の波に乗り、東海道線・信越線・筑豊線・鹿児島線などの鉄路建設工事を実施し業態を拡大
    • [8]鉄道路線建設の波に乗り、東海道線・信越線・筑豊線・鹿児島線などの鉄路建設工事を実施し業態を拡大
    • [9]鉄道路線建設の波に乗り、東海道線・信越線・筑豊線・鹿児島線などの鉄路建設工事を実施し業態を拡大
    • [10]鉄道路線建設の波に乗り、東海道線・信越線・筑豊線・鹿児島線などの鉄路建設工事を実施し業態を拡大
  • 証券 151 1961年12月号(横山)
    • [4]近代土木建設業の源流は鉄道工事で、西松も鉄道御用達の工事業者から出発した
    • [5]近代土木建設業の源流は鉄道工事で、西松も鉄道御用達の工事業者から出発した

1906年〜二代目の西松光治郎氏が継いだ西松工業所と、宮崎線で見せた西松組の進出

1906年(明治39年)4月、二代目の西松光治郎氏が初代の西松桂輔氏から事業を継いだ。西松光治郎氏は、西松工業所の名を掲げて営業を続けた。1961年の証券誌の沿革では、この二代目の表記は西松光次郎氏。翌1962年の経済誌の誌面は西松光治郎氏と記しており、二つの誌面で名の一字が異なる。1968年刊の企業史の書籍は、同じ1906年を西松工業所としての独立の年に位置づけた。初代の個人名で請けていた工事は、この年から西松工業所という屋号の下での工事に変わった。代替わりの時期に屋号を立てたのは、鉄道の発注者に対して、創業者が退いた後も事業が続くことを示す狙いがあったとみられる。

  • 野田経済 848 1962年12月3日号
    • [12]1906年(明治39年)4月、二代目西松光治郎が事業を受け継いだ
    • [15]1906年(明治39年)4月、二代目西松光治郎が事業を受け継いだ
  • 証券 151 1961年12月号(横山)
    • [13]1906年(明治39年)4月、西松光次郎(表記ママ)が西松工業所の名の下に営業を続行
    • [14]1906年(明治39年)4月、西松光次郎(表記ママ)が西松工業所の名の下に営業を続行
    • [17]1906年(明治39年)4月、西松光次郎(表記ママ)が西松工業所の名の下に営業を続行
  • 企業の歴史 明治百年 1968「西松建設」
    • [16]明治39年、西松工業所として独立

西松工業所は、初代の西松桂輔氏が九州と四国の鉄道建設で重ねた実績を引き継いで出発した。1906年に独立した体制が固まったのは、明治の年号が終わった後の1914年(大正3年)である。1968年刊の企業史の書籍は、東海道線や信越線、筑豊線、鹿児島線の工事を、独立に先立つ時期の実績としてまとめて並べている。1961年の証券誌も、明治期の西松を鉄道御用達の工事業者として描き、ダムや水力発電の工事はその後に加わったと記した。明治の終わりまでの西松工業所は、鉄道工事の一本に事業を絞った請負業者であり、九州で培った鉄道当局との取引が受注の足場になったと思われる。

  • 野田経済 848 1962年12月3日号
    • [18]創業当初は九州・四国方面の鉄道建設に従事
  • 企業の歴史 明治百年 1968「西松建設」
    • [19]明治39年の独立後、完全独立体制が軌道に乗るのは大正3年。東海道・信越・筑豊・鹿児島線の工事は独立前の記述
    • [20]明治39年の独立後、完全独立体制が軌道に乗るのは大正3年。東海道・信越・筑豊・鹿児島線の工事は独立前の記述
  • 証券 151 1961年12月号(横山)
    • [21]鉄道御用達工事業者から出発し、その後電気事業の発展に併行してダム・水力発電工事に進出
参考文献[12]-[21]
  • 野田経済 848 1962年12月3日号
    • [12]1906年(明治39年)4月、二代目西松光治郎が事業を受け継いだ
    • [15]1906年(明治39年)4月、二代目西松光治郎が事業を受け継いだ
    • [18]創業当初は九州・四国方面の鉄道建設に従事
  • 証券 151 1961年12月号(横山)
    • [13]1906年(明治39年)4月、西松光次郎(表記ママ)が西松工業所の名の下に営業を続行
    • [14]1906年(明治39年)4月、西松光次郎(表記ママ)が西松工業所の名の下に営業を続行
    • [17]1906年(明治39年)4月、西松光次郎(表記ママ)が西松工業所の名の下に営業を続行
    • [21]鉄道御用達工事業者から出発し、その後電気事業の発展に併行してダム・水力発電工事に進出
  • 企業の歴史 明治百年 1968「西松建設」
    • [16]明治39年、西松工業所として独立
    • [19]明治39年の独立後、完全独立体制が軌道に乗るのは大正3年。東海道・信越・筑豊・鹿児島線の工事は独立前の記述
    • [20]明治39年の独立後、完全独立体制が軌道に乗るのは大正3年。東海道・信越・筑豊・鹿児島線の工事は独立前の記述

出典・参考

3件
出典・参考
  • 企業の歴史 明治百年 1968「西松建設」
  • 証券 151 1961年12月号(横山)
  • 野田経済 848 1962年12月3日号

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