京葉銀行の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

制度が変わるたびに、資金量の数値目標を掲げて規模を積み上げた銀行である。戦後は1946年8月の決算で旧勘定を凍結し、1948年11月16日に社長となった関澄龍尾氏のもとで新勘定から再建を始めた。1951年10月には相互銀行法を受けて千葉相互銀行へ転換し、無尽業法の制約を外した。続いて社長の平塚六郎氏は1956年5月に不振の6店を出張所へ戻し、1960年2月には融資方針を預金実績重視へ改めた。その結果、資金量は1960年11月に100億円を突破し、1972年末には2,000億円を達成した。並行して1969年10月にオフラインシステムを稼働させ、事務の機械化で取引の増加に備えた。

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