百五銀行の歴史
沿革
1878年に設立された第百五国立銀行が起源。
1897年に普通銀行へ転じ、亀山銀行や桑名銀行など県内の銀行を相次いで統合して、三重県の金融の受け入れ先となった。三重県を地盤とする地方銀行で、国立銀行時代の番号を今も行名に残す。
創業期
1878年〜第百五国立銀行の設立と普通銀行への転換
- 第百五国立銀行として設立[1]
- 資本金8万円・藤堂高泰氏を頭取に津沢ノ上町で営業開始[2]
- 伊勢商人が経営に参画[2]
- 川喜田四郎兵衛氏が第五代頭取に就任[2]
- 普通銀行の百五銀行として発足[1]
- 津市大門に本店を新築移転[2]
売上高
- 売上高
百五銀行売上高—
成長期
1905年〜亀山銀行・桑名銀行など9行の統合
- 亀山銀行を統合[1]
- 桑名銀行を統合[1]
- 神宮現金取扱方を拝命[2]
- 初の都市部店舗として名古屋支店を開設[2]
- 尾鷲銀行を統合[1]
- 紀北商業銀行を統合[1]
- 八十三銀行を統合[1]
- 伊賀上野銀行を統合[1]
- 吉田銀行を統合[1]
- 津市丸之内岩田川畔に本店を新築移転[2]
- 河芸銀行を統合[1]
- 一志銀行を統合[1]
売上高
- 売上高
百五銀行売上高—
成長期
1943年〜勢南銀行・三重共同貯蓄銀行の合併と外国為替業務の開始
- 勢南銀行を統合[1]
- 三重共同貯蓄銀行を統合[1]
- 「百五銀行預金増強運動」で福寿定期預金の募集を開始[2]
- 福寿定期預金が100億円を達成[2]
- 外国為替業務の取扱開始[1]
- 津市伊予町に本店を新築移転[2]
- 事務センターを新築して為替・預金・貸出業務をオンライン化[2]
売上高
- 売上高
百五銀行売上高—
成長期
1973年〜東証・名証一部指定替えと証券投資信託の窓口販売
- 東京・名古屋証券取引所第2部に上場[1]
- 東京・名古屋証券取引所第1部に指定替[1]
- 創立100周年[2]
- 預金総額1兆円を突破[2]
- 債券ディーリング業務の取扱開始[1]
- 担保附社債信託法に基づく受託業務の開始[1]
- 企業理念を制定[2]
- 証券投資信託の窓口販売を開始[1]
売上高
- 売上高
百五銀行売上高—
安定成長期
2000年〜三重県信用組合の事業譲受とプライム市場移行
- 三重県信用組合の事業を譲受[1]
- 百五インターネット・モバイルバンキングサービスの取扱開始[2]
- 保険商品の窓口販売を開始[1]
- コーポレートステートメント「FRONTIER BANKING」を制定[2]
- 金融商品仲介業務の取扱開始[1]
- 次世代オープン勘定系システム「Bank Vision」が稼働[2]
- 本館ビル岩田本店棟・丸之内本部棟が竣工[2]
- 中期経営計画「KAI-KAKU 150 1st STAGE」を開始[2]
- 百五銀行スマホバンキングアプリの取扱開始[2]
- 預金総額5兆円を突破[2]
- 豊橋パーソナルプラザを開設[3]
- TCFD提言に賛同[2]
- 中期経営計画「KAI-KAKU 150 2nd STAGE」を開始[2]
- 「百五銀行グループのサステナビリティに関する方針」を制定[2]
- 東京証券取引所プライム市場へ移行[1]
- 預金総額6兆円を突破[2]
- 総貸出金5兆円を突破[2]
- 中期経営計画「KAI-KAKU 150 FINAL STAGE」を開始[2]
- 「百五銀行グループサステナビリティ宣言」を制定[2]