第1章 年〜年

平和堂:彦根での平和堂の創業と食品スーパーマーケットの開設

1957年〜彦根の間口3間半の靴とカバンの店と、食料品で始めたセルフ・サービスの量販店

平和堂の起点は、1953年12月に創業者の夏原平次郎氏が滋賀県彦根市で個人として始めた夏原商店である。扱ったのは靴・鞄・履物で、売場は間口3間半・奥行4間、従業員は5名だった。夏原平次郎氏は1957年6月にこの個人商店を株式会社へ改組し、社名を平和堂とした。設立時の資本金は150万円、本店の所在地は彦根市川原町。1976年の業界誌に載った会社概要も、平和堂の創業日を1957年6月1日と記している。夏原平次郎氏の子で社長の夏原平和氏は1991年の講演で、発足の時点から大型の総合チェーンストア(GMS)を目標に据えていたと振り返った。法人化は、1店の商店をチェーンへ広げる前に、出資と借入れを受けられる法人の形を整える意味を持ったとみられる。

  • 証券アナリストジャーナル 29(2) 1991年 夏原平和(社長)講演要旨
    • [1]1953年12月夏原平次郎が彦根市で個人の夏原商店を設立(靴・鞄・履物)。発足に際しGMSを目指した
    • [6]1953年12月夏原平次郎が彦根市で個人の夏原商店を設立(靴・鞄・履物)。発足に際しGMSを目指した
  • 証券アナリストジャーナル 19(11) 1981年11月 相川孝(常務取締役)講演要旨
    • [2]1953年12月に間口3間半・奥行4間の靴とカバンの店、従業員5名。1957年6月に株式会社に改め平和堂とした
    • [3]1953年12月に間口3間半・奥行4間の靴とカバンの店、従業員5名。1957年6月に株式会社に改め平和堂とした
  • 平和堂 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1957年6月 彦根市川原町甲76番地に資本金150万円にて㈱平和堂を設立
  • ショッピングセンター 7月(33) 1976年「街のルポ〈近江制覇を目指す平和堂の店舗展開〉」編集部 p42-44
    • [5]会社概要:創業昭和32年6月1日、代表取締役社長夏原平次郎

平和堂は1960年4月に化粧品・アクセサリー・婦人用品、1962年9月に衣料品を加え、靴と鞄の店から扱う品目を広げた。1965年9月には呉服・寝具・日用雑貨・玩具・文具まで売場に並べた。品目を広げた背景には、滋賀県の買い回り品の需要が隣接する京都市へ流出していた事情がある。1974年7月の県の調査では、大津市と草津市の住民のうち服装品や呉服を京都市内で購入した人が30%を超えた。県庁所在地の大津市にも、1976年6月に西武百貨店が進出するまで百貨店は1店も無かった。夏原平和氏は1991年の講演で、百貨店の品ぞろえとスーパーの安さを1店に併せ持つ店を「ジュニアデパート」と名付けたと説明した。

  • 証券アナリストジャーナル 19(11) 1981年11月 相川孝(常務取締役)講演要旨
    • [7]1960年4月化粧品・アクセサリー・婦人用品、1962年9月衣料品、1965年9月呉服・寝具・日用雑貨・オモチャ・文具の販売を開始
    • [8]1960年4月化粧品・アクセサリー・婦人用品、1962年9月衣料品、1965年9月呉服・寝具・日用雑貨・オモチャ・文具の販売を開始
  • ショッピングセンター 7月(33) 1976年「街のルポ〈近江制覇を目指す平和堂の店舗展開〉」編集部 p42-44
    • [9]買い回り品需要は京都に流れ、1974年7月の県調査で大津・草津から京都へ買いに行く人が30%超。大津市には1976年6月の西武百貨店まで百貨店なし
    • [10]買い回り品需要は京都に流れ、1974年7月の県調査で大津・草津から京都へ買いに行く人が30%超。大津市には1976年6月の西武百貨店まで百貨店なし
    • [11]買い回り品需要は京都に流れ、1974年7月の県調査で大津・草津から京都へ買いに行く人が30%超。大津市には1976年6月の西武百貨店まで百貨店なし
  • 証券アナリストジャーナル 29(2) 1991年 夏原平和(社長)講演要旨
    • [12]当時滋賀県に百貨店がなく、百貨店の品ぞろえ・サービスとスーパーの安さを兼ねる店を「ジュニアデパート」と呼んだ

平和堂は1966年11月に食料品の販売を始め、同時に初めてセルフ・サービスの量販店の形態をとった。1981年の講演で常務取締役の相川孝氏は、この転換を『当社の歴史のうえで大きなエポック』と位置づけた。一方で1976年の業界誌のルポは、スーパー部門と百貨店部門を1店に収める考え方を1963年の彦根1号店の開店時からの方針と記した。ルポの示す起点は、講演の挙げる1966年11月より3年早い。夏原平和氏は1991年の講演で、彦根市の中心街に構えた第1号店の売場面積を1,000坪(3,300m2)とした経緯を述べた。衣料と雑貨に食料品を重ねてセルフ販売で回す店の型が、のちの多店舗化の原型になったと推察される。

  • 証券アナリストジャーナル 19(11) 1981年11月 相川孝(常務取締役)講演要旨
    • [13]1966年11月に食料品を扱い始め、初めてセルフ・サービスの量販店形態をとった。同社の歴史上の大きなエポック
    • [14]1966年11月に食料品を扱い始め、初めてセルフ・サービスの量販店形態をとった。同社の歴史上の大きなエポック
  • ショッピングセンター 7月(33) 1976年「街のルポ〈近江制覇を目指す平和堂の店舗展開〉」編集部 p42-44
    • [15]昭和38年の彦根1号店開店当時からスーパー部門と百貨店部門を1店に含むジュニアデパートの思想。
    • [16]昭和38年の彦根1号店開店当時からスーパー部門と百貨店部門を1店に含むジュニアデパートの思想。
  • 証券アナリストジャーナル 29(2) 1991年 夏原平和(社長)講演要旨
    • [17]彦根市の中心街に出店した第1号店は売場面積1,000坪(3,300m2)
参考文献[1]-[17]
  • 証券アナリストジャーナル 29(2) 1991年 夏原平和(社長)講演要旨
    • [1]1953年12月夏原平次郎が彦根市で個人の夏原商店を設立(靴・鞄・履物)。発足に際しGMSを目指した
    • [6]1953年12月夏原平次郎が彦根市で個人の夏原商店を設立(靴・鞄・履物)。発足に際しGMSを目指した
    • [12]当時滋賀県に百貨店がなく、百貨店の品ぞろえ・サービスとスーパーの安さを兼ねる店を「ジュニアデパート」と呼んだ
    • [17]彦根市の中心街に出店した第1号店は売場面積1,000坪(3,300m2)
  • 証券アナリストジャーナル 19(11) 1981年11月 相川孝(常務取締役)講演要旨
    • [2]1953年12月に間口3間半・奥行4間の靴とカバンの店、従業員5名。1957年6月に株式会社に改め平和堂とした
    • [3]1953年12月に間口3間半・奥行4間の靴とカバンの店、従業員5名。1957年6月に株式会社に改め平和堂とした
    • [7]1960年4月化粧品・アクセサリー・婦人用品、1962年9月衣料品、1965年9月呉服・寝具・日用雑貨・オモチャ・文具の販売を開始
    • [8]1960年4月化粧品・アクセサリー・婦人用品、1962年9月衣料品、1965年9月呉服・寝具・日用雑貨・オモチャ・文具の販売を開始
    • [13]1966年11月に食料品を扱い始め、初めてセルフ・サービスの量販店形態をとった。同社の歴史上の大きなエポック
    • [14]1966年11月に食料品を扱い始め、初めてセルフ・サービスの量販店形態をとった。同社の歴史上の大きなエポック
  • 平和堂 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1957年6月 彦根市川原町甲76番地に資本金150万円にて㈱平和堂を設立
  • ショッピングセンター 7月(33) 1976年「街のルポ〈近江制覇を目指す平和堂の店舗展開〉」編集部 p42-44
    • [5]会社概要:創業昭和32年6月1日、代表取締役社長夏原平次郎
    • [9]買い回り品需要は京都に流れ、1974年7月の県調査で大津・草津から京都へ買いに行く人が30%超。大津市には1976年6月の西武百貨店まで百貨店なし
    • [10]買い回り品需要は京都に流れ、1974年7月の県調査で大津・草津から京都へ買いに行く人が30%超。大津市には1976年6月の西武百貨店まで百貨店なし
    • [11]買い回り品需要は京都に流れ、1974年7月の県調査で大津・草津から京都へ買いに行く人が30%超。大津市には1976年6月の西武百貨店まで百貨店なし
    • [15]昭和38年の彦根1号店開店当時からスーパー部門と百貨店部門を1店に含むジュニアデパートの思想。
    • [16]昭和38年の彦根1号店開店当時からスーパー部門と百貨店部門を1店に含むジュニアデパートの思想。

1967年〜草津店から7年で12店に広げた滋賀のチェーンと、中堅7社で興した共同仕入のニチリウ

創業から12年間彦根の1店だけだった平和堂は、1968年9月に草津市でチェーン店の第1号となる草津店を開設。相川孝氏は1981年の講演で、1968年から1975年の7年間に12店を開設したと述べた。この出店は、高度経済成長下で全国の同業がチェーン化を進めた流れに歩調を合わせたものだった。取締役の桜谷和平氏は1976年、順調な業績の理由に駅前への出店、商圏をやや上回る規模の店、当初の県内に競合店が無かった点を挙げた。1976年2月の守山店の開設で店数は14店となり、1975年度の売上高は500億円に達した。駅前の大型店で県内の主要都市を先に押さえたことが、後発の競合に対する競争優位の源になったとみられる。

  • 証券アナリストジャーナル 19(11) 1981年11月 相川孝(常務取締役)講演要旨
    • [18]1968年9月草津市にチェーン店第1号。創業から43年まで彦根に1店、43〜50年の7年で12店を開設(全国の同業各社のチェーン展開と足並み)
    • [19]1968年9月草津市にチェーン店第1号。創業から43年まで彦根に1店、43〜50年の7年で12店を開設(全国の同業各社のチェーン展開と足並み)
    • [20]1968年9月草津市にチェーン店第1号。創業から43年まで彦根に1店、43〜50年の7年で12店を開設(全国の同業各社のチェーン展開と足並み)
  • ショッピングセンター 7月(33) 1976年「街のルポ〈近江制覇を目指す平和堂の店舗展開〉」編集部 p42-44
    • [21]桜谷和平取締役:駅前立地・商圏を若干上回る大規模店・当初県下に競合店なし。1976年2月守山店で14店、1975年度売上高500億円
    • [22]桜谷和平取締役:駅前立地・商圏を若干上回る大規模店・当初県下に競合店なし。1976年2月守山店で14店、1975年度売上高500億円

平和堂は1973年10月、滋賀県外の第1号店として福井県に敦賀店を開設し、1974年には武生店を加えた。1974年6月には、関東・中部・近畿・中国でチェーンストアを営む7社が共同仕入機構の日本流通産業(ニチリウ)を設立。設立の目的には、各社が自主独立を保ったまま規模の利益を追い、流通コストを下げることを掲げた。相川孝氏は1981年の講演で、年商1,000億円の規模では仕入れで規模の利益が十分に出ないと説明した。相川孝氏によれば、ニチリウは平和堂を含む中堅の地方チェーン7社で興した会社であり、社長は夏原平次郎氏が兼務していた。1981年時点で平和堂は総仕入額約720億円のうち約140億円(19%)をニチリウから調達した。

  • ショッピングセンター 7月(33) 1976年「街のルポ〈近江制覇を目指す平和堂の店舗展開〉」編集部 p42-44
    • [23]福井県下に敦賀店(1973年)、武生店(1974年)、鯖江店を出店
  • 証券アナリストジャーナル 29(2) 1991年 夏原平和(社長)講演要旨
    • [24]ニチリウは1974年6月、関東・中部・近畿・中国のチェーンストア7社が自主独立を堅持しつつ規模のメリットと流通コスト低減を目的に設立した共同仕入機構
    • [25]ニチリウは1974年6月、関東・中部・近畿・中国のチェーンストア7社が自主独立を堅持しつつ規模のメリットと流通コスト低減を目的に設立した共同仕入機構
  • 証券アナリストジャーナル 19(11) 1981年11月 相川孝(常務取締役)講演要旨
    • [26]1973年10月県外1号の敦賀店。年商1,000億円規模では仕入れのマスメリットが出ず、1974年にローカル・チェーン中堅7社のニチリウに参加、夏原社長が社長兼務。総仕入720億円のうち約140億円(19%)
    • [27]1973年10月県外1号の敦賀店。年商1,000億円規模では仕入れのマスメリットが出ず、1974年にローカル・チェーン中堅7社のニチリウに参加、夏原社長が社長兼務。総仕入720億円のうち約140億円(19%)
    • [28]1973年10月県外1号の敦賀店。年商1,000億円規模では仕入れのマスメリットが出ず、1974年にローカル・チェーン中堅7社のニチリウに参加、夏原社長が社長兼務。総仕入720億円のうち約140億円(19%)

平和堂は1976年、彦根市の本部の隣に流通センターを建設した。当時の平和堂は14店を1978年に24店へ増やす計画を立てており、流通センターはその店数に見合う物流体制として建てた。センターは平屋で約9,100m2あり、年商1,000億円規模の物流を処理する能力を備え、全店の販売商品の70%を経由させる設計だった。開設の時期は1981年の講演が1976年11月とし、1977年の業界誌は1976年10月の建設と記している。続いて平和堂は1978年11月に小倉店を開設し、京都府へ初めて進出した。物流の基盤を先に整えたことが、県境を越えた出店と次の大型店の前提になったと思われる。

  • 荷役と機械 24(11) 1977年11月「(その4)平和堂 スチールベルト型自動仕分機による商品処理のアップと流通センター機能の充実」編集部 p30-32
    • [29]滋賀・福井に14店、1978年に24店の計画。店舗増大に見合う物流体制確立のため昨年(1976年)10月、年商1,000億円の物流能力の流通センターを本部横に建設。平屋約9,100m2、全店販売商品の70%が経由
    • [30]滋賀・福井に14店、1978年に24店の計画。店舗増大に見合う物流体制確立のため昨年(1976年)10月、年商1,000億円の物流能力の流通センターを本部横に建設。平屋約9,100m2、全店販売商品の70%が経由
    • [31]滋賀・福井に14店、1978年に24店の計画。店舗増大に見合う物流体制確立のため昨年(1976年)10月、年商1,000億円の物流能力の流通センターを本部横に建設。平屋約9,100m2、全店販売商品の70%が経由
  • 証券アナリストジャーナル 19(11) 1981年11月 相川孝(常務取締役)講演要旨
    • [32]1976年11月に物流の合理化を目的として流通センターを開設。1978年11月小倉店を開設し京都府へ初進出
    • [33]1976年11月に物流の合理化を目的として流通センターを開設。1978年11月小倉店を開設し京都府へ初進出
参考文献[18]-[33]
  • 証券アナリストジャーナル 19(11) 1981年11月 相川孝(常務取締役)講演要旨
    • [18]1968年9月草津市にチェーン店第1号。創業から43年まで彦根に1店、43〜50年の7年で12店を開設(全国の同業各社のチェーン展開と足並み)
    • [19]1968年9月草津市にチェーン店第1号。創業から43年まで彦根に1店、43〜50年の7年で12店を開設(全国の同業各社のチェーン展開と足並み)
    • [20]1968年9月草津市にチェーン店第1号。創業から43年まで彦根に1店、43〜50年の7年で12店を開設(全国の同業各社のチェーン展開と足並み)
    • [26]1973年10月県外1号の敦賀店。年商1,000億円規模では仕入れのマスメリットが出ず、1974年にローカル・チェーン中堅7社のニチリウに参加、夏原社長が社長兼務。総仕入720億円のうち約140億円(19%)
    • [27]1973年10月県外1号の敦賀店。年商1,000億円規模では仕入れのマスメリットが出ず、1974年にローカル・チェーン中堅7社のニチリウに参加、夏原社長が社長兼務。総仕入720億円のうち約140億円(19%)
    • [28]1973年10月県外1号の敦賀店。年商1,000億円規模では仕入れのマスメリットが出ず、1974年にローカル・チェーン中堅7社のニチリウに参加、夏原社長が社長兼務。総仕入720億円のうち約140億円(19%)
    • [32]1976年11月に物流の合理化を目的として流通センターを開設。1978年11月小倉店を開設し京都府へ初進出
    • [33]1976年11月に物流の合理化を目的として流通センターを開設。1978年11月小倉店を開設し京都府へ初進出
  • ショッピングセンター 7月(33) 1976年「街のルポ〈近江制覇を目指す平和堂の店舗展開〉」編集部 p42-44
    • [21]桜谷和平取締役:駅前立地・商圏を若干上回る大規模店・当初県下に競合店なし。1976年2月守山店で14店、1975年度売上高500億円
    • [22]桜谷和平取締役:駅前立地・商圏を若干上回る大規模店・当初県下に競合店なし。1976年2月守山店で14店、1975年度売上高500億円
    • [23]福井県下に敦賀店(1973年)、武生店(1974年)、鯖江店を出店
  • 証券アナリストジャーナル 29(2) 1991年 夏原平和(社長)講演要旨
    • [24]ニチリウは1974年6月、関東・中部・近畿・中国のチェーンストア7社が自主独立を堅持しつつ規模のメリットと流通コスト低減を目的に設立した共同仕入機構
    • [25]ニチリウは1974年6月、関東・中部・近畿・中国のチェーンストア7社が自主独立を堅持しつつ規模のメリットと流通コスト低減を目的に設立した共同仕入機構
  • 荷役と機械 24(11) 1977年11月「(その4)平和堂 スチールベルト型自動仕分機による商品処理のアップと流通センター機能の充実」編集部 p30-32
    • [29]滋賀・福井に14店、1978年に24店の計画。店舗増大に見合う物流体制確立のため昨年(1976年)10月、年商1,000億円の物流能力の流通センターを本部横に建設。平屋約9,100m2、全店販売商品の70%が経由
    • [30]滋賀・福井に14店、1978年に24店の計画。店舗増大に見合う物流体制確立のため昨年(1976年)10月、年商1,000億円の物流能力の流通センターを本部横に建設。平屋約9,100m2、全店販売商品の70%が経由
    • [31]滋賀・福井に14店、1978年に24店の計画。店舗増大に見合う物流体制確立のため昨年(1976年)10月、年商1,000億円の物流能力の流通センターを本部横に建設。平屋約9,100m2、全店販売商品の70%が経由

出典・参考

5件
出典・参考
  • 平和堂 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 19(11) 1981年11月 相川孝(常務取締役)講演要旨
  • 証券アナリストジャーナル 29(2) 1991年 夏原平和(社長)講演要旨
  • ショッピングセンター 7月(33) 1976年「街のルポ〈近江制覇を目指す平和堂の店舗展開〉」編集部 p42-44
  • 荷役と機械 24(11) 1977年11月「(その4)平和堂 スチールベルト型自動仕分機による商品処理のアップと流通センター機能の充実」編集部 p30-32

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