小糸源六郎
小糸製作所・元取締役社長
社長就任1936年4月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1910〜1974年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1910年主要役職の状況(推定含む目安)1974年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間企業 | |||||
| 民間企業 | 宮崎商店(輸入ガラス・食器問屋) | 1910 | 入社 | ||
| 1911 | 退任 | ||||
| 小糸製作所 | 1912 | 鉄道信号灯用フレネルレンズの試作に成功 | |||
| 1915 | 設立 | ||||
| 1930 | 商号を小糸製作所に改称 | ||||
| 1936 | 株式会社小糸製作所 設立・取締役社長 | ||||
| 1950 | 社長退任(相談役) | ||||
| 1951 | 取締役会長 | ||||
| 1953 | 取締役社長 | ||||
| 1957 | 小糸電機株式会社 取締役社長(兼任) | ||||
| 1962 | 社長退任(小糸電機の合併にともない取締役会長) | ||||
| 1968 | 取締役社長(小糸久弥氏の逝去にともない復帰) | ||||
| 1972 | 社長退任(取締役相談役) | ||||
| 1972 | 取締役名誉会長 | ||||
| 1974 | 死去 | ||||
社長就任までの出自
出自
1883年7月、静岡県富士郡伝法村(現・富士市)に生まれた。幼くして生家を離れ、商家への奉公を重ねたのち、大阪での米の行商を最後に1910年10月、28歳で妻と2人の子を連れて上京した。友人の紹介で日本橋の宮崎商店に入ったが、同店は輸入ガラスと食器を扱う問屋で、鉄道院の指定を受けて手広く商いをしていた。技術の素養を持たない商人の出で、信号用レンズの国産化は、ガラス工場の主との共同の試作によって進めた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
創業者として、1936年4月1日に個人経営の小糸製作所を株式会社に改組し、初代の取締役社長に就任した。社長の在任は3つの区間に分かれる。1950年1月、最大の融資元である東海銀行が求めた重役陣の刷新に応じて退き、従業員の具申を受けて1951年11月に会長として戻り、1953年12月に社長へ復帰した。1962年1月に小糸久弥氏へ社長を譲ったが、1968年2月に同氏が在任中に没すると再び社長に就任し、1972年5月に退任して取締役相談役となった。
創業ストーリー
創業ストーリー
在任中の主な施策
小糸源六郎氏:在任中の施策
在任中に、主力を鉄道用の照明器具から自動車用の照明器具へ移した。1936年9月に豊田自動織機製作所自動車部の4輪トラックGA型の前照灯と尾灯を引き受け、これが小糸製作所で初めての4輪車用照明器具の量産となった。1938年3月には品川工場の敷地内に自動車部品専門の第3工場を建てた。1957年10月には静岡工場を分離して小糸電機株式会社を設け、翌年2月にアメリカから全ガラス製シールドビームヘッドランプの自動製造機を入れて国産化を進めた。1962年1月に同社を合併して1社に戻した。
参考文献3件
参考文献
- 小糸製作所50年史(小糸製作所, 1968)創業期「小糸製作所の誕生」
- 小糸製作所50年史(小糸製作所, 1968)発展期「株式会社小糸製作所を設立」「社長・小糸源六郎の辞任」「小糸源六郎の会長復帰」
- 小糸製作所70年史(小糸製作所, 1985)「故小糸源六郎名誉会長の略歴」
事実根拠:出所(小糸製作所)