名村源之助
名村造船所・元社長
社長就任1931年4月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1911〜1942年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1911年主要役職の状況(推定含む目安)1942年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間企業 | |||||
| 民間企業 | 名村造船所 | 1911 | 設立 | ||
| 1913 | 難波島に名村造船鉄工所を開設(個人経営の店主) | ||||
| 1931 | 設立 | ||||
| 1936 | 社長 | ||||
| 1942 | 会長 | ||||
| 1942 | 退任 | ||||
社長就任までの出自
出自
1878年2月、兵庫県揖保郡御津村苅屋の地主の四男に生まれた。父が私費で始めた港の築造が風水害で頓挫して田地と家屋を失い、1884年に父も世を去った。15歳で現在の川崎重工業神戸造船所に鉄工として入ったのが造船との最初の接点で、その後は大阪鉄工所(現・日立造船桜島工場)へ日給16銭の工員として移った。設計技師の山本栄吉氏から休日ごとに図面の読み方を教わり、26歳で職長心得、翌年に職長へ進んで200人近い部下を抱えた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1911年2月に大阪鉄工所を辞し、上野鉄工所の設備を借りて個人で造船を始めた。1913年5月には大阪市港区今木町の難波島に移り、名村造船鉄工所の看板を掲げた。個人経営は20年近く続き、1931年4月に村尾船渠の乾船渠を買い取ったのを機に資本金10万円の株式会社名村造船所へ改め、取締役の互選で代表取締役に就任した。年表は1936年に社長就任と記し、1942年2月に長男の名村源氏へ社長を譲り、会長に就任した。
創業ストーリー
創業ストーリー
在任中の主な施策
名村源之助氏:在任中の施策
株式会社化の直後は赤字が続き、繰越欠損を消して初の配当4%を出せたのは第5期(1934年11月〜1935年10月)だった。1936〜1938年には名村造船所で初の輸出船としてソ連向けの曳船8隻を建造し、引き渡した。造船と並べて船を持ち運航する構想も温め、1927年7月に一族の出資だけで名村汽船合資会社を設け、輸入船の大源丸から船隊を組んだ。同社は1943年の江口汽船との合併時に6隻・2万105重量トンを保有していた。
参考文献5件
参考文献
- 造船55年(名村造船所, 1967)第1編第1章 名村源之助の大阪鉄工所時代
- 造船55年(名村造船所, 1967)第1編第2章 創業までの経過
- 造船55年(名村造船所, 1967)第3編第2章 株式会社名村造船所の発足
- 造船55年(名村造船所, 1967)第3編第4章 施設の拡充と経営基盤の確立
- 造船55年(名村造船所, 1967)年表
事実根拠:出所(名村造船所)