日本カーボンの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

電極の受注に工場の増設で応じ、不況には減資で耐えた会社である。1916年の操業直後に受注が生産能力の3倍に達すると、浦島丘に354坪の工場を建設し、1917年7月には2,373坪の第3工場(のちの山手工場)を設けた。同じ1917年5月には50万円への増資を決め、小沢電炭製造所を買収して小物製品の製造体制を構築した。一方で、会津に設けた黒鉛化の試験工場は成績が振るわず、1918年末に中止となった。大戦後の不況では、1920年に社長に就任した近藤賢二氏が鶴見分工場の工事を延期し、1921年3月に資本金を60万円へ減資した。

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