寒川恒貞
東海カーボン・元東海電極製造 設立・取締役社長
経歴1903〜1945年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1903年主要役職の状況(推定含む目安)1945年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間企業 | |||||
| 民間企業 | 深川電燈 | 1903 | 入社 | ||
| 川越電気鉄道 | 1903 | 入社 | |||
| 箱根水力電気 | 1906 | 主任技術者 | |||
| 徳島水力電気 | 1909 | 技師長 | |||
| 四国水力電気 | 1910 | 監査役 | |||
| 1920 | 取締役 | ||||
| 1924 | 取締役社長 | ||||
| 1928 | 取締役(社長辞任) | ||||
| 電気製鋼所 | 1916 | 常務取締役 | |||
| 東海カーボン | 1918 | 設立 | |||
| 1941 | 社長 退任 | ||||
| 1941 | 取締役会長 | ||||
| 1945 | 死去 | ||||
| 大同電気製鋼所 | 1922 | 取締役社長 | |||
| 1931 | 取締役(社長を下出義雄氏に譲る) | ||||
社長就任までの出自
出自
1875年6月26日、香川県香川郡太田村(現・高松市伏石町)で寒川恒吉氏の長男として生まれた。家業を継がせたい父を説き、学費の援助を受けない約束で1891年に上京した。第四高等学校から京都帝国大学理工科大学電気工学科へ進み、1902年に卒業した。深川電燈と川越電気鉄道で主任技師を務め、その後は箱根水力電気・徳島水力電気・四国水力電気で水力発電所の建設を担った。四国水力電気では監査役から取締役を経て、1924年に社長に就任した。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1914年10月に欧米の電気事業の視察から戻ると、名古屋駅で福沢桃介氏から名古屋電燈の余った電力5,000キロワットの使い道を調べるよう求められた。寒川恒貞氏は電気製鋼を進言し、1916年8月に独立した電気製鋼所の常務取締役に就任した。製鋼に欠かせない電極の調達が滞ると、電極の製造を独立の事業として自ら立案した。福沢桃介氏の賛同を得て1918年4月に東海電極製造を設立し、取締役社長に就任した。
創業ストーリー
創業ストーリー
在任中の主な施策
寒川恒貞氏:在任中の施策
1919年11月に電刷子を作る大三位製作所を合併し、小物の炭素製品へ品目を広げた。1928年7月には輸入品と同等の人造黒鉛質の電解板を開発し、1934年9月に径18インチの太物電極の試作を果たした。1935年に熊本県田浦村へ工場を置く第2東海電極を設け、自ら社長を兼ねたうえで、1936年11月に合併した。1941年4月に健康上の理由で社長を退き、寒川恒一郎氏が2代目社長に就任した。
参考文献4件
参考文献
- 東海カーボン六十五年史(東海カーボン, 1983)第1章第1節 3 寒川恒貞,当社創業までの歩み
- 東海カーボン六十五年史(東海カーボン, 1983)第1章第2節 創業の趣意と経緯
- 東海カーボン六十五年史(東海カーボン, 1983)第3章第5節 昭和13年~20年の経営の動き
- 国立国会図書館サーチ 著者典拠「寒川, 恒貞(サムカワ, ツネサダ)」
事実根拠:出所(東海カーボン)