小幡謙三

積水化学工業・元代表取締役社長就任

(敬称略)

Obata Kenzo

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生年月日
学歴 京都大学経済学部
出自
出自
神奈川県の生まれで、1933年に京都大学経済学部を卒業し、1934年1月に旭化成工業へ入社した。1947年3月に同社取締役、同年5月に常務取締役、1961年7月に専務取締役へ進み、化学メーカーの経営を30年近く経験している。積水化学工業と旭化成工業はいずれも日本窒素肥料を源流とする企業で、小幡謙三氏は同じ日窒系の隣接会社から迎えられた。
抜擢
積水化学工業は子会社群の設立まで広げた積極経営の末に1965年の破局を迎え、旧日本窒素グループの旭化成工業から立て直し役として小幡謙三氏が送り込まれた。前任の上野次郎男氏は1966年2月に代表権のない会長へ退いている。小幡謙三氏は1965年1月に顧問として迎えられ、1966年2月に代表取締役社長へ就いた。生え抜きではなく、再建を託して外から呼んだ人事である。
施策
不採算部門の整理売却を進めるとともに、1967年7月に資本金を半分に減らす半額減資を断行し、二年で負債を消却して復配にこぎ着けた。財務の立て直しを終えた在任の末期には、1971年2月に鉄骨系ユニット住宅「セキスイハイム」を発売して住宅事業へ参入している。塩化ビニルパイプと成型品で蓄えた樹脂加工技術を最終消費財へ転用したこの決断から、のちの3本柱体制が広がった。1971年5月に代表取締役会長へ移った。
評価
執筆予定
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1966年版 経歴・学歴・出身地
  • 日本企業要覧 1971年版 経歴
  • 日本企業要覧 1981年版 経歴
  • 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)「小幡 謙三 オバタ ケンゾウ」 読み
  • 講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」「小幡謙三 おばた-けんぞう」 読み

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