小坂徳三郎
信越化学工業・元代表取締役社長
社長就任 1956年7月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学経済学部
出自 —
社長就任までの出自
出自
1916年に長野県で生まれ、1939年3月に東京帝国大学経済学部を卒業して朝日新聞社へ入った。信越化学工業に移ったのは1949年5月で、支配人として入った翌6月に代表取締役常務、1951年1月に代表取締役副社長へ進んだ。入社から副社長まで1年8か月しかかかっていない。1931年5月に越寿三郎氏から株式を引き取って社長へ就任した小坂順造氏以降、小坂家が約40年にわたって経営を主導しており、その中核に当たる代である。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1956年7月、代表取締役副社長から社長へ就任した。1955年時点の社長は小坂順造氏で、副社長がこの代であった。就任の3年前、1953年10月に磯部工場でシリコーンの製造が始まっており、副社長としてその企業化を担っていた。企業化から5年は「ほとんど商品とは言えない状態」が続いたと後年に語っている。1956年5月期の売上高は37億円で、肥料が大半を占めたまま社長を承継した。
在任中の主な施策
施策
在任は1956年7月から1971年7月までの15年で、この間に主力事業が入れ替わった。1957年3月に直江津工場でアセチレン法による塩化ビニルとか性ソーダの製造を開始し、1960年7月には磯部工場で半導体シリコンの生産に入った。1967年3月には米ダウコーニング社との共同出資で信越半導体を設立し、1970年8月には鹿島工場でエチレン法の塩化ビニルを立ち上げた。売上高は1956年5月期の37億円から1971年5月期の428億円へ11倍になっている。1969年12月に衆議院議員となり、1971年7月に社長を小林周蔵氏へ渡した。
GEとの提携でシリコーン事業化在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1939〜1969年
在任中の業績
就任前(FY55)38億円
退任時-
変化-
就任前(FY55)8.9%
退任時-
変化-
参考文献 4件
- 日本企業要覧 1962年版
- 日本企業要覧 1971年版
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- 信越化学工業 有価証券報告書【沿革】