クラレ:エバール樹脂の事業化と非繊維で経常利益8割の「地下茎経営」
1972年〜岡山で始めたガスバリア樹脂エバールと鹿島工場、2000人の人員整理
1972年5月、クラレは岡山工場でエチレン・ビニルアルコール共重合体「エバール」の生産を始めた。同じ年の12月には鹿島工場が操業に入り、ポリイソプレンゴム「クラプレン」を作り始めている。直前の1972年3月期(半期)は合繊不況でポリエステル部門が大幅な赤字となり、配当を年1割へ減らしていた。エバールはポバールにエチレンを結合させた樹脂で、ビニロンの原料として育てたポバールの技術から派生した製品だった。酸素などの気体を通しにくい性質から食品容器に向き、1973年に発売された。一方の合成ゴムは石油危機による原料高と天然ゴム安に挟まれ、翌年には拡大を断念した。ポリエステルの赤字を前に、自前の高分子技術を延ばせる樹脂とゴムへ同時に資源を振ったとみられる。
- クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)「沿革」
- [1]1972年5月 岡山工場でエチレン・ビニルアルコール共重合体〈エバール〉の生産開始
- [2]1972年12月 鹿島工場操業開始(ポリイソプレンゴム〈クラプレン〉)
- 日本企業要覧 1972年版「クラレ」
- [3]1972年3月期(半期)は合繊不況でポリエステル部門が大幅赤字、1.1%減収・16.1%減益、配当は2分減配して年1割
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- [4]エバールはポバールとエチレンを結合したプラスチック、ポバールはもともとビニロン繊維の原料
- [5]EVOH樹脂は酸素などの気体を通さない食品容器向けの特殊プラスチック、クラレは「エバール」の商品名で1973年に発売
- [6]1972年にタイヤ向けゴム事業へ進出、第1次石油ショックの原料高騰と天然ゴム価格低迷で翌年にゴム事業の拡大を断念
1975年5月、副社長の岡林次男氏が社長に就任し、仙石襄氏は会長へ移った。岡林次男氏は1935年入社の工学博士で、1972年11月からクラレイソプレンの社長を兼ねた技術者だった。業績は石油危機の後に崩れ、1975年3月期(半期)は21億5,100万円の経常損失を出した。1年決算に移った1976年3月期も、売上高1,728億7,800万円に対し経常損失は26億7,100万円に広がった。経営効率化の一環として、西条工場と大阪の尾崎工場も閉じた。就任直後の取材で岡林次男社長は、社員に望むものを問われて『ショックに耐えられるだけの気力と、火事場に真っ先に飛び込んでいく気。平均的な思考と行動だけでは、新しいものを生み出すことはできない』と答えた。同じ取材では、繊維は本業であり看板は降ろさないとも明言している。
- 日本企業要覧 1978年版「クラレ」
- [7]1975年5月 岡林次男が取締役社長、仙石襄は同月に取締役会長
- 日経ビジネス 1975年9月15日号
- [8]岡林次男は1935年に倉敷絹織入社、1972年1月に工学博士、1975年5月社長就任
- [12]社員に望むことは「ショックに耐えられるだけの気力と、火事場に真っ先に飛び込んでいく気」
- [13]繊維の看板は降ろさない、あくまで本業と発言
- 日本企業要覧 1976年版「クラレ」
- [9]1974年10月〜1975年3月の半期決算 経常損失2,151百万円
- [10]1976年3月期(1年決算) 売上高172,878百万円・経常損失2,671百万円
- [11]経営効率化の一環として西条工場・大阪尾崎工場を閉鎖
1976年9月、クラレは中条工場でイソプレン誘導品の生産を始めた。合成ゴムの拡大を断念した後もイソプレンの技術は手放さず、香料や医薬品の中間体へ振り向けた。本体の赤字はなお続き、1977年3月期は経常損失18億200万円を計上して配当を見送った。1977年6月には、8,311人の従業員を今後2,000人程度減らす目標が報じられた。1975年3月からの2年間ですでに約2,000人が減っており、以後も退職者の不補充や出向の増加で人員を絞る方針だった。翌1978年3月期も売上高1,651億7,400万円に対し当期損失は32億1,000万円となり、関係会社等の整理損を計上した。行き詰まったゴムの技術を付加価値の高い化学品へ転じ、人員の縮小と並行して次の収益源を探したと推察される。
- クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)「沿革」
- [14]1976年9月 中条工場でイソプレン誘導品の生産開始
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- [15]ゴム事業拡大の断念後もイソプレンの技術的蓄積を捨てず、香料や医薬品の中間体を製品化
- 日本企業要覧 1977年版「クラレ」
- [16]1977年3月期 経常損失1,802,708千円・当期損失565,289千円、配当0
- 読売新聞 1977年6月1日
- [17]従業員8311人を今後2000人程度減員する目標
- [18]1975年3月から2年間で約2000人減少、今後も退職者の不補充など自然減・出向社員の増加を図る
- 日本企業要覧 1978年版「クラレ」
- [19]1978年3月期 売上高1,651億7千4百万円・当期損失32億1千万円、特別損失に関係会社等整理損2,071,795千円
参考文献[1]-[19]
- クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)「沿革」
- [1]1972年5月 岡山工場でエチレン・ビニルアルコール共重合体〈エバール〉の生産開始
- [2]1972年12月 鹿島工場操業開始(ポリイソプレンゴム〈クラプレン〉)
- [14]1976年9月 中条工場でイソプレン誘導品の生産開始
- 日本企業要覧 1972年版「クラレ」
- [3]1972年3月期(半期)は合繊不況でポリエステル部門が大幅赤字、1.1%減収・16.1%減益、配当は2分減配して年1割
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- [4]エバールはポバールとエチレンを結合したプラスチック、ポバールはもともとビニロン繊維の原料
- [5]EVOH樹脂は酸素などの気体を通さない食品容器向けの特殊プラスチック、クラレは「エバール」の商品名で1973年に発売
- [6]1972年にタイヤ向けゴム事業へ進出、第1次石油ショックの原料高騰と天然ゴム価格低迷で翌年にゴム事業の拡大を断念
- [15]ゴム事業拡大の断念後もイソプレンの技術的蓄積を捨てず、香料や医薬品の中間体を製品化
- 日本企業要覧 1978年版「クラレ」
- [7]1975年5月 岡林次男が取締役社長、仙石襄は同月に取締役会長
- [19]1978年3月期 売上高1,651億7千4百万円・当期損失32億1千万円、特別損失に関係会社等整理損2,071,795千円
- 日経ビジネス 1975年9月15日号
- [8]岡林次男は1935年に倉敷絹織入社、1972年1月に工学博士、1975年5月社長就任
- [12]社員に望むことは「ショックに耐えられるだけの気力と、火事場に真っ先に飛び込んでいく気」
- [13]繊維の看板は降ろさない、あくまで本業と発言
- 日本企業要覧 1976年版「クラレ」
- [9]1974年10月〜1975年3月の半期決算 経常損失2,151百万円
- [10]1976年3月期(1年決算) 売上高172,878百万円・経常損失2,671百万円
- [11]経営効率化の一環として西条工場・大阪尾崎工場を閉鎖
- 日本企業要覧 1977年版「クラレ」
- [16]1977年3月期 経常損失1,802,708千円・当期損失565,289千円、配当0
- 読売新聞 1977年6月1日
- [17]従業員8311人を今後2000人程度減員する目標
- [18]1975年3月から2年間で約2000人減少、今後も退職者の不補充など自然減・出向社員の増加を図る
1984年〜無配から立て直した中村尚夫社長と、協和ガス化学工業など3社の吸収合併
1985年、中村尚夫氏がクラレの社長に就任した。クラレは第1次石油危機後の1975年から4年間無配が続き、立ち直りかけたところで1985年の円高不況に見舞われていた。1985年3月期の売上高は2,068億円、経常利益は37億円で、非繊維の比率は30%に満たなかった。長短借入金は1,125億円に達し、金融収支は65億円の赤字だった。中村尚夫社長はまず4年間の中期経営計画を作り、輸出比率の高い売上構成を内需中心へ改めると定めた。計画には『総合化を追うよりユニークでオリジナリティーのある会社になる』という考えを盛り込んだ。あわせて10項目の旧社訓に代え、「個人の尊重」「価値創造」「同心協力」の3語を示した。業績は1986年度を底に回復へ向かい、内需重視への転換とコスト削減がその支えとなった。
- 日経ビジネス 1993年8月30日号
- [20]中村尚夫は1985年に社長に就任
- [21]第1次石油ショック後の1975年から4年間無配、85年の円高不況に直面
- [24]就任後まず4年間の中期経営計画を策定、海外輸出比率の高い売上高構成を内需中心型へ転換
- [25]中期計画に「総合化を追うよりユニークでオリジナリティーのある会社になる」考えを盛り込む
- [26]10項目の社訓に代えて「個人の尊重」「価値創造」「同心協力」の三つの言葉を提示
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- [22]1985年3月期 売上高2068億円・経常利益37億円、ポリエステル980億円、非繊維比率30%未満
- [23]1985年3月期の長短借入金1125億円、金融収支65億円の赤字
- 証券調査 240号 1990年9月「クラレ」(久保いずみ)
- [27]内需重視への転換・コストダウンの推進などで繊維部門の採算が向上、1986年度をボトムに業績は回復基調
1987年10月、クラレは不織布を手がける子会社のクラフレックスを吸収合併した。クラフレックスは1971年11月にクラレチコピーとして設立され、1982年10月に社名を改めた会社だった。これに先立つ1984年12月には、面ファスナーの日本ベルクロも吸収合併していた。後発のポリエステルが長く不振だったため、クラレは非繊維を広げて売上規模を大きくすることを急いでいた。不織布は紙おむつやおしぼりなど使い捨て用途で首位の占有率を持ち、中期で10%以上の伸びが見込まれた。1987年度の経常利益は58%増え、クラフレックスの合併分もその増益に加わった。子会社で育った事業を本体へ取り込み、非繊維の売上を一段で積み増す狙いだったと考えられる。
- クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)「沿革」
- [28]1987年10月 クラフレックス株式会社を吸収合併
- [29]1971年11月 クラレチコピー株式会社設立(1982年10月クラフレックス株式会社に社名変更)
- [30]1984年12月 日本ベルクロ株式会社を吸収合併
- 証券調査 240号 1990年9月「クラレ」(久保いずみ)
- [31]後発で収益性の弱いポリエステルが永らく業績不振に苦しみ、非繊維の拡充を急ぎ売上規模の拡大に注力
- [32]不織布「クラフレックス」はディスポーザブル用途でトップシェア、中期的に10%以上の成長が見込まれる
- [33]クラフレックス・協和ガス化学の合併分も合わせ、経常利益は1987年度58%増益
1989年10月、クラレは協和ガス化学工業を吸収合併した。協和ガス化学はMMA(メタクリル)樹脂の大手で、樹脂部門の売上高は1989年度に503億円へ増えた。背景には、1988年3月期から4年をかけた第2次中期計画があった。中村尚夫氏が社長時代に着手した計画で、繊維の合理化・高収益化と非繊維の拡大を重点に据えていた。MMA樹脂は1986年に参入したレーザーディスクの原料でもあり、合併で原料から一貫して作る体制が整った。ただしアクリルとディスクの事業は、バブル崩壊後に収支均衡か赤字へ沈んだ。ポバールからビニロンへの一貫生産で得た型を、樹脂とディスクにも当てはめようとしたのだろう。
- クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)「沿革」
- [34]1989年10月 協和ガス化学工業株式会社を吸収合併
- 証券調査 240号 1990年9月「クラレ」(久保いずみ)
- [35]協和ガス化学はMMA樹脂の大手メーカー、樹脂・樹脂製品の売上高は1988年度312億円→1989年度503億円
- [38]1986年に光ディスクへ参入、協和ガス化学のMMA樹脂を原料に原料からの一貫生産体制を確立
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- [36]変身のきっかけは1988年3月期から4年間の第2次中期計画
- [37]第2次中期計画は中村尚夫が社長時代に着手、繊維事業の合理化・高収益化と非繊維事業の拡大が柱
- [39]吸収合併で進出したアクリル事業と関連のLD事業はバブル崩壊で収支トントンや赤字(西本豊専務)
参考文献[20]-[39]
- 日経ビジネス 1993年8月30日号
- [20]中村尚夫は1985年に社長に就任
- [21]第1次石油ショック後の1975年から4年間無配、85年の円高不況に直面
- [24]就任後まず4年間の中期経営計画を策定、海外輸出比率の高い売上高構成を内需中心型へ転換
- [25]中期計画に「総合化を追うよりユニークでオリジナリティーのある会社になる」考えを盛り込む
- [26]10項目の社訓に代えて「個人の尊重」「価値創造」「同心協力」の三つの言葉を提示
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- [22]1985年3月期 売上高2068億円・経常利益37億円、ポリエステル980億円、非繊維比率30%未満
- [23]1985年3月期の長短借入金1125億円、金融収支65億円の赤字
- [36]変身のきっかけは1988年3月期から4年間の第2次中期計画
- [37]第2次中期計画は中村尚夫が社長時代に着手、繊維事業の合理化・高収益化と非繊維事業の拡大が柱
- [39]吸収合併で進出したアクリル事業と関連のLD事業はバブル崩壊で収支トントンや赤字(西本豊専務)
- 証券調査 240号 1990年9月「クラレ」(久保いずみ)
- [27]内需重視への転換・コストダウンの推進などで繊維部門の採算が向上、1986年度をボトムに業績は回復基調
- [31]後発で収益性の弱いポリエステルが永らく業績不振に苦しみ、非繊維の拡充を急ぎ売上規模の拡大に注力
- [32]不織布「クラフレックス」はディスポーザブル用途でトップシェア、中期的に10%以上の成長が見込まれる
- [33]クラフレックス・協和ガス化学の合併分も合わせ、経常利益は1987年度58%増益
- [35]協和ガス化学はMMA樹脂の大手メーカー、樹脂・樹脂製品の売上高は1988年度312億円→1989年度503億円
- [38]1986年に光ディスクへ参入、協和ガス化学のMMA樹脂を原料に原料からの一貫生産体制を確立
- クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)「沿革」
- [28]1987年10月 クラフレックス株式会社を吸収合併
- [29]1971年11月 クラレチコピー株式会社設立(1982年10月クラフレックス株式会社に社名変更)
- [30]1984年12月 日本ベルクロ株式会社を吸収合併
- [34]1989年10月 協和ガス化学工業株式会社を吸収合併
1993年〜非繊維が経常利益の8割を占めた地下茎経営と、世界3位以内を基準にした松尾博人社長
1993年6月、松尾博人氏が社長に就任し、中村尚夫氏は会長に移った。松尾博人氏は1958年に入社し、繊維部門が長くクラフレックス事業本部長も務めた人物だった。非繊維は1989年度にすでに経常利益の推定107億円を稼ぎ、繊維3品目の合計46億円を上回っていた。1994年3月期の経常利益は185億円で、前期比12%の減益にとどまった。東レの26%減、帝人の38%減に比べて減益の幅は小さく、非繊維が経常利益の80%を稼いだ。支えたのはエバール・クラリーノ・ポバールの3製品で、エバールは世界の70%を占めていた。松尾博人社長は技術で連なる製品群を育てる手法を「地下茎経営」と呼んだ。後年の取材では、一見無関係な商品の関係を『あたかも1本、1本のタケノコが地下茎でつながっているようにね』と説明している。
- 日経ビジネス 1998年9月14日号 編集長インタビュー 松尾博人[クラレ社長]
- [40]松尾博人は1993年6月から社長、中村尚夫前社長は会長
- [41]松尾博人は1958年早稲田大学法学部卒・同年クラレ入社、ファイバー事業本部長・クラフレックス事業本部長など、繊維部門が長い
- [47]派生商品は一見関係がなくても脈がつながっており、タケノコが地下茎でつながっているようなもの
- 証券調査 240号 1990年9月「クラレ」(久保いずみ)
- [42]1989年度の経常利益寄与はビニロン27億円・ポリエステル16億円・レーヨン3億円・非繊維107億円と推定
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- [43]1994年3月期 経常利益185億円、前期比12%減益
- [44]東レ26%・帝人38%の減益に対しクラレは12%、非繊維事業で1994年3月期の経常利益の80%を稼ぐ
- [45]エバール・クラリーノ・ポバールの3製品が非繊維の柱、エバールは世界シェア70%
- [46]技術的連鎖のある製品群を松尾博人社長は「地下茎経営」「タケノコ経営」と表現
松尾博人社長は、世界で上位3位に入れる事業に資源を絞る考えを示した。1998年の取材では、日本と世界の市場が一体化した以上、『少なくとも世界で上位3位ぐらいに入っていないといけません』と語っている。汎用品の大市場は参加者が多すぎるため、規模は小さくとも独自技術で主導権を握れる市場を選ぶという理屈だった。この基準から外れた分野では、1993年に医薬品を新薬開発から中間材料の受託へ切り替え、1996年にミニディスクから撤退した。一方で1994年4月につくば市に筑波研究所を設け、1999年5月には西条工場で耐熱性ポリアミド樹脂「ジェネスタ」の生産を始めた。1998年3月期の経常利益は235億円で、4期連続の増益となった。得意でない分野に出て撤退した経験が、技術の幹から離れない投資の線引きを固めさせたと思われる。
- 日経ビジネス 1999年8月23日号
- [48]国際的な商品なら世界シェア3位以内のものに絞りたい(松尾博人社長)
- [51]1993年に医薬品を新薬開発から中間材料の受託製造へ切り替え、1996年にミニディスクから撤退
- 日経ビジネス 1998年9月14日号 編集長インタビュー 松尾博人[クラレ社長]
- [49]世界の中で生き残れなければ日本でも生き残れず、少なくとも世界で上位3位ぐらいに入る必要
- [50]汎用品の大市場はプレーヤーが多く、市場規模は小さくともユニークな技術・商品で負けない市場がよい
- [53]1998年3月期 経常利益235億円で過去最高、4期連続の増益
- クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)「沿革」
- [52]1994年4月 つくば市に筑波研究所設立/1999年5月 西条工場で耐熱性ポリアミド樹脂〈ジェネスタ〉の生産開始
1999年9月、ベルギーのEVAL Europe N.V.がエバール樹脂の生産を始めた。EVAL Europeは1997年10月に設立され、1998年4月に工場の建設へ入っていた。1996年度からの第4次中期経営計画は、積極的な設備投資と日欧米アジアでの事業展開を重点に掲げた。人の面では1999年から、本社の課長級を研修して子会社の経営へ送り込む制度を始めた。制度を統括したのは人事担当常務の和久井康明氏で、2000年に社長へ就任した。第4次計画の期間中に、中核5事業のすべてで設備の新増設が行われた。そのうえで基盤の強化を『reinforcement of our business foundation was pursued through ‘selection and concentration’ under the leadership of Chairman Matsuo』(訳:会長の松尾博人氏の下で「選択と集中」によって進めた)と位置づけた。
- クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)「沿革」
- [54]1999年9月 EVAL Europe N.V.〈エバール〉樹脂の生産開始
- Kuraray Annual Report 1998「Message from the Management」
- [55]ベルギーのエバール製造設備は準備を終え1998年4月に着工(EVAL Europe N.V.は1997年10月設立)
- Kuraray Annual Report 1999「Message from the Management」
- [56]第4次中期経営計画(1996年度から)の柱は積極的設備投資・新事業開発と日欧米アジアでのグローバル展開
- 日経ビジネス 1999年8月23日号
- [57]1999年から本社管理職を研修して子会社の経営に出向させる「グループ人材交流研修」を開始
- Kuraray Annual Report 2000「Interview with the President」
- [58]1999年時点で和久井康明は人事統括の常務として人事制度改革を担い、2000年に社長へ就任
- [59]第4次中期計画でクラロン・ポバール・エバール・イソプレンケミカル・クラリーノの中核5事業すべてで設備を新増設
- [60]事業基盤の強化は松尾会長の指導の下で「選択と集中」により進められた
参考文献[40]-[60]
- 日経ビジネス 1998年9月14日号 編集長インタビュー 松尾博人[クラレ社長]
- [40]松尾博人は1993年6月から社長、中村尚夫前社長は会長
- [41]松尾博人は1958年早稲田大学法学部卒・同年クラレ入社、ファイバー事業本部長・クラフレックス事業本部長など、繊維部門が長い
- [47]派生商品は一見関係がなくても脈がつながっており、タケノコが地下茎でつながっているようなもの
- [49]世界の中で生き残れなければ日本でも生き残れず、少なくとも世界で上位3位ぐらいに入る必要
- [50]汎用品の大市場はプレーヤーが多く、市場規模は小さくともユニークな技術・商品で負けない市場がよい
- [53]1998年3月期 経常利益235億円で過去最高、4期連続の増益
- 証券調査 240号 1990年9月「クラレ」(久保いずみ)
- [42]1989年度の経常利益寄与はビニロン27億円・ポリエステル16億円・レーヨン3億円・非繊維107億円と推定
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- [43]1994年3月期 経常利益185億円、前期比12%減益
- [44]東レ26%・帝人38%の減益に対しクラレは12%、非繊維事業で1994年3月期の経常利益の80%を稼ぐ
- [45]エバール・クラリーノ・ポバールの3製品が非繊維の柱、エバールは世界シェア70%
- [46]技術的連鎖のある製品群を松尾博人社長は「地下茎経営」「タケノコ経営」と表現
- 日経ビジネス 1999年8月23日号
- [48]国際的な商品なら世界シェア3位以内のものに絞りたい(松尾博人社長)
- [51]1993年に医薬品を新薬開発から中間材料の受託製造へ切り替え、1996年にミニディスクから撤退
- [57]1999年から本社管理職を研修して子会社の経営に出向させる「グループ人材交流研修」を開始
- クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)「沿革」
- [52]1994年4月 つくば市に筑波研究所設立/1999年5月 西条工場で耐熱性ポリアミド樹脂〈ジェネスタ〉の生産開始
- [54]1999年9月 EVAL Europe N.V.〈エバール〉樹脂の生産開始
- Kuraray Annual Report 1998「Message from the Management」
- [55]ベルギーのエバール製造設備は準備を終え1998年4月に着工(EVAL Europe N.V.は1997年10月設立)
- Kuraray Annual Report 1999「Message from the Management」
- [56]第4次中期経営計画(1996年度から)の柱は積極的設備投資・新事業開発と日欧米アジアでのグローバル展開
- Kuraray Annual Report 2000「Interview with the President」
- [58]1999年時点で和久井康明は人事統括の常務として人事制度改革を担い、2000年に社長へ就任
- [59]第4次中期計画でクラロン・ポバール・エバール・イソプレンケミカル・クラリーノの中核5事業すべてで設備を新増設
- [60]事業基盤の強化は松尾会長の指導の下で「選択と集中」により進められた
1972年〜2000年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1972年03月期 | 単体 | 1,167 | n/a | 21 | 14 | 1.2% | クラレチコピーを設立(1971/11) |
| 1973年03月期 | 単体 | 1,368 | +17.2% | 29 | 13 | 1.0% | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 1,706 | +24.7% | 116 | 52 | 3.0% | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 1,786 | +4.7% | 10 | 19 | 1.1% | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | 1,728 | ▲3.2% | ▲26 | ▲8 | ▲0.5% | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | 1,753 | +1.4% | ▲18 | ▲5 | ▲0.3% | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | 1,651 | ▲5.8% | ▲52 | ▲32 | ▲1.9% | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 1,653 | +0.1% | 17 | 2 | 0.1% | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | 1,905 | +15.2% | 48 | 6 | 0.3% | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | 2,034 | +6.8% | 35 | 16 | 0.8% | n/a |
| 1982年03月期 | 単体 | 1,954 | ▲3.9% | 35 | 18 | 0.9% | n/a |
| 1983年03月期 | 単体 | 1,934 | ▲1.0% | 23 | 10 | 0.5% | n/a |
| 1984年03月期 | 単体 | 2,055 | +6.3% | 28 | 12 | 0.6% | 米国にKuraray America, Inc.及びEVAL Company of Americaを設立(1983/10) |
| 1985年03月期 | 単体 | 2,068 | +0.6% | 37 | 18 | 0.9% | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年03月期 | 連結 | 3,557 | n/a | 233 | 115 | 3.2% | n/a |
| 1993年03月期 | 連結 | 3,532 | ▲0.7% | 212 | 94 | 2.7% | n/a |
| 1994年03月期 | 連結 | 3,268 | ▲7.5% | 195 | 82 | 2.5% | n/a |
| 1995年03月期 | 連結 | 3,273 | +0.2% | 216 | 96 | 2.9% | n/a |
| 1996年03月期 | 連結 | 3,309 | +1.1% | 240 | 110 | 3.3% | ドイツにKuraray Eval Europe GmbHを設立(1995/12) |
| 1997年03月期 | 連結 | 3,401 | +2.8% | 270 | 117 | 3.4% | シンガポールにKuraray Singaporeを設立(1996/09)シンガポールに日本合成化学工業との合弁会社POVAL ASIAを設立(1996/10) |
| 1998年03月期 | 連結 | 3,476 | +2.2% | 290 | 140 | 4.0% | ベルギーにEVAL Europe N.V.を設立(1997/10)シンガポールにKuraray Specialities Asiaを設立(1997/11) |
| 1999年03月期 | 連結 | 3,365 | ▲3.2% | 274 | 132 | 3.9% | n/a |
| 2000年03月期 | 連結 | 3,164 | ▲6.0% | 221 | 75 | 2.4% | POVAL ASIAがポバール樹脂の生産開始(1999/04) |
出所:会社年鑑
出典・参考
15件
- クラレ 有価証券報告書 第145期(2025年12月期)「沿革」
- 日経ビジネス 1975年9月15日号
- 証券調査 240号 1990年9月「クラレ」(久保いずみ)
- 日経ビジネス 1993年8月30日号
- 日経ビジネス 1994年9月19日号
- 日経ビジネス 1998年9月14日号 編集長インタビュー 松尾博人[クラレ社長]
- 日経ビジネス 1999年8月23日号
- 読売新聞 1977年6月1日
- 日本企業要覧 1972年版「クラレ」
- 日本企業要覧 1976年版「クラレ」
- 日本企業要覧 1977年版「クラレ」
- 日本企業要覧 1978年版「クラレ」
- Kuraray Annual Report 1998「Message from the Management」
- Kuraray Annual Report 1999「Message from the Management」
- Kuraray Annual Report 2000「Interview with the President」