決断
肥料の豆粕を売る会社として興り、精製した食用油を家庭へ売る会社へ軸を移すに至った。1914年に資本金を300万円から60万円へ減らして損失を整理し、第一次世界大戦の好況で得た利益を配当の原資に回した。1918年には商号を日清製油に改めて営業目的を植物油全般へ広げ、松下商店を合併して横浜に内地の工場を得た。さらに1923年秋にはドイツから精製機械を輸入し、翌1924年に本格稼働した横浜の精製工場の大豆油を「日清サラダ油」の名で家庭向けの瓶詰と小缶へ広げた。昭和初期に満州の政情が乱れると、特産物の売買を縮めて製油へ重点を戻した。