吉田忠雄
YKK・元社長
社長就任1945年8月
生年月日—
学歴高等小学校
出自—
経歴1928〜1993年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1928年主要役職の状況(推定含む目安)1993年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 古谷商店 | 1928 | 入店 | ||
| YKK(旧・吉田工業) | 1934 | 創業 | |||
| 1942 | 改組 | ||||
| 1945 | 設立 社長 | ||||
| 1993 | 社長 退任 |
社長就任までの出自
出自
1908年9月19日、富山県下中島村住吉(現・魚津市)で、養鶏を営む家の四人きょうだいの末子として生まれた。1923年に高等小学校を卒業し、長兄のゴム靴の商いを手伝ったが、兄の事業は不況のあおりで行き詰まった。1928年10月に上京し、日本橋蠣殻町の中国陶器輸入商・古谷商店に住み込みで入った。1934年1月1日、閉じた古谷商店の跡にサンエス商会を開いた、YKKの創業者である。
社長に選ばれた経緯
抜擢
個人経営で始めたサンエス商会は、1938年に吉田工業所と名を改め、1942年2月に資本金8万5000円の有限会社吉田工業所へ改組した。1939年3月からは次兄の吉田久松氏、1943年からは長兄の吉田久政氏が郷里から加わり、兄弟で事業を支える体制となった。1945年3月の東京大空襲で小松川工場を失うと、郷里で株式会社魚津鉄工所を買収し、同年8月に社名を吉田工業株式会社と改めた。『YKK五十年史』はこの改称を、吉田工業の第一歩が印された時点としている。
在任中の主な施策
施策
1949年12月、米国製の高速自動植え付け機4台の輸入許可を取り、資本金の60倍を超える設備投資に踏み切った。続く第二次五カ年計画では、原料から製品までを自社で手がける一貫生産を掲げ、テープ用の紡績工場の建設を決めた。1959年11月にはアルミ合金の押出機を完成させ、アルミサッシ事業に参入した。同じ1959年にインドのカルカッタで合弁の工場を設け、海外生産を始めた。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献4件
参考文献
- 日本経済新聞「私の履歴書」(吉田忠雄、1977年8月)『私の履歴書 経済人17』(日本経済新聞社, 1981)所収
- YKK五十年史(吉田工業, 1984)第5部「2.財務 資本金」
- 日経ビジネス 1984年10月29日号「シリーズ・吉田忠雄氏(吉田工業社長)」
- YKK 第80回定時株主総会招集ご通知(2015)取締役候補者 吉田忠裕氏の略歴「1993年7月 当社代表取締役社長」
事実根拠:出所(YKK)