山田光成
三菱UFJニコス・元取締役社長
社長就任1958年6月
生年月日—
学歴慶應義塾高等部(1930年卒)
出自—
経歴1930〜1977年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1930年主要役職の状況(推定含む目安)1977年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間企業 | |||||
| 民間企業 | 山田モト旅館 | 1930 | 開業 | ||
| 日本百貨サービス | 1948 | 創業 | |||
| 日本信販株式会社(旧・日本信用販売) | 1949 | 設立準備のため上京し築地に創立事務所を設置 | |||
| 1951 | 創業 取締役企画部長 | ||||
| 1958 | 取締役社長 | ||||
| 1977 | 退任 | ||||
社長就任までの出自
出自
1907年4月、名古屋の旅館山田屋を営む山田三之助氏の二男として生まれた。1912年4月に山田屋は失火で全焼し、父は同じ年の8月に亡くなった。1930年に慶應義塾高等部を卒業したが勤めには出ず、父が遺した名古屋の土地を売却して下呂温泉に山田モト旅館を建てた。1933年か1934年ごろには、月1円の会費を積み立てた会員に温泉旅行を提供する「湯旅の会」から誘われ、中部地区の支部長を引き受けた。銀行でも小売でもなく、旅館の経営と会費制の旅行組織が、後の月掛けの商いの下地になった。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1951年6月に日本信用販売が発足した時点で、会長は星島二郎氏、社長は高瀬荘太郎氏で、山田光成氏は取締役企画部長だった。設立の準備で手持ちの資金を使い切っていたことが、平取締役で出発した事情として本人の回想に記されている。その後は常務・専務を経て、1958年6月に社長に就任した。初代の高瀬荘太郎氏、2代の星島二郎氏に続く3代目の社長である。政治家を表に立てて会社を起こし、7年後に事業を組み立てた本人が経営の責任者に就任したように見える。
創業ストーリー
創業ストーリー
在任中の主な施策
参考文献3件
参考文献
- 私の履歴書 経済人24(日本経済新聞社、1987年)山田光成
- 日経ビジネス 1973年12月10日号「山田光成[日本信販社長]信用販売、大きく育って実に不思議」社長略歴
- 政経人 31巻1号(1984年)「個性派経営者列伝(36)日本信販会長 山田光成」
事実根拠:出所(三菱UFJニコス)