東京計器の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

輸入に依存していた海軍の装備品を、国産に置き換えることで事業を広げた会社である。1899年に和田嘉衡氏が特許和田式指圧器を完成すると、海軍は外国製品の輸入をやめて和田式に切り替えた。1917年7月には、大きな設備を要する光学計器課を、三菱合資との共同出資で設立した日本光学工業へ移した。並行して、八八艦隊の完成予算が可決され艦船装備品の国産が急務となると、米国スペリー社と製造販売権の契約を締結した。その結果、探照灯は1917年、ジャイロコンパスは1918年8月に契約が成立し、航海計器の次の世代を自社で製造する体制を構築した。

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