愛三工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

更新:

決断

1938年、藤田辰治郎氏は軍の注文を自社の増産で受けず、外部の資本を招いた別会社で引き受けると決めた。藤田製作所は豊田自動織機製作所と平田紡績に部品を納める協力工場で、擲弾筒を量産する余力を持たなかった。名古屋工廠長は1939年の竣工式で、国内の整備能力が低い兵器の専門工場を軍が求めた経緯を述べている。藤田辰治郎氏の誘いに両社が同意し、新会社の株式1万株のうち最大の1,200株を豊田自動織機製作所が持った。この出資の構図により、1944年3月には豊田自動織機製作所の常務だった石田退三氏が社長に就任し、1945年9月には豊田自動織機製作所のキャブレタ製造設備を愛三工業へ移す方針が示された。

同業他社の業績概況

免責事項およびポリシー