決断
圧延の技術を、輸入品に代わる部材の国産化へ向けてきた会社である。1922年、宮製鋼所は英国のサッシ会社のカタログだけを手がかりにサッシバーの圧延に着手し、1923年完成の丸ビルの4階以上に製品を納めた。続いて1930年、帝国発条製作所の野長瀬忠男氏から損失を見込んだ協力を求められると、高妻俊秀氏はリム・リングバーの圧延を引き受け、1931年から形鋼のリム材を供給した。その結果、宮製鋼所は1940年までに9種類のリム・リングバーを納める車輪材の供給元となった。一方で帝国発条製作所の車輪部門は、1934年の親会社の合併を機に東京車輪製作所として独立した。