第4章 年〜年

カナデビア:因島・向島工場の縮小とユニバーサル造船への造船事業譲渡

1986年〜因島・向島工場を縮めた第二次経営合理化と、藤井義弘社長の再建

過剰な造船設備を抱えたまま、日立造船は株式売却益を除く実質で1985年度に728億円、1986年度に969億円の経常赤字を出した。1985年には第2次合理化計画を労働組合に示し、人員の大幅な削減と工場の生産集約に着手した。1986年10月に合理化策の中身が伝わると、広島県の因島市と向島町は強い衝撃を受けた。3,300人を抱えた因島工場は新造船から撤退し、人員削減の負担が最も重くかかった。全社の従業員は1985年3月末の1万7,000人から、1989年3月末には約4,500人まで減った。有明に生産を寄せて採算を守るには、瀬戸内の老朽工場から縮小するほかなかったと思われる。

  • 日経ビジネス 1993年10月11日号
    • [1]株式売却益を除く実質経常赤字は1985年度728億円、1986年度969億円、1987年度687億円
    • [2]1979年に続く第2次合理化計画を1985年に労組へ提示、人員の大幅削減と工場の生産集約を含む
  • 日本経済新聞 中国A(1986年10月23日)
    • [3]1986年10月、第二次経営合理化策が伝えられた広島県因島市・御調郡向島町で地元に動揺が広がった
  • 日経ビジネス 1994年3月7日号
    • [4]3,300人を擁した因島工場は新造船から撤退し、人員削減が特に激しかった
    • [5]従業員は1985年3月末1万7,000人から1989年3月末約4,500人へ減少

1988年6月、メーンバンクの三和銀行で副会長を務めた藤井義弘氏が社長に就任した。就任時には人員の削減がほぼ終わっており、従業員は1986年の1万2,000人から1988年に4,600人となっていた。藤井義弘氏は目標を定めると短期で実行する方針をとり、赤字となる造船の受注は一切認めなかった。経常損益は1989年度に黒字化し、1990年1月には大阪市江戸堀の本社ビルを売却して借入金の返済に充てた。1991年度からの中期計画「Attack-93」では、全事業本部で経常利益率5%以上とし、全事業の黒字化を掲げた。再建の手順は、損失の拡大を先に止め、事業の組み替えを後に回すものだったと推測できる。

  • 日経ビジネス 1993年10月11日号
    • [6]1988年6月、三和銀行副会長の藤井義弘氏が日立造船社長に就任
    • [9]1989年度に経常損益が黒字転換、1990年1月に大阪市江戸堀の本社ビルを売却し借入金返済に充当
  • 日経ビジネス 1991年10月7日号
    • [7]藤井義弘氏の就任時に人員削減はほぼ終了、従業員は1986年1万2,000人、1988年4,600人
    • [8]藤井義弘氏は目標を決めたら一気に実行することを重んじ、赤字受注を認めなかった
    • [10]1991年度開始の中期計画「Attack-93」で全事業本部の経常利益率5%以上、全事業の黒字化を目標

藤井義弘氏は1988年7月の賞与から、部課長の査定額に所属事業部の業績で2〜3割の差をつけた。人事考課は1990年12月に加点方式へ改め、新入社員から主事までの資格は7階層を4階層に整理した。1992年には約6,000人の従業員のうち1,500人の配置が変わり、グループ会社との間の異動は200人を数えた。造船の縮小で生じた余剰人員は、1990年に事業本部として独立させた環境部門へ移された。新規事業ではバイオ事業部の杜仲茶が伸び、売上は1992年度の11億円から翌年度に60億円を見込んだ。人員削減の段階から、余剰人員を成長部門へ再配置する段階へ移ったとみられる。

  • 日経ビジネス 1993年10月11日号
    • [11]1988年7月支給の賞与から部課長の査定金額に事業部業績で2〜3割の差
    • [12]1990年12月に人事考課を加点主義へ、資格階層を7階層から4階層に簡素化
    • [13]1992年の1年間に従業員約6,000人のうち1,500人が異動、うち200人はグループ会社との間
  • 日経ビジネス 1997年9月22日号
    • [14]環境事業本部を1990年に独立させ、造船部門のリストラで余った人員を移した
  • 日経ビジネス 1994年3月7日号
    • [15]バイオ事業部の杜仲茶の売上は1992年度11億円、1993年度は60億円に目標を引き上げ
参考文献[1]-[15]
  • 日経ビジネス 1993年10月11日号
    • [1]株式売却益を除く実質経常赤字は1985年度728億円、1986年度969億円、1987年度687億円
    • [2]1979年に続く第2次合理化計画を1985年に労組へ提示、人員の大幅削減と工場の生産集約を含む
    • [6]1988年6月、三和銀行副会長の藤井義弘氏が日立造船社長に就任
    • [9]1989年度に経常損益が黒字転換、1990年1月に大阪市江戸堀の本社ビルを売却し借入金返済に充当
    • [11]1988年7月支給の賞与から部課長の査定金額に事業部業績で2〜3割の差
    • [12]1990年12月に人事考課を加点主義へ、資格階層を7階層から4階層に簡素化
    • [13]1992年の1年間に従業員約6,000人のうち1,500人が異動、うち200人はグループ会社との間
  • 日本経済新聞 中国A(1986年10月23日)
    • [3]1986年10月、第二次経営合理化策が伝えられた広島県因島市・御調郡向島町で地元に動揺が広がった
  • 日経ビジネス 1994年3月7日号
    • [4]3,300人を擁した因島工場は新造船から撤退し、人員削減が特に激しかった
    • [5]従業員は1985年3月末1万7,000人から1989年3月末約4,500人へ減少
    • [15]バイオ事業部の杜仲茶の売上は1992年度11億円、1993年度は60億円に目標を引き上げ
  • 日経ビジネス 1991年10月7日号
    • [7]藤井義弘氏の就任時に人員削減はほぼ終了、従業員は1986年1万2,000人、1988年4,600人
    • [8]藤井義弘氏は目標を決めたら一気に実行することを重んじ、赤字受注を認めなかった
    • [10]1991年度開始の中期計画「Attack-93」で全事業本部の経常利益率5%以上、全事業の黒字化を目標
  • 日経ビジネス 1997年9月22日号
    • [14]環境事業本部を1990年に独立させ、造船部門のリストラで余った人員を移した

1995年〜南維三社長の脱・造船と、都市ごみ焼却炉のコスト削減

1995年6月、南維三氏が社長に就任し、藤井義弘氏は社長を退任して会長となった。生え抜きの社長は7年ぶりで、南維三氏は造船ではなく環境と産業機械の事業を歩んできた。1990年には初代の環境事業本部長として、環境の中でも都市ごみ焼却炉に絞る方針を敷いた。藤井義弘氏が南維三氏を指名した狙いは、造船以外の新規事業を広げることにあった。南維三氏は就任時に売上高の27%を占めた造船への依存を、10%まで下げる目標を掲げた。1996年春の時点で、売上高に占める船の割合は19%まで下がっていた。社名に造船を残したまま、売上の主力を造船から陸上の事業へ移す方針がこの交代で固まったと思われる。

  • 日経ビジネス 1995年12月4日号
    • [16]1995年6月に南維三氏が社長就任、藤井義弘氏は会長へ
    • [17]7年ぶりのプロパー社長、主に環境事業・産業機械など造船以外の事業を経験
    • [19]藤井会長は新規事業の拡大推進に最適として南維三氏を指名
    • [20]売上高で27%ある造船への依存率を10%に下げると表明
  • 日経ビジネス 1997年9月22日号
    • [18]1990年に初代の環境事業本部長に就任、環境の中でも都市ごみ焼却炉に絞って品揃えを広げた
  • 日経ビジネス 1996年4月8日号
    • [21]1996年4月時点で売上に占める船の割合は19%

1991年の時点で、国内のごみ焼却施設の4分の1は日立造船が手がけたものだった。1997年3月期には、都市ごみ焼却炉を主力とする環境分野が営業利益の47%を稼いだ。同じ期の焼却炉の受注シェアは金額で前期の12.6%から35.0%に広がり、同業の中で首位に立った。1992年に動かした3次元CADで現場組立の手戻りを減らし、組立を担う子会社を設けて建設会社と価格を競わせた。処理能力日量1トン当たりの相場は、2年前の4,000万円台から1997年には3,000万円台に下がった。値下げを続けられる原価の仕組みが、自治体の入札での競争優位になったのだろう。

  • 日経ビジネス 1991年10月7日号
    • [22]1991年時点でごみ焼却施設の4分の1を日立造船が製作
  • 日経ビジネス 1997年9月22日号
    • [23]1997年3月期、ゴミ焼却炉など環境分野が営業利益の47%
    • [24]都市ゴミ焼却炉の受注シェア(1997年3月期、金額)は前期12.6%から35.0%(野村証券金融研究所調べ)
    • [25]1992年から3次元CADを稼働し工数短縮・歩留まり向上、現地組立会社をグループ内に設立し建設会社と価格競争
    • [26]焼却炉の価格相場は日量1トン当たり2年前の4,000万円台から1997年は3,000万円台

1996年4月、日立造船は桜島工場の陸上機械を有明工場へ移す新工場の建設に入り、エンジンから船までの一貫生産を狙った。1997年10月に有明機械工場が動き出し、同年12月に大阪の桜島工場を閉じた。同じ月に大阪市住之江区の南港ビルが完成し、営業・設計・調達と本社部門をそこに集めた。有明機械工場は1999年10月、日立造船ディーゼルアンドエンジニアリングとして分社した。拠点を絞っても、1999年3月期の連結決算は経常損失198億円、当期純損失273億円を計上した。陸上へ移した事業だけでは、なお残る造船の負担を吸収しきれなかったと推察される。

  • 証券調査 1996年7月号「工場見学記 日立造船 有明工場」
    • [27]陸上機械の桜島工場を有明工場に集約、1996年4月に建設着手・1997年10月完全操業予定、エンジンから船舶までの一貫製造体制
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)沿革
    • [28]1997年10月有明機械工場操業開始、1997年12月桜島工場閉鎖
    • [29]1997年12月南港ビル(大阪市住之江区)完成、営業・設計・エンジニアリング・調達および本社部門の拠点に
    • [30]1999年10月、有明機械工場を日立造船ディーゼルアンドエンジニアリングとして分社化
  • 会社年鑑(日立造船 1999年3月期 連結決算)
    • [31]1999年3月期 連結経常利益▲198億円、当期純利益▲273億円
参考文献[16]-[31]
  • 日経ビジネス 1995年12月4日号
    • [16]1995年6月に南維三氏が社長就任、藤井義弘氏は会長へ
    • [17]7年ぶりのプロパー社長、主に環境事業・産業機械など造船以外の事業を経験
    • [19]藤井会長は新規事業の拡大推進に最適として南維三氏を指名
    • [20]売上高で27%ある造船への依存率を10%に下げると表明
  • 日経ビジネス 1997年9月22日号
    • [18]1990年に初代の環境事業本部長に就任、環境の中でも都市ごみ焼却炉に絞って品揃えを広げた
    • [23]1997年3月期、ゴミ焼却炉など環境分野が営業利益の47%
    • [24]都市ゴミ焼却炉の受注シェア(1997年3月期、金額)は前期12.6%から35.0%(野村証券金融研究所調べ)
    • [25]1992年から3次元CADを稼働し工数短縮・歩留まり向上、現地組立会社をグループ内に設立し建設会社と価格競争
    • [26]焼却炉の価格相場は日量1トン当たり2年前の4,000万円台から1997年は3,000万円台
  • 日経ビジネス 1996年4月8日号
    • [21]1996年4月時点で売上に占める船の割合は19%
  • 日経ビジネス 1991年10月7日号
    • [22]1991年時点でごみ焼却施設の4分の1を日立造船が製作
  • 証券調査 1996年7月号「工場見学記 日立造船 有明工場」
    • [27]陸上機械の桜島工場を有明工場に集約、1996年4月に建設着手・1997年10月完全操業予定、エンジンから船舶までの一貫製造体制
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)沿革
    • [28]1997年10月有明機械工場操業開始、1997年12月桜島工場閉鎖
    • [29]1997年12月南港ビル(大阪市住之江区)完成、営業・設計・エンジニアリング・調達および本社部門の拠点に
    • [30]1999年10月、有明機械工場を日立造船ディーゼルアンドエンジニアリングとして分社化
  • 会社年鑑(日立造船 1999年3月期 連結決算)
    • [31]1999年3月期 連結経常利益▲198億円、当期純利益▲273億円

2002年〜NKKと組んだユニバーサル造船への造船事業譲渡と、当期純損失290億円

2002年10月、日立造船は造船事業を、日本鋼管(NKK)と共同で出資するユニバーサル造船へ営業譲渡した。決めたのは2001年6月に社長となった重藤毅直氏で、新造船よりも修繕と改修の現場を長く歩んだ人物だった。造船は売上高の約3割を占めており、切り離した後は環境装置・プラントと情報システムを中核に据える方針だった。同じ2002年3月には、会社更生法を申請した新潟鉄工所の環境関連事業を営業譲渡で引き受ける合意を結んでいた。ユニバーサル造船への出資比率は50%で、造船は本体から持分法の関連会社へ移った。社名に造船を掲げながら船を造らない会社として再出発した直後、株価は一時19円まで下落したという。

  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)沿革
    • [32]2002年10月、造船事業を日本鋼管との共同出資会社ユニバーサル造船に営業譲渡
  • 日経ビジネス 2002年2月11日号
    • [33]重藤毅直氏は2001年6月社長就任、造船部門でほぼ一貫して修繕・改修事業を歩む
    • [34]売上高の約3割を占める造船をNKKの同事業と統合し2002年10月に新会社、環境装置・プラントと情報システムを中核とする企業へ
  • 日経ビジネス 2002年11月25日号 特集
    • [35]2002年3月25日、新潟鉄工所の環境関連事業を日立造船へ営業譲渡する基本合意・契約
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)関係会社の状況
    • [36]ユニバーサル造船は持分法適用関連会社、議決権所有割合50.0%
  • 日経ビジネス 2003年9月8日号
    • [37]造船部門を分離し「造船なき造船会社」に転換、環境事業を主力に再出発した直後に株価が一時19円

2005年4月に古川実氏が社長に就任し、翌2006年3月期に当期純損失29,057百万円を計上した。退職給付制度の終了損失と不動産の減損が中心で、特別損失は34,029百万円に上った。同じ期に転換社債型新株予約権付社債で300億円を調達し、構造改革の費用と成長分野への投資に充てるとした。2006年11月には、日立造船が造船から撤退する方針が報じられた。2007年度にはユニバーサル造船株の一部をJFEホールディングスへ譲り、売却益を特別利益に計上した。赤字の続いた環境のEPC部門では、古川実氏が『赤字工事は絶対とらないという方針』を示し、受注の選別を進めた。自己資本比率は2006年3月末の6.2%から、2008年3月末に19.4%へ戻った。

  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)役員の状況・経営成績
    • [38]2005年4月古川実氏が取締役社長就任、2006年3月期の当期純損失29,057百万円
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)業績の概要
    • [39]退職給付制度終了損失・減損損失等、特別損失計34,029百万円
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)対処すべき課題
    • [40]第5回無担保転換社債型新株予約権付社債で調達した300億円を構造改革費用と成長分野に投下
  • 日本経済新聞 近畿B(2006年11月11日)
    • [41]2006年11月11日、日立造船が造船から撤退へと報道
  • 日立造船 アニュアルレポート2008 ステークホルダーの皆さまへ
    • [42]2008年3月期、ユニバーサル造船株式の一部をJFEホールディングスに譲渡し関係会社株式売却益などを特別利益に計上
  • 日立造船 アニュアルレポート2008 社長インタビュー
    • [43]環境EPC部門は選別受注を徹底し、赤字工事は取らない方針(社長インタビュー)
    • [44]自己資本比率は2006年3月末6.2%、2008年3月末19.4%

2009年3月、日立造船は鉄構製品を造っていた神奈川工場を閉じた。需要の減った鉄構では、堺工場を産業機械の工場に転じ、橋梁は向島工場1か所で造る体制とした。2009年4月には連結子会社10社を吸収合併し、古川実氏は理由を『あまりにも細分化しすぎた結果、逆にグループ力を発揮しにくい非効率な面が顕在化し始めていました』と説明した。主力の環境・プラント事業は2008年度に売上高1,207億円を上げたが、営業利益は21億円にとどまった。地方自治体の財政難で公共投資は低調で、ごみ焼却施設の新設の受注環境は厳しかった。古川実氏は中国での舶用エンジン合弁の設立にあたり、『当社グループは、これまで国内戦略を重視する傾向にありましたが、この合弁会社の設立を足がかりに、中国ビジネスを本格的に展開していきます』と年報に記した。国内の自治体需要に依存する焼却炉では成長余地が乏しく、次の成長を海外に求める素地がここで整ったと考えられる。

  • 日立造船 有価証券報告書 第112期(2009年3月期)沿革
    • [45]2009年3月神奈川工場閉鎖(鉄構製品の工場)
  • 日立造船 アニュアルレポート2008 社長インタビュー
    • [46]減少する需要に対応し、堺工場は産業機械工場に転用、橋梁事業は向島工場の1工場体制
  • 日立造船 アニュアルレポート2009 社長インタビュー
    • [47]2009年4月に連結子会社10社を吸収合併、分社化の行き過ぎでグループ力を発揮しにくくなっていた
    • [50]2009年3月、中国で舶用ディーゼルエンジンの現地合弁会社を発足、国内重視からの転換を表明
  • 日立造船 アニュアルレポート2009 事業の概況
    • [48]環境・プラント事業の2008年度売上高1,207億円、営業利益21億円
    • [49]環境分野は地方自治体の財政難を反映し公共投資が低調、厳しい受注環境が続く
参考文献[32]-[50]
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)沿革
    • [32]2002年10月、造船事業を日本鋼管との共同出資会社ユニバーサル造船に営業譲渡
  • 日経ビジネス 2002年2月11日号
    • [33]重藤毅直氏は2001年6月社長就任、造船部門でほぼ一貫して修繕・改修事業を歩む
    • [34]売上高の約3割を占める造船をNKKの同事業と統合し2002年10月に新会社、環境装置・プラントと情報システムを中核とする企業へ
  • 日経ビジネス 2002年11月25日号 特集
    • [35]2002年3月25日、新潟鉄工所の環境関連事業を日立造船へ営業譲渡する基本合意・契約
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)関係会社の状況
    • [36]ユニバーサル造船は持分法適用関連会社、議決権所有割合50.0%
  • 日経ビジネス 2003年9月8日号
    • [37]造船部門を分離し「造船なき造船会社」に転換、環境事業を主力に再出発した直後に株価が一時19円
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)役員の状況・経営成績
    • [38]2005年4月古川実氏が取締役社長就任、2006年3月期の当期純損失29,057百万円
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)業績の概要
    • [39]退職給付制度終了損失・減損損失等、特別損失計34,029百万円
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)対処すべき課題
    • [40]第5回無担保転換社債型新株予約権付社債で調達した300億円を構造改革費用と成長分野に投下
  • 日本経済新聞 近畿B(2006年11月11日)
    • [41]2006年11月11日、日立造船が造船から撤退へと報道
    • [42]2008年3月期、ユニバーサル造船株式の一部をJFEホールディングスに譲渡し関係会社株式売却益などを特別利益に計上
    • [43]環境EPC部門は選別受注を徹底し、赤字工事は取らない方針(社長インタビュー)
    • [44]自己資本比率は2006年3月末6.2%、2008年3月末19.4%
    • [46]減少する需要に対応し、堺工場は産業機械工場に転用、橋梁事業は向島工場の1工場体制
  • 日立造船 有価証券報告書 第112期(2009年3月期)沿革
    • [45]2009年3月神奈川工場閉鎖(鉄構製品の工場)
    • [47]2009年4月に連結子会社10社を吸収合併、分社化の行き過ぎでグループ力を発揮しにくくなっていた
    • [50]2009年3月、中国で舶用ディーゼルエンジンの現地合弁会社を発足、国内重視からの転換を表明
    • [48]環境・プラント事業の2008年度売上高1,207億円、営業利益21億円
    • [49]環境分野は地方自治体の財政難を反映し公共投資が低調、厳しい受注環境が続く

1986年〜2009年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 億円 利益率
1986年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 連結 3,980 n/a n/a 220 200 5.0% n/a
1993年03月期 連結 4,478 +12.5% n/a 248 120 2.7% n/a
1994年03月期 連結 5,245 +17.1% n/a 246 60 1.1% 旧堺工場跡地に堺工場を新設、操業開始(1993/10)大阪市大正区に技術研究所を新設・移転(1994/03)
1995年03月期 連結 5,475 +4.4% n/a 258 67 1.2% n/a
1996年03月期 連結 5,979 +9.2% n/a 324 89 1.5% n/a
1997年03月期 連結 6,352 +6.2% n/a 381 117 1.8% n/a
1998年03月期 連結 5,966 ▲6.1% n/a 118 ▲133 ▲2.2% 有明機械工場(現有明工場)が操業開始(1997/10)
1999年03月期 連結 5,174 ▲13.3% n/a ▲198 ▲273 ▲5.3% n/a
2000年03月期 連結 4,754 ▲8.1% n/a 114 24 0.5% n/a
2001年03月期 連結 4,622 ▲2.8% n/a 96 29 0.6% n/a
2002年03月期 連結 4,391 ▲5.0% n/a 81 35 0.8% n/a
2003年03月期 連結 3,952 ▲10.0% n/a 72 ▲351 ▲8.9% n/a
2004年03月期 連結 3,374 ▲14.6% n/a 81 122 3.6% n/a
2005年03月期 連結 3,377 +0.1% n/a 6 10 0.3% n/a
2006年03月期 連結 3,338 ▲1.2% 28 21 ▲290 ▲8.7% n/a
2007年03月期 連結 2,934 ▲12.1% 99 43 10 0.3% n/a
2008年03月期 連結 2,955 +0.7% 108 72 156 5.3% n/a
2009年03月期 連結 2,986 +1.0% 117 90 14 0.5% n/a

出所:会社年鑑、有価証券報告書

出典・参考

23件
出典・参考
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)沿革
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)関係会社の状況
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)役員の状況・経営成績
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)業績の概要
  • 日立造船 有価証券報告書 第109期(2006年3月期)対処すべき課題
  • 日立造船 アニュアルレポート2008 ステークホルダーの皆さまへ
  • 日立造船 アニュアルレポート2008 社長インタビュー
  • 日立造船 有価証券報告書 第112期(2009年3月期)沿革
  • 日立造船 アニュアルレポート2009 社長インタビュー
  • 日立造船 アニュアルレポート2009 事業の概況
  • 会社年鑑(日立造船 1999年3月期 連結決算)
  • 日経ビジネス 1991年10月7日号
  • 日経ビジネス 1993年10月11日号
  • 日経ビジネス 1994年3月7日号
  • 日経ビジネス 1995年12月4日号
  • 日経ビジネス 1996年4月8日号
  • 証券調査 1996年7月号「工場見学記 日立造船 有明工場」
  • 日経ビジネス 1997年9月22日号
  • 日経ビジネス 2002年2月11日号
  • 日経ビジネス 2002年11月25日号 特集
  • 日経ビジネス 2003年9月8日号
  • 日本経済新聞 中国A(1986年10月23日)
  • 日本経済新聞 近畿B(2006年11月11日)

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