決断
輸入インクが途絶えたとき、羽山昇氏は化学の知識を持たないままインクの自製を決めた。外貨不足による輸入制限に加え、インクを積んだ英国の船が難破して供給が止まり、在庫を受け取りに向かう途中の事故で全治2か月の入院を強いられた。羽山昇氏は米国アトラスパウダー社の基礎処方書を手がかりに約2年調合を重ね、1954年に国産初のエマルジョンインク「RISOインク」を完成させた。翌1955年1月には理想印刷社を解消し、資本金100万円の株式会社理想科学研究所を設立して、印刷の請負から研究開発型のメーカーへ移った。会社は1992年、消耗品まで自社で製造していることを、機械の性能を引き出せる強みに挙げている。