フューチャー:金丸恭文のフューチャーシステムコンサルティング設立と店頭登録
1989年〜故郷の鹿児島で旗揚げした独立系と、11年の会社員生活で見た設計の欠陥
金丸恭文氏は1989年11月、故郷の鹿児島市にフューチャーシステムコンサルティングを設立した。設立時の主目的は、オープンシステムのコンサルティング業務。金丸恭文氏はTKCを経て1982年にロジック・システムズ・インターナショナルへ移った。1985年5月末にはセブン-イレブンの店舗用コンピューター約3000店分を納めた。1999年の説明会では、日本の大企業がコンピューターを使いこなせない原因をシステム構築の方法の非合理に求め、その改革を設立の起点に挙げた。先端のシステムを持つセブン-イレブンでさえ社外に技術の相談相手を求める姿を見て、事業になると確信したことも独立を後押しした。製品を作り納める側で発注者の判断の弱さを見た経験が、メーカーから離れた助言の事業を構想させたとみられる。
- 日経ビジネス 1997年4月21日号
- [1]金丸恭文は1989年11月、11年の会社員生活を経て故郷鹿児島でフューチャーを設立。TKC→1982年ロジック・システムズ・インターナショナル、1985年5月末セブン-イレブン店舗用PCを約3000店に納入。セブン-イレブンですら外部に技術相談相手を求める点を見て起業の引き金とした
- [4]金丸恭文は1989年11月、11年の会社員生活を経て故郷鹿児島でフューチャーを設立。TKC→1982年ロジック・システムズ・インターナショナル、1985年5月末セブン-イレブン店舗用PCを約3000店に納入。セブン-イレブンですら外部に技術相談相手を求める点を見て起業の引き金とした
- [5]金丸恭文は1989年11月、11年の会社員生活を経て故郷鹿児島でフューチャーを設立。TKC→1982年ロジック・システムズ・インターナショナル、1985年5月末セブン-イレブン店舗用PCを約3000店に納入。セブン-イレブンですら外部に技術相談相手を求める点を見て起業の引き金とした
- [7]金丸恭文は1989年11月、11年の会社員生活を経て故郷鹿児島でフューチャーを設立。TKC→1982年ロジック・システムズ・インターナショナル、1985年5月末セブン-イレブン店舗用PCを約3000店に納入。セブン-イレブンですら外部に技術相談相手を求める点を見て起業の引き金とした
- フューチャー 有価証券報告書 沿革
- [2]1989年11月 鹿児島県鹿児島市にオープンシステムのコンサルティング業務を主目的としてフューチャーシステムコンサルティング株式会社を設立
- [3]1989年11月 鹿児島県鹿児島市にオープンシステムのコンサルティング業務を主目的としてフューチャーシステムコンサルティング株式会社を設立
- 証券アナリストジャーナル 1999年 別冊付録(1999年6月30日の説明会)
- [6]金丸恭文は1999年6月30日の説明会で、日本の大企業がコンピューターをうまく使えないのは構築方法が合理的でないためで、その改革が設立の起点と説明
金丸恭文氏は設立にあたり、チャレンジ、リスク、夢、若者を含む6つの要素を、利益を損なわない形で社風に根付かせることを最も重く見た。手本は、シリコンバレーの若い企業に大企業が発注し、投資家も資金を出す米国の商慣行である。事業の仕組みでは、製品を代理店として売る業務を持たず、顧客からの報酬を原則コンサルティング料に限った。金丸恭文氏は社員の9割をソフトウエア技術者で固め、最先端の製品をメーカーに縛られずに推薦できる組織にした。メーカーの系列に属さない独立の立場が、ハードウエアの価格交渉で顧客の立場に立つ前提である。後ろ盾を持たない新会社にとって、中立であること自体が顧客の信頼を得る差別化要因になったと考えられる。
- 証券アナリストジャーナル 1999年 別冊付録(1999年6月30日の説明会)
- [8]設立時に最も気をつけたのは、チャレンジ・リスク・夢・若者など6要素を利益を損なわない形でカルチャーとして根付かせること。米国には小さい会社に大企業が注文を出す文化と投資家がいる
- [9]設立時に最も気をつけたのは、チャレンジ・リスク・夢・若者など6要素を利益を損なわない形でカルチャーとして根付かせること。米国には小さい会社に大企業が注文を出す文化と投資家がいる
- 日経ビジネス 1997年4月21日号
- [10]社員の9割がソフト技術者。最先端製品を推薦できるようメーカーの代理店業務は一切せず、顧客から原則コンサルティング料のみ受領
- [11]社員の9割がソフト技術者。最先端製品を推薦できるようメーカーの代理店業務は一切せず、顧客から原則コンサルティング料のみ受領
- 日経ビジネス 2003年3月31日号
- [12]フューチャーはメーカーに強く出るため代理店にならない姿勢を貫き、ハードウエアを値切るためメーカーのひもつきにならない
参考文献[1]-[12]
- 日経ビジネス 1997年4月21日号
- [1]金丸恭文は1989年11月、11年の会社員生活を経て故郷鹿児島でフューチャーを設立。TKC→1982年ロジック・システムズ・インターナショナル、1985年5月末セブン-イレブン店舗用PCを約3000店に納入。セブン-イレブンですら外部に技術相談相手を求める点を見て起業の引き金とした
- [4]金丸恭文は1989年11月、11年の会社員生活を経て故郷鹿児島でフューチャーを設立。TKC→1982年ロジック・システムズ・インターナショナル、1985年5月末セブン-イレブン店舗用PCを約3000店に納入。セブン-イレブンですら外部に技術相談相手を求める点を見て起業の引き金とした
- [5]金丸恭文は1989年11月、11年の会社員生活を経て故郷鹿児島でフューチャーを設立。TKC→1982年ロジック・システムズ・インターナショナル、1985年5月末セブン-イレブン店舗用PCを約3000店に納入。セブン-イレブンですら外部に技術相談相手を求める点を見て起業の引き金とした
- [7]金丸恭文は1989年11月、11年の会社員生活を経て故郷鹿児島でフューチャーを設立。TKC→1982年ロジック・システムズ・インターナショナル、1985年5月末セブン-イレブン店舗用PCを約3000店に納入。セブン-イレブンですら外部に技術相談相手を求める点を見て起業の引き金とした
- [10]社員の9割がソフト技術者。最先端製品を推薦できるようメーカーの代理店業務は一切せず、顧客から原則コンサルティング料のみ受領
- [11]社員の9割がソフト技術者。最先端製品を推薦できるようメーカーの代理店業務は一切せず、顧客から原則コンサルティング料のみ受領
- フューチャー 有価証券報告書 沿革
- [2]1989年11月 鹿児島県鹿児島市にオープンシステムのコンサルティング業務を主目的としてフューチャーシステムコンサルティング株式会社を設立
- [3]1989年11月 鹿児島県鹿児島市にオープンシステムのコンサルティング業務を主目的としてフューチャーシステムコンサルティング株式会社を設立
- 証券アナリストジャーナル 1999年 別冊付録(1999年6月30日の説明会)
- [6]金丸恭文は1999年6月30日の説明会で、日本の大企業がコンピューターをうまく使えないのは構築方法が合理的でないためで、その改革が設立の起点と説明
- [8]設立時に最も気をつけたのは、チャレンジ・リスク・夢・若者など6要素を利益を損なわない形でカルチャーとして根付かせること。米国には小さい会社に大企業が注文を出す文化と投資家がいる
- [9]設立時に最も気をつけたのは、チャレンジ・リスク・夢・若者など6要素を利益を損なわない形でカルチャーとして根付かせること。米国には小さい会社に大企業が注文を出す文化と投資家がいる
- 日経ビジネス 2003年3月31日号
- [12]フューチャーはメーカーに強く出るため代理店にならない姿勢を貫き、ハードウエアを値切るためメーカーのひもつきにならない
1996年〜大手と競った20戦全勝と、マイクロソフトから受けた買収の打診
1997年4月の時点で、フューチャーシステムコンサルティングはIBM、富士通、アンダーセンとの提案競争で20戦全勝を重ねた。社員は約80人で、1997年12月期の見込みは売上高約20億円、経常利益約2億円だった。提案を支えたのは、戦略と基本設計からプログラミングまでを同じチームが担う進め方である。戦略担当者は、自ら立てた戦略がシステムに実装されるところまで責任を持って確かめた。顧客に代わってメーカーと交渉し、システムの費用を従来の半分から3分の1まで下げさせた。大手の提案が自社製品を前提にしたのに対し、製品を選ぶ側に立てたことが競争の焦点になったと思われる。
- 日経ビジネス 1997年4月21日号
- [13]1997年4月時点で社員約80人、1997年12月期見込み売上高約20億円・経常利益約2億円。IBM・富士通・アンダーセンと競い20戦全勝
- [14]1997年4月時点で社員約80人、1997年12月期見込み売上高約20億円・経常利益約2億円。IBM・富士通・アンダーセンと競い20戦全勝
- 証券アナリストジャーナル 1999年 別冊付録(1999年6月30日の説明会)
- [15]上流と下流を分けず同一チームが戦略・基本設計からプログラミングまで担い、戦略の実装を戦略担当者が責任をもって確認する
- [16]上流と下流を分けず同一チームが戦略・基本設計からプログラミングまで担い、戦略の実装を戦略担当者が責任をもって確認する
- 日経ビジネス 2003年3月31日号
- [17]コンピューター会社と交渉し、情報システム費用を従来の半分から3分の1に下げさせた
1996年10月、マイクロソフトでOS開発の最高責任者を務めるジム・アルチン氏が、フューチャーシステムコンサルティングの幹部と社員に会った。ジム・アルチン氏は技術力と製品知識の深さを高く評価し、帰国後すぐに日本法人へ買収を指示した。1997年春、日本法人社長の成毛真氏による破格の金額での買収の申し入れ。金丸恭文氏は、自分たちで手がけたい仕事が多く、ビル・ゲイツ氏の傘下には入りたくないとして申し入れを断った。この打診は1999年の株式公開の際にも、コンサルティング能力の評価を示す出来事として報じられた。金丸恭文氏は1999年の説明会で、顧客が系列下にあっても最適な組み合わせを進言する中立の立場を強調した。特定のソフトウエア会社の傘下に入れば、中立の助言という事業の前提が崩れるとの判断もあったのだろう。
- 日経ビジネス 1997年4月21日号
- [18]1996年10月、マイクロソフトのOS開発最高責任者ジム・アルチンがフューチャー幹部・社員に会い技術力と製品知識に驚嘆、帰国後日本法人に買収を指示。1997年春に日本法人社長成毛真が破格の金額で申し入れ、金丸恭文は拒否
- [19]1996年10月、マイクロソフトのOS開発最高責任者ジム・アルチンがフューチャー幹部・社員に会い技術力と製品知識に驚嘆、帰国後日本法人に買収を指示。1997年春に日本法人社長成毛真が破格の金額で申し入れ、金丸恭文は拒否
- [20]1996年10月、マイクロソフトのOS開発最高責任者ジム・アルチンがフューチャー幹部・社員に会い技術力と製品知識に驚嘆、帰国後日本法人に買収を指示。1997年春に日本法人社長成毛真が破格の金額で申し入れ、金丸恭文は拒否
- [21]1996年10月、マイクロソフトのOS開発最高責任者ジム・アルチンがフューチャー幹部・社員に会い技術力と製品知識に驚嘆、帰国後日本法人に買収を指示。1997年春に日本法人社長成毛真が破格の金額で申し入れ、金丸恭文は拒否
- 日経ビジネス 1999年6月28日号
- [22]1999年の店頭公開時、2年前にコンサルティング能力を評価されマイクロソフトから買収を持ちかけられたと報道
- 証券アナリストジャーナル 1999年 別冊付録(1999年6月30日の説明会)
- [23]中立の立場を堅持し、顧客が系列下にあっても最適なITの組み合わせを進言する
フューチャーシステムコンサルティングは1997年1月、米国サンタクルーズに現地法人Future Architect, Inc.を設立した。金丸恭文氏は1歳下のビル・ゲイツ氏を意識し、世界のトップ企業を目指す手段として、製品の標準ではなくシステム構築のコンサルティングを選んだ。大型汎用機からワークステーションとパソコンへ移る時期に、両方に通じた技術者集団をつくれば世界一になれると見込んだ。10年以内にマイクロソフトより価値の高い会社にするという目標も掲げた。Future Architect, Inc.はシリコンバレーでの人脈づくりを担い、1999年時点でほぼ毎週現地を訪れた。買収の打診と同じ時期に自前の米国拠点を設けたことで、独立したまま世界へ出る方針が具体化したと読める。
- フューチャー 有価証券報告書 沿革
- [24]1997年1月 米国カリフォルニア州サンタクルーズに米国現地法人Future Architect,Inc.を設立
- 日経ビジネス 1997年4月21日号
- [25]金丸恭文は1歳下のビル・ゲイツを意識し、世界トップ企業への道としてシステム構築コンサルティングを選択。汎用機からWS・PCへの移行期に両技術に通じた技術者集団で世界一を目指し、10年以内にマイクロソフトより価値の高い会社にすると発言
- [26]金丸恭文は1歳下のビル・ゲイツを意識し、世界トップ企業への道としてシステム構築コンサルティングを選択。汎用機からWS・PCへの移行期に両技術に通じた技術者集団で世界一を目指し、10年以内にマイクロソフトより価値の高い会社にすると発言
- [27]金丸恭文は1歳下のビル・ゲイツを意識し、世界トップ企業への道としてシステム構築コンサルティングを選択。汎用機からWS・PCへの移行期に両技術に通じた技術者集団で世界一を目指し、10年以内にマイクロソフトより価値の高い会社にすると発言
- 証券アナリストジャーナル 1999年 別冊付録(1999年6月30日の説明会)
- [28]Future Architect, Inc.はシリコンバレーの人脈作りを担い毎週のように訪問。シリコンバレーは技術はオープンだが人脈はクローズと説明
参考文献[13]-[28]
- 日経ビジネス 1997年4月21日号
- [13]1997年4月時点で社員約80人、1997年12月期見込み売上高約20億円・経常利益約2億円。IBM・富士通・アンダーセンと競い20戦全勝
- [14]1997年4月時点で社員約80人、1997年12月期見込み売上高約20億円・経常利益約2億円。IBM・富士通・アンダーセンと競い20戦全勝
- [18]1996年10月、マイクロソフトのOS開発最高責任者ジム・アルチンがフューチャー幹部・社員に会い技術力と製品知識に驚嘆、帰国後日本法人に買収を指示。1997年春に日本法人社長成毛真が破格の金額で申し入れ、金丸恭文は拒否
- [19]1996年10月、マイクロソフトのOS開発最高責任者ジム・アルチンがフューチャー幹部・社員に会い技術力と製品知識に驚嘆、帰国後日本法人に買収を指示。1997年春に日本法人社長成毛真が破格の金額で申し入れ、金丸恭文は拒否
- [20]1996年10月、マイクロソフトのOS開発最高責任者ジム・アルチンがフューチャー幹部・社員に会い技術力と製品知識に驚嘆、帰国後日本法人に買収を指示。1997年春に日本法人社長成毛真が破格の金額で申し入れ、金丸恭文は拒否
- [21]1996年10月、マイクロソフトのOS開発最高責任者ジム・アルチンがフューチャー幹部・社員に会い技術力と製品知識に驚嘆、帰国後日本法人に買収を指示。1997年春に日本法人社長成毛真が破格の金額で申し入れ、金丸恭文は拒否
- [25]金丸恭文は1歳下のビル・ゲイツを意識し、世界トップ企業への道としてシステム構築コンサルティングを選択。汎用機からWS・PCへの移行期に両技術に通じた技術者集団で世界一を目指し、10年以内にマイクロソフトより価値の高い会社にすると発言
- [26]金丸恭文は1歳下のビル・ゲイツを意識し、世界トップ企業への道としてシステム構築コンサルティングを選択。汎用機からWS・PCへの移行期に両技術に通じた技術者集団で世界一を目指し、10年以内にマイクロソフトより価値の高い会社にすると発言
- [27]金丸恭文は1歳下のビル・ゲイツを意識し、世界トップ企業への道としてシステム構築コンサルティングを選択。汎用機からWS・PCへの移行期に両技術に通じた技術者集団で世界一を目指し、10年以内にマイクロソフトより価値の高い会社にすると発言
- 証券アナリストジャーナル 1999年 別冊付録(1999年6月30日の説明会)
- [15]上流と下流を分けず同一チームが戦略・基本設計からプログラミングまで担い、戦略の実装を戦略担当者が責任をもって確認する
- [16]上流と下流を分けず同一チームが戦略・基本設計からプログラミングまで担い、戦略の実装を戦略担当者が責任をもって確認する
- [23]中立の立場を堅持し、顧客が系列下にあっても最適なITの組み合わせを進言する
- [28]Future Architect, Inc.はシリコンバレーの人脈作りを担い毎週のように訪問。シリコンバレーは技術はオープンだが人脈はクローズと説明
- 日経ビジネス 2003年3月31日号
- [17]コンピューター会社と交渉し、情報システム費用を従来の半分から3分の1に下げさせた
- 日経ビジネス 1999年6月28日号
- [22]1999年の店頭公開時、2年前にコンサルティング能力を評価されマイクロソフトから買収を持ちかけられたと報道
- フューチャー 有価証券報告書 沿革
- [24]1997年1月 米国カリフォルニア州サンタクルーズに米国現地法人Future Architect,Inc.を設立
1998年〜公募650万円に初値3350万円の店頭登録と、株式評価損を抱えた業績予想の上方修正
フューチャーシステムコンサルティングは1999年6月22日、日本証券業協会に株式を店頭登録した。公募価格650万円に対し、初値は額面5万円の670倍にあたる3350万円だった。公募価格からの上昇率は、ブックビルディング方式が入った1997年以降で最大にあたる。金丸恭文氏は公開直後の説明会で、米国では若い企業に大企業が発注し、投資家も付く点が重要だと説明した。公開前の中期計画の目標は、2001年12月期まで毎年30%の成長。金丸恭文氏は市場の株価評価を受けて計画を見直し、成長を加速させる考えを示した。公開は資金調達にとどまらず、系列の外にいる若い企業にも日本で顧客と投資家が付くことを示す場になったと推察される。
- フューチャー 有価証券報告書 沿革
- [29]1999年6月 日本証券業協会に株式を店頭登録
- 日経ビジネス 1999年6月28日号
- [30]1999年6月22日店頭公開、公募価格650万円、初値3350万円(額面5万円の670倍)。1997年のブックビルディング導入以降で公募価格に対する上昇率が最大
- [31]1999年6月22日店頭公開、公募価格650万円、初値3350万円(額面5万円の670倍)。1997年のブックビルディング導入以降で公募価格に対する上昇率が最大
- 証券アナリストジャーナル 1999年 別冊付録(1999年6月30日の説明会)
- [32]米国には若い企業に大企業が注文を出す文化と投資家がいることが重要と説明。公開前は2001年12月期まで毎年30%成長を目指したが株価からみて考え直し、成長を加速したいと表明
- [33]米国には若い企業に大企業が注文を出す文化と投資家がいることが重要と説明。公開前は2001年12月期まで毎年30%成長を目指したが株価からみて考え直し、成長を加速したいと表明
- [34]米国には若い企業に大企業が注文を出す文化と投資家がいることが重要と説明。公開前は2001年12月期まで毎年30%成長を目指したが株価からみて考え直し、成長を加速したいと表明
金丸恭文氏は1999年6月30日の説明会で、事業をITコンサルティングに集中すると証券アナリストに説明した。それまで手がけたパソコン、通信機器のハードウエア、半導体のASICといった製品はすべて捨てたという。各分野の首位企業から技術情報を直接得て、最適なものを顧客に勧めることを事業の形に据えた。サービスの区分は、ITの戦略、アーキテクチャー、アプリケーション、ネットワーク、システム運用の5つのコンサルティングである。1998年12月期の売上高は31億87百万円、経常利益は3億59百万円で、1999年4月の社員数は189名だった。金丸恭文氏は、メーカーと代理店契約を結ばずに利用者の立場で製品を選び、価格交渉まで引き受ける点が評価されたと自ら分析した。
- 証券アナリストジャーナル 1999年 別冊付録(1999年6月30日の説明会)
- [35]1999年6月30日の説明会で、パソコン・通信機器・ASICなどの製品を捨てITコンサルティングに集中すると説明。各分野の1位企業から技術情報を得て最適なものを勧めるモデル。サービスはストラテジー・アーキテクチャー・アプリケーション・ネットワーク・システムオペレーション。1998年12月期売上高31億87百万円、経常利益3億59百万円、1999年4月社員189名
- [36]1999年6月30日の説明会で、パソコン・通信機器・ASICなどの製品を捨てITコンサルティングに集中すると説明。各分野の1位企業から技術情報を得て最適なものを勧めるモデル。サービスはストラテジー・アーキテクチャー・アプリケーション・ネットワーク・システムオペレーション。1998年12月期売上高31億87百万円、経常利益3億59百万円、1999年4月社員189名
- [37]1999年6月30日の説明会で、パソコン・通信機器・ASICなどの製品を捨てITコンサルティングに集中すると説明。各分野の1位企業から技術情報を得て最適なものを勧めるモデル。サービスはストラテジー・アーキテクチャー・アプリケーション・ネットワーク・システムオペレーション。1998年12月期売上高31億87百万円、経常利益3億59百万円、1999年4月社員189名
- [38]1999年6月30日の説明会で、パソコン・通信機器・ASICなどの製品を捨てITコンサルティングに集中すると説明。各分野の1位企業から技術情報を得て最適なものを勧めるモデル。サービスはストラテジー・アーキテクチャー・アプリケーション・ネットワーク・システムオペレーション。1998年12月期売上高31億87百万円、経常利益3億59百万円、1999年4月社員189名
- [39]1999年6月30日の説明会で、パソコン・通信機器・ASICなどの製品を捨てITコンサルティングに集中すると説明。各分野の1位企業から技術情報を得て最適なものを勧めるモデル。サービスはストラテジー・アーキテクチャー・アプリケーション・ネットワーク・システムオペレーション。1998年12月期売上高31億87百万円、経常利益3億59百万円、1999年4月社員189名
- 日経ビジネス 1999年6月28日号
- [40]金丸恭文は、メーカーとの代理店契約をせずユーザー側に立って最適な製品・技術を選び価格交渉まで行う点が評価されていると発言
フューチャーシステムコンサルティングは2001年2月2日、2000年12月期の単独業績予想を上方修正した。売上高は5,858百万円、経常利益は1,214百万円の見込みとなり、前回予想をそれぞれ608百万円、354百万円上回る水準である。人材の確保を進めた結果、期中の延べ顧客数は前期の32社から40社に増えた。一方で、カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式の評価損285百万円と本社移転費用86百万円を特別損失に計上した。1999年7月には、しんきん情報システムセンターと信用金庫業界の次期システムの支援契約を結んだ。創業以来の増収増益は2002年12月期まで14期続き、同年6月には東証一部に上場した。上方修正の裏で投資先株式の評価損が出たことは、ITバブルの崩れが本業の外から及び始めていたことを示すと解される。
- フューチャー 2001年2月「平成12年12月期業績予想の修正に関するお知らせ」
- [41]2001年2月2日、2000年12月期単独予想を売上高5,858百万円(+608)、経常利益1,214百万円(+354)へ上方修正。延べ顧客数40社(前期32社)、アーキテクチャーの標準化・モジュール化が付加価値向上に貢献。CCC株式評価損285百万円・本社移転費用86百万円などの特別損失
- [42]2001年2月2日、2000年12月期単独予想を売上高5,858百万円(+608)、経常利益1,214百万円(+354)へ上方修正。延べ顧客数40社(前期32社)、アーキテクチャーの標準化・モジュール化が付加価値向上に貢献。CCC株式評価損285百万円・本社移転費用86百万円などの特別損失
- [43]2001年2月2日、2000年12月期単独予想を売上高5,858百万円(+608)、経常利益1,214百万円(+354)へ上方修正。延べ顧客数40社(前期32社)、アーキテクチャーの標準化・モジュール化が付加価値向上に貢献。CCC株式評価損285百万円・本社移転費用86百万円などの特別損失
- [44]2001年2月2日、2000年12月期単独予想を売上高5,858百万円(+608)、経常利益1,214百万円(+354)へ上方修正。延べ顧客数40社(前期32社)、アーキテクチャーの標準化・モジュール化が付加価値向上に貢献。CCC株式評価損285百万円・本社移転費用86百万円などの特別損失
- 日経ビジネス 2003年3月31日号
- [45]1999年7月しんきん情報システムセンターが次期システムへの参画を打診し支援契約。2002年6月東証1部上場。創業以来14期連続増収増益
- [46]1999年7月しんきん情報システムセンターが次期システムへの参画を打診し支援契約。2002年6月東証1部上場。創業以来14期連続増収増益
参考文献[29]-[46]
- フューチャー 有価証券報告書 沿革
- [29]1999年6月 日本証券業協会に株式を店頭登録
- 日経ビジネス 1999年6月28日号
- [30]1999年6月22日店頭公開、公募価格650万円、初値3350万円(額面5万円の670倍)。1997年のブックビルディング導入以降で公募価格に対する上昇率が最大
- [31]1999年6月22日店頭公開、公募価格650万円、初値3350万円(額面5万円の670倍)。1997年のブックビルディング導入以降で公募価格に対する上昇率が最大
- [40]金丸恭文は、メーカーとの代理店契約をせずユーザー側に立って最適な製品・技術を選び価格交渉まで行う点が評価されていると発言
- 証券アナリストジャーナル 1999年 別冊付録(1999年6月30日の説明会)
- [32]米国には若い企業に大企業が注文を出す文化と投資家がいることが重要と説明。公開前は2001年12月期まで毎年30%成長を目指したが株価からみて考え直し、成長を加速したいと表明
- [33]米国には若い企業に大企業が注文を出す文化と投資家がいることが重要と説明。公開前は2001年12月期まで毎年30%成長を目指したが株価からみて考え直し、成長を加速したいと表明
- [34]米国には若い企業に大企業が注文を出す文化と投資家がいることが重要と説明。公開前は2001年12月期まで毎年30%成長を目指したが株価からみて考え直し、成長を加速したいと表明
- [35]1999年6月30日の説明会で、パソコン・通信機器・ASICなどの製品を捨てITコンサルティングに集中すると説明。各分野の1位企業から技術情報を得て最適なものを勧めるモデル。サービスはストラテジー・アーキテクチャー・アプリケーション・ネットワーク・システムオペレーション。1998年12月期売上高31億87百万円、経常利益3億59百万円、1999年4月社員189名
- [36]1999年6月30日の説明会で、パソコン・通信機器・ASICなどの製品を捨てITコンサルティングに集中すると説明。各分野の1位企業から技術情報を得て最適なものを勧めるモデル。サービスはストラテジー・アーキテクチャー・アプリケーション・ネットワーク・システムオペレーション。1998年12月期売上高31億87百万円、経常利益3億59百万円、1999年4月社員189名
- [37]1999年6月30日の説明会で、パソコン・通信機器・ASICなどの製品を捨てITコンサルティングに集中すると説明。各分野の1位企業から技術情報を得て最適なものを勧めるモデル。サービスはストラテジー・アーキテクチャー・アプリケーション・ネットワーク・システムオペレーション。1998年12月期売上高31億87百万円、経常利益3億59百万円、1999年4月社員189名
- [38]1999年6月30日の説明会で、パソコン・通信機器・ASICなどの製品を捨てITコンサルティングに集中すると説明。各分野の1位企業から技術情報を得て最適なものを勧めるモデル。サービスはストラテジー・アーキテクチャー・アプリケーション・ネットワーク・システムオペレーション。1998年12月期売上高31億87百万円、経常利益3億59百万円、1999年4月社員189名
- [39]1999年6月30日の説明会で、パソコン・通信機器・ASICなどの製品を捨てITコンサルティングに集中すると説明。各分野の1位企業から技術情報を得て最適なものを勧めるモデル。サービスはストラテジー・アーキテクチャー・アプリケーション・ネットワーク・システムオペレーション。1998年12月期売上高31億87百万円、経常利益3億59百万円、1999年4月社員189名
- フューチャー 2001年2月「平成12年12月期業績予想の修正に関するお知らせ」
- [41]2001年2月2日、2000年12月期単独予想を売上高5,858百万円(+608)、経常利益1,214百万円(+354)へ上方修正。延べ顧客数40社(前期32社)、アーキテクチャーの標準化・モジュール化が付加価値向上に貢献。CCC株式評価損285百万円・本社移転費用86百万円などの特別損失
- [42]2001年2月2日、2000年12月期単独予想を売上高5,858百万円(+608)、経常利益1,214百万円(+354)へ上方修正。延べ顧客数40社(前期32社)、アーキテクチャーの標準化・モジュール化が付加価値向上に貢献。CCC株式評価損285百万円・本社移転費用86百万円などの特別損失
- [43]2001年2月2日、2000年12月期単独予想を売上高5,858百万円(+608)、経常利益1,214百万円(+354)へ上方修正。延べ顧客数40社(前期32社)、アーキテクチャーの標準化・モジュール化が付加価値向上に貢献。CCC株式評価損285百万円・本社移転費用86百万円などの特別損失
- [44]2001年2月2日、2000年12月期単独予想を売上高5,858百万円(+608)、経常利益1,214百万円(+354)へ上方修正。延べ顧客数40社(前期32社)、アーキテクチャーの標準化・モジュール化が付加価値向上に貢献。CCC株式評価損285百万円・本社移転費用86百万円などの特別損失
- 日経ビジネス 2003年3月31日号
- [45]1999年7月しんきん情報システムセンターが次期システムへの参画を打診し支援契約。2002年6月東証1部上場。創業以来14期連続増収増益
- [46]1999年7月しんきん情報システムセンターが次期システムへの参画を打診し支援契約。2002年6月東証1部上場。創業以来14期連続増収増益
出典・参考
6件
- フューチャー 有価証券報告書 沿革
- 日経ビジネス 1997年4月21日号
- 証券アナリストジャーナル 1999年 別冊付録(1999年6月30日の説明会)
- 日経ビジネス 1999年6月28日号
- 日経ビジネス 2003年3月31日号
- フューチャー 2001年2月「平成12年12月期業績予想の修正に関するお知らせ」