決断
創業の会社とは別に、研究所の名を持つ別会社を製薬の母体に据えた会社である。1923年12月に荻原廣氏が東洋新薬社で医薬品の製造販売を開始し、7年半後の1931年6月に合資会社杏林化学研究所を設立した。1940年12月にはこの研究所を株式会社へ改組して杏林製薬株式会社とし、同時に販売部門を杏林薬品株式会社として切り分けた。その結果、研究開発と製造を杏林製薬が担い、全国の医療機関への販売を杏林薬品が担う分業ができ、両社は1992年に合併した。
創業の会社とは別に、研究所の名を持つ別会社を製薬の母体に据えた会社である。1923年12月に荻原廣氏が東洋新薬社で医薬品の製造販売を開始し、7年半後の1931年6月に合資会社杏林化学研究所を設立した。1940年12月にはこの研究所を株式会社へ改組して杏林製薬株式会社とし、同時に販売部門を杏林薬品株式会社として切り分けた。その結果、研究開発と製造を杏林製薬が担い、全国の医療機関への販売を杏林薬品が担う分業ができ、両社は1992年に合併した。
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