立川勇次郎
イビデン・元取締役社長(3社を吸収合併し揖斐川電化に改称)
社長就任1912年11月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1911〜1925年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1911年主要役職の状況(推定含む目安)1925年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間企業 | |||||
| 民間企業 | 揖斐川電力(現イビデン) | 1911 | 発起人総代・創立委員長(戸田鋭之助氏から設立中の会社の財産と権利義務を引継ぐ) | ||
| 1912 | 取締役社長(創立総会後の役員会で選任) | ||||
| 1918 | 取締役社長(3社を吸収合併し揖斐川電化に改称) | ||||
| 1925 | 死去 | ||||
社長就任までの出自
出自
1862年に美濃国大垣藩士の清水垣右衛門氏の次男として生まれ、1881年に同藩士の立川清助氏の養子となった。若くして代言人の資格を得て名古屋で開業したが、1886年に法曹の道を離れて上京し、電気鉄道と電力の企業化を志した。1889年に出願した電気鉄道の敷設は許可されず、一時は九州で炭鉱事業に携わった。専門は法律であり、電気の技術ではなく事業の組み立てと許認可の取り付けで頭角を現した経営者と見られる。
社長に選ばれた経緯
抜擢
大垣の有志が描いた電力会社の計画は、1907年の恐慌と1910年の大東電力紡績の不首尾で棚上げが続いていた。発起人は電力事業に経験のある経営者を迎える方針に転じ、立川勇次郎氏と福沢桃介氏に打診した。両氏とも経営を引き受ける意思を示したが、福沢桃介氏が共同経営に消極的だったため、発起人は協議のうえ立川勇次郎氏に絞った。決め手は大垣出身であることと、東京の財界人の高橋義信氏の強い推薦だった。
創業ストーリー
創業ストーリー
在任中の主な施策
立川勇次郎氏:在任中の施策
1917年に余剰電力を使う兼営事業としてカーバイドとフェロマンガンの製造に参入し、同年下期に配当を年1割から年2割へ引き上げた。1922年6月には地元の養老鉄道を合併し、自社の低廉な電力で同鉄道を電化する計画を立てた。大戦後の反動不況でフェロアロイと製鋼は1921年上期から製造を止め、特殊鋼の研究に切り替えた。1923年7月には宇治川電気の林安繁氏、東京電灯の若尾璋八氏ら東西の財界人を取締役に迎え、経営陣を組み替えた。
参考文献3件
参考文献
- イビデン70年史(イビデン, 1982)序章「(3)当社設立への急展開」
- イビデン70年史(イビデン, 1982)第1章第1節「(2)初代社長立川勇次郎の横顔」
- イビデン70年史(イビデン, 1982)第1章「(3)立川社長の急逝と桜内幸雄の社長就任」
事実根拠:出所(イビデン)