海外進出
15件海外進出
15件日本企業の海外進出史は、為替レートと通商政策という二つのマクロ変数に強く規定されてきた。進出の「波」を時系列で追うと、その背後に必ずこれらの構造変化が見える。
第一の波は1960年代後半〜70年代の資源確保型進出である。二度のオイルショック(1973年・1979年)を経験した日本企業は、エネルギーと原材料の安定調達を海外進出の第一目的に据えた。商社を先兵とした資源国への投資は、国家的なエネルギー安全保障と企業の事業戦略が一体化した時代の産物であった。
第二の波は1985年のプラザ合意を契機とした製造業の海外移転である。1ドル=240円から120円台へという急激な円高は、輸出型製造業のビジネスモデルを根底から覆した。繊維、電機、自動車が相次いでアジア・北米に生産拠点を移転したのは、コスト競争力を維持するための「生存のための進出」であった。しかしこの動きは単なるコスト削減にとどまらなかった。自動車産業では日米貿易摩擦を背景に「現地で雇用を生まなければ市場を失う」という政治的圧力が現地生産を加速させ、皮肉にもこの「強制された現地化」がグローバル経営能力の飛躍的向上をもたらした。
第三の波は1990年代後半〜2000年代のアジア新興国進出である。1997年のアジア通貨危機は多くの日本企業に撤退や投資縮小を迫ったが、危機の最中に買収や設備投資に踏み切った先行者は、その後の急回復の果実を独占した。中国のWTO加盟(2001年)はさらに大きな波を生み、「世界の工場」として、そして急速に「世界の市場」として浮上する中国への進出が全業種で加速した。「市場が育つ前に入る」先行投資型の進出が大きな成果を上げたのはこの時期であり、タイミングの選択が海外事業の成否を決定づける最重要因子であることが繰り返し証明された。
2010年代以降は、従来の「安く作る」進出から「近くで売る」進出への質的転換が鮮明になった。新興国の中間層拡大に合わせた現地向け製品の開発・生産は、輸出モデルとは根本的に異なる経営能力を要求する。食品メーカーが「食文化ごと輸出する」アプローチで現地の食卓に恒常的な需要を創出した長期戦略は、製品を売るのではなく文化的文脈ごと現地に根付かせるという、日本企業に固有の海外展開モデルの好例である。
為替とは別に、技術的優位性を背景とした進出パターンも日本企業に特徴的である。国内市場が小さい段階から輸出を本格化し、海外売上で成長する経営モデルを築いた企業や、ニッチ技術に特化してグローバル市場でトップシェアを獲る「グローバルニッチトップ」型企業は、為替や通商政策に左右されにくい独自の国際化ルートを開拓した。
近年は地政学リスクの再評価が進出戦略を複雑化させている。米中対立の深刻化、サプライチェーンの分断リスク、経済安全保障政策の強化——こうした変数が「どこに進出するか」だけでなく「どこから撤退するか」の判断にも影響を及ぼし、海外事業のポートフォリオ全体の再設計が進んでいる。海外進出は「出る」判断だけでなく「留まるか、出直すか」の継続的な見直しを含む動的なプロセスであることが、近年の記録からますます鮮明になっている。
1970〜80年代に北米現地生産が集中。貿易摩擦を背景とした「進出せざるを得ない」状況下での判断が並び、対外圧力が現地化を加速させた構図が鮮明に読み取れる。