第2章 年〜年

商船三井:ナビックスライン合併による商船三井への商号変更

1965年〜助成を前提に船腹を倍にした拡充計画

合併した時点の運航船腹は約230万重量トンで、うち社船が約133万トン、扱船が約100万トンだった。政府の中期経済計画は1964年度を初年度とする5か年で743万総トンの建造を掲げ、その内訳はタンカー369万総トン・専用船179万総トン・不定期船124万総トン・定期船71万総トンと、資源輸送に大きく寄せられていた。1935年に輸出1370万トン・輸入3291万トンだった日本の海上輸出入は、1964年度には輸出1764万トンに対し輸入が1億7383万トンとなり、比は1対3から1対9へ開いた。大阪商船三井船舶はこの計画に沿って第21次から第25次までの計画造船で65隻・約270万トンを建造し、1969年末の運航船腹を260隻・465万トンとする計画を立てた。所要資金は約970億円、年平均で約200億円の設備投資にあたった。

  • 証券アナリストジャーナル 1965年 3巻11号 武田正男
    • [1]1965年時点の現有船腹規模は約230万トン(社船約133万トン・扱船約100万トン)
    • [2]政府の中期経済計画は1964年度を初年度とする5か年で743万総トンの建造を計画(タンカー369万総トン・専用船179万総トン・不定期船124万総トン・定期船71万総トン)
    • [3]日本の海上輸出入は1935年の輸出1370万トン・輸入3291万トンから1964年度の輸出1764万トン・輸入1億7383万トンへ、比は1対3から1対9に
    • [4]第21次から第25次計画造船までに65隻・約270万トンを建造し1969年末の運航船腹を260隻465万トンとする船腹拡充計画
    • [5]船腹拡充計画の所要資金は約970億円、年間平均約200億円の設備投資

合併直後の決算は、1964年上期に償却前利益51億7900万円、下期に57億5000万円を計上した。1965年上期の時点で繰越欠損金は42億3100万円あり、償却範囲額33億7400万円を償却すれば残りが欠損の解消に充たって、下期には完全に消せる見通しだった。整備法上の償却不足も同じ時期に解消し、1966年上期から自立体制に入って下期に復配体制を確立する計画が置かれた。実際に復配が実現したのは1967年5月で、14年ぶりだった。助成の規模は大きく、1968年3月末時点の猶予利子は332億円、利子補給は248億円、合わせて580億円に達していた。整備計画を提出した41社の全体でも、1963年度末に662億円あった償却不足は1968年3月末に4億円へ、974億円あった約定延滞は47億円へ減った。

  • 証券アナリストジャーナル 1965年 3巻11号 武田正男
    • [6]1964年上期の償却前利益51億7900万円、下期57億5000万円
    • [7]1965年上期時点の繰越欠損金42億3100万円に対し償却範囲額33億7400万円を償却すると残り28億1600万円が欠損金の解消に充当され、下期には完全解消できる見通し
    • [8]整備法上の償却不足も1965年下期に解消し、1966年上期から自立体制に入り下期に復配体制を確立する計画
  • 企業の歴史 明治百年(1968)「大阪商船三井船舶」
    • [9]1967年5月 14年ぶりの復配が実現
  • 証券アナリストジャーナル 1968年 6巻8号 宮本清四郎
    • [10]1968年3月末現在の猶予利子額332億円、利子補給額248億円、合計580億円
    • [11]整備計画提出会社41社の償却不足累計は1963年度末662億円から1968年3月末4億円へ、約定延滞は974億円から47億円へ減少

海運の国際競争力を最も大きく左右するのは金利で、船舶経費のほぼ4割を占めた。比率は船が大きいほど高く、3万7000重量トン型の42%に対し、18万5000重量トン型では56%にのぼった。船員費でも差は大きく、英国デンホルム社が1万から1万5000重量トン型トランパーを調べたところ、日本船を100とすると中国船員配乗86、インド人船員配乗83、韓国人船員配乗69であった。これを支える助成は時限立法であった。1968年3月末に切れた利子補給は一年延ばされただけで、1969年3月末には全部が期限を迎える予定だった。大阪商船三井船舶は福田構想として、日本開発銀行に海運別枠融資部を設けて船主貸出金利を4%とし、建造量を毎年200万総トンに抑える制度案を示した。助成を受ける側ではなく、助成の設計を提案する側へ回っていた。

  • 証券アナリストジャーナル 1968年 6巻8号 宮本清四郎
    • [12]海運では船舶経費の40%程度が金利であり国際競争力を左右する最大の要素
    • [13]船舶経費に占める金利の割合は3万7000重量トン型で42%、18万5000重量トン型で56%
    • [14]英国デンホルム社の調査で1万〜1万5000重量トン型トランパーの船員費は日本船を100として中国船員配乗86・インド人船員配乗83・韓国人船員配乗69
    • [15]1968年3月末で期限切れとなった利子補給は一年延長されたが1969年3月末にすべて期限切れとなる時限立法
    • [16]福田構想として日本開発銀行に海運別枠融資部を創設し船主貸出金利を4%とする船舶建造長期低利融資制度案を提示、建造量は毎年200万総トン
参考文献[1]-[16]
  • 証券アナリストジャーナル 1965年 3巻11号 武田正男
    • [1]1965年時点の現有船腹規模は約230万トン(社船約133万トン・扱船約100万トン)
    • [2]政府の中期経済計画は1964年度を初年度とする5か年で743万総トンの建造を計画(タンカー369万総トン・専用船179万総トン・不定期船124万総トン・定期船71万総トン)
    • [3]日本の海上輸出入は1935年の輸出1370万トン・輸入3291万トンから1964年度の輸出1764万トン・輸入1億7383万トンへ、比は1対3から1対9に
    • [4]第21次から第25次計画造船までに65隻・約270万トンを建造し1969年末の運航船腹を260隻465万トンとする船腹拡充計画
    • [5]船腹拡充計画の所要資金は約970億円、年間平均約200億円の設備投資
    • [6]1964年上期の償却前利益51億7900万円、下期57億5000万円
    • [7]1965年上期時点の繰越欠損金42億3100万円に対し償却範囲額33億7400万円を償却すると残り28億1600万円が欠損金の解消に充当され、下期には完全解消できる見通し
    • [8]整備法上の償却不足も1965年下期に解消し、1966年上期から自立体制に入り下期に復配体制を確立する計画
  • 企業の歴史 明治百年(1968)「大阪商船三井船舶」
    • [9]1967年5月 14年ぶりの復配が実現
  • 証券アナリストジャーナル 1968年 6巻8号 宮本清四郎
    • [10]1968年3月末現在の猶予利子額332億円、利子補給額248億円、合計580億円
    • [11]整備計画提出会社41社の償却不足累計は1963年度末662億円から1968年3月末4億円へ、約定延滞は974億円から47億円へ減少
    • [12]海運では船舶経費の40%程度が金利であり国際競争力を左右する最大の要素
    • [13]船舶経費に占める金利の割合は3万7000重量トン型で42%、18万5000重量トン型で56%
    • [14]英国デンホルム社の調査で1万〜1万5000重量トン型トランパーの船員費は日本船を100として中国船員配乗86・インド人船員配乗83・韓国人船員配乗69
    • [15]1968年3月末で期限切れとなった利子補給は一年延長されたが1969年3月末にすべて期限切れとなる時限立法
    • [16]福田構想として日本開発銀行に海運別枠融資部を創設し船主貸出金利を4%とする船舶建造長期低利融資制度案を提示、建造量は毎年200万総トン

1974年〜市況の崩落に備えて簿価を落とす決算

1974年に32億8800万トンへ達した世界の海上荷動き量は、石油危機後の同時不況による貿易の停滞で1975年に30億5000万トンへ落ちた。運賃の下げ方はそれ以上に急で、アメリカ湾岸から日本までの穀物運賃は石油危機直後の最高34ドルから1977年には9ドルへ、ハンプトンローズから日本までの石炭運賃は約25ドルから最低3ドルへ落ちた。タンカーの基準運賃率は石油危機前の389.7から1975年には15まで下がり、26分の1になった。最近5年で値動きが目立った砂糖でも幅は7倍にとどまることを思えば、海運市況の振れ方に並ぶ商品市況はほかに例がなかった。1975年度の経常損益は10億円の赤字となり、1973年度の108億円、1974年度の137億円の黒字から一転した。

  • 証券アナリストジャーナル 1977年 15巻4号 原奎一
    • [17]世界の海上荷動き量は1974年の32億8800万トンから1975年には30億5000万トンへ減少
    • [18]アメリカ湾岸から日本までの穀物運賃は石油危機直後の最高34ドルから1977年に9ドルへ、ハンプトンローズから日本までの石炭運賃は約25ドルから最低3ドルへ下落
    • [19]タンカーの基準運賃率は石油危機前の389.7から1975年には15まで下落(26分の1)
    • [20]直近5年で値動きの目立った砂糖でも変動幅は7倍程度で、海運市況ほど大きく変動する商品市況は他に例がない
    • [21]経常利益は1973年度108億円・1974年度137億円に対し1975年度は10億円の赤字

商品としての船腹は在庫できず、他産業の操短にあたる係船による供給調節も難しいため、必然的に供給過剰の性向を持つ。この見方は合併から4年後の調査部門がすでに示しており、運賃市況は長期的に低迷を続けるとみていた。大阪商船三井船舶の決算にはそれに備えた特徴があり、全社船を定率償却していた。船価100億円のタンカーであれば、耐用年数13年での初年度の償却額は定率で16億2000万円、定額なら約7億円と2分の1で済む。耐用年数の選択も償却方法も各社の自由で、1976年度からは航海距離比例方式も認められたため、各社の収益力は償却前でなければ比べられなくなっていた。在来船を売った益はすべて新造船の圧縮記帳に充て、1975年度は約50億円、1976年度は約35億円が新造タンカーの簿価圧縮に回った。

  • 証券アナリストジャーナル 1968年 6巻8号 宮本清四郎
    • [22]商品としての船腹はストックが不可能で、係船による供給量の調節も難しく、必然的な供給過剰性向を持つ
    • [23]長期的・大勢的には構造的ともいうべき船腹供給圧力により運賃市況は低迷を続けるとの見通し(1968年時点)
  • 証券アナリストジャーナル 1977年 15巻4号 原奎一
    • [24]大阪商船三井船舶は全社船を定率償却していた
    • [25]船価100億円・耐用年数13年のタンカーの初年度償却額は定率で16億2000万円、定額では約7億円
    • [26]耐用年数と償却方法の選択は各社の自由で1976年度からは航海距離比例方式も認められ、各社の収益力は償却前でなければ比較できなくなった
    • [27]売船益はすべて新造船の圧縮記帳に充当し、1975年度は約50億円、1976年度は約35億円を新造タンカーの簿価圧縮に充当

作戦の初年度から簿価を下げておけば、市況が回復した際に早く採算へ乗せられる、という考え方が減量の土台にあった。1976年度はそのために、先々も収益の改善が見込めない用船タンカーの一部を解約し、大型2隻と小型3隻を売却した。1980年の年頭、社長の永井典彦氏はイラン革命後の中東情勢とソ連のアフガニスタン介入を挙げた。そのうえで、いまは不確実性の時代だと社員に説き、視界ゼロの霧中航海に神経を集中するよう求めた『われわれ海運人は、いかなる事態にも対応し、新時代にたくましく生きて行くための不断の勉強と努力を続け、全社一丸となって、視界ゼロの霧中航海に全神経を集中して、ゆっくりあせらず前進を続けて行きましょう』。実際に1979年上期の経常利益は36億7000万円と期初の予想を上回り、円安に加えて集荷の向上・諸費用の節減・船隊の合理化が寄与した。市況の戻りと減量が重なって、1982年度には売上高5454億円・営業利益229億円まで戻した。

  • 証券アナリストジャーナル 1977年 15巻4号 原奎一
    • [28]償却をすべて定率で行い初年度から簿価を下げて将来の競争力を蓄える方針
    • [29]1976年度に収益向上の見込みのない用船タンカーの一部解約と大型タンカー2隻・小型タンカー3隻の売船による減量作戦を実施
  • 80年代わが社の戦略(1980)永井典彦「大阪商船三井船舶」
    • [30]1980年の年頭に社長の永井典彦氏がイラン革命後の中東情勢とソ連のアフガニスタン介入を挙げ、不確実性の時代に生きていると社員へ述べた
    • [31]1979年上期の中間決算は経常36億7000万円と期初予想を上回り、円安に加え集荷の向上・諸費用の節減・船隊の合理化が寄与
  • 日経ビジネス 1990年11月19日号
    • [32]1983年3月期の実績は売上高5454億円・営業利益229億円
参考文献[17]-[32]
  • 証券アナリストジャーナル 1977年 15巻4号 原奎一
    • [17]世界の海上荷動き量は1974年の32億8800万トンから1975年には30億5000万トンへ減少
    • [18]アメリカ湾岸から日本までの穀物運賃は石油危機直後の最高34ドルから1977年に9ドルへ、ハンプトンローズから日本までの石炭運賃は約25ドルから最低3ドルへ下落
    • [19]タンカーの基準運賃率は石油危機前の389.7から1975年には15まで下落(26分の1)
    • [20]直近5年で値動きの目立った砂糖でも変動幅は7倍程度で、海運市況ほど大きく変動する商品市況は他に例がない
    • [21]経常利益は1973年度108億円・1974年度137億円に対し1975年度は10億円の赤字
    • [24]大阪商船三井船舶は全社船を定率償却していた
    • [25]船価100億円・耐用年数13年のタンカーの初年度償却額は定率で16億2000万円、定額では約7億円
    • [26]耐用年数と償却方法の選択は各社の自由で1976年度からは航海距離比例方式も認められ、各社の収益力は償却前でなければ比較できなくなった
    • [27]売船益はすべて新造船の圧縮記帳に充当し、1975年度は約50億円、1976年度は約35億円を新造タンカーの簿価圧縮に充当
    • [28]償却をすべて定率で行い初年度から簿価を下げて将来の競争力を蓄える方針
    • [29]1976年度に収益向上の見込みのない用船タンカーの一部解約と大型タンカー2隻・小型タンカー3隻の売船による減量作戦を実施
  • 証券アナリストジャーナル 1968年 6巻8号 宮本清四郎
    • [22]商品としての船腹はストックが不可能で、係船による供給量の調節も難しく、必然的な供給過剰性向を持つ
    • [23]長期的・大勢的には構造的ともいうべき船腹供給圧力により運賃市況は低迷を続けるとの見通し(1968年時点)
  • 80年代わが社の戦略(1980)永井典彦「大阪商船三井船舶」
    • [30]1980年の年頭に社長の永井典彦氏がイラン革命後の中東情勢とソ連のアフガニスタン介入を挙げ、不確実性の時代に生きていると社員へ述べた
    • [31]1979年上期の中間決算は経常36億7000万円と期初予想を上回り、円安に加え集荷の向上・諸費用の節減・船隊の合理化が寄与
  • 日経ビジネス 1990年11月19日号
    • [32]1983年3月期の実績は売上高5454億円・営業利益229億円

1988年〜円で入る収入を増やし、費用の通貨を替える

日本人だけで乗り組めば1隻の船員費は年間4億円を超えるが、東南アジアの船員に置き換えれば6000万円に収まる。海運会社の収入はほぼドル建てなのに支払いは円が多く、1985年のプラザ合意後の円高がこの食い違いを突いたことで、日本人船員の数を限界まで削る合理化が各社で大がかりに進んだ。1968年に始まっていた仕組み船もプラザ合意を境に増え、1984年度に1957人いた日本人船員は1992年度には684人と3分の1になった。1990年3月期に3期連続の無配から復配を果たしたものの、売上高4116億円・営業利益150億円は、不況期前の1983年3月期にまだ届いていなかった。

  • 日経ビジネス 1991年12月16日号
    • [33]日本人船員だけの場合1隻当たりの船員費は年間4億円超、東南アジア船員だけなら6000万円
  • 日経ビジネス 1993年10月4日号
    • [34]海運業は受け取る運賃のほとんどがドル建てで支出は円払いが多い
    • [35]1985年以来の円高に見舞われ海運各社は日本人船員をぎりぎりまで減らす大規模な合理化に踏み切った
    • [37]日本人船員(海上従業員)は1984年度の1957人から1992年度には684人へ3分の1に減少
  • 日経ビジネス 1998年5月25日号
    • [36]1968年から海外に船籍を置いて外国の船員を雇う仕組み船を始め、1985年のプラザ合意の後に加速
  • 日経ビジネス 1990年11月19日号
    • [38]3期連続無配から1990年3月期に復配、同期の売上高4116億円・営業利益150億円は1983年3月期の売上高5454億円・営業利益229億円に及ばない

1989年6月に定めた企業ビジョンのチャレンジ21は、外航海運業から脱皮して海上・陸上・航空輸送を組み合わせる総合物流業への転換と、個人マーケットへの進出を柱に据えた。1990年3月期に71.2%だった海上輸送の売上構成比を、2001年には51%へ下げる目標だった。1990年、経営再建中の関西汽船の株式12%を取得し、その引き受けの条件として来島グループのダイヤモンドフェリー・室戸汽船・愛媛阪神フェリー3社の経営権の譲渡を申し入れて実現させた。関西汽船はもともと大阪商船系の海運会社で、財閥解体で資本関係は切れていたものの人材面の交流は続いていた。これで全国長距離フェリー21航路49隻のうち8航路23隻を押さえ、グループのフェリー各社の売上高は約700億円、全額が円収入となった。

  • 日経ビジネス 1990年11月19日号
    • [39]1989年6月 21世紀に向けた企業ビジョン「チャレンジ21」を策定、外航海運業から脱皮した総合物流業への転換と個人マーケットへの進出が柱
    • [40]1990年3月期に71.2%だった海上輸送の売上構成比を2001年に51%へ下げる目標(売上高1兆5000億円)
    • [41]1990年 関西汽船株12%を取得し、引き受けの条件として来島グループのダイヤモンドフェリー・室戸汽船・愛媛阪神フェリー3社の経営権譲渡を申し入れて実現
    • [42]関西汽船はもともと大阪商船系の海運会社で、敗戦後の財閥解体で資本関係はなくなったが人材面の交流は続いていた
    • [43]全国長距離フェリー21航路49隻のうち8航路23隻を押さえ、グループのフェリー会社の総売上は約700億円で全額が円収入

総合物流化のための投資は年1300億から1400億円に達し、1991年3月期の経常利益109億円に対して過大ではないかという問いに、社長の轉法輪奏氏は確かに多いと認めていた。1993年の円高はその途中で襲い、1円の円高が経常利益を約4億円削る構造のもとで、1994年3月期の営業損益は6期ぶりの赤字に転じる見通しとなった。中期の対策として掲げたのは、債務・投資・機構の三つを海外へ出すことだった。円建ての債務を返してドル資金を調達し、日本より2割ほど安い中国の造船所で船を造り、航路管理と事務部門を海外法人へ移す。1989年にシンガポールへ設けたオーシャンゲート社が現地とインド・パキスタン間の航路管理を担い、1993年5月からは東アフリカ・豪州航路が加わった。本社の男性社員一人あたりの経費は年およそ2000万円で、20人の海外異動が1円の円高を埋める計算だった。

  • 日経ビジネス 1991年12月16日号
    • [44]総合物流化のための投資は年1300億〜1400億円を3年ほど継続、1991年3月期の経常利益109億円に対し過大ではないかとの問いに社長は確かに多いと回答
  • 日経ビジネス 1993年10月4日号
    • [45]1円の円高で経常利益が約4億円のマイナス、1994年3月期の営業利益は6期ぶりの赤字に転じる見通し
    • [46]2〜3年先を見た対策として債務・投資・機構の三つを海外へ出すことを掲げた
    • [47]円建て債務を返済してドル資金を調達し、日本より2割ほど安い中国の造船所で建造し、航路管理と事務部門を海外法人へ移管する方針
    • [48]1989年にシンガポールに設立したオーシャンゲート社が現地とインド・パキスタン間の航路を管理し、1993年5月から東アフリカ・豪州航路が加わった
    • [49]本社男性社員一人あたりの経費は年およそ2000万円で、1円の円高を本社社員20人分の海外異動でカバーできる

定期船の分野では、1984年の米国の法改正で運賃のカルテル行為が禁じられて以降、太平洋を走る船会社は約40社から半減し、各社とも赤字が増えていた。当時専務であった生田正治氏は1992年から1993年ごろにかけて国際企業連合という発想を持ち、外航海運として世界初となる組成を1994年に実現した。狙いは運賃の値上げではなく合理化にあり、各社が集めた荷物を同じ船に積む共同運航から着手し、その後コンテナ・ターミナルの共用や船の共同発注へと広げている。1964年には5800人全員が日本人であった社員構成は、1998年には日本人1660人・外国人9400人の計1万1060人へ変わった。同じころ、運航していた352隻のうち他社からの用船が154隻、残る198隻のうち159隻は仕組み船であった。1998年3月期には5期ぶりの復配を果たし、1999年4月にはナビックスラインと合併して商号を株式会社商船三井へ改めている。

  • 日経ビジネス 1998年5月25日号
    • [50]1984年の米国の法改正で運賃のカルテル行為が禁止され、太平洋を走る船会社は約40社から半減、定期船分野は各社とも赤字が増える状態だった
    • [51]専務時代の生田正治氏が1992〜1993年ごろに国際企業連合を発想し、外航海運として世界で初めて1994年に発足させた
    • [52]国際企業連合の目的は運賃協定ではなく合理化で、共同運航に加えコンテナ・ターミナルの共用や船・コンテナの共同発注へ広げた
    • [53]1964年は陸上と海上を合わせた社員約5800人がすべて日本人、1998年は日本人1660人・外国人9400人の計1万1060人。運航352隻のうち154隻が用船、残る198隻のうち159隻が仕組み船
    • [54]1998年3月期は増益となり5期ぶりに復配
  • 商船三井 有価証券報告書 第167期(2025年3月期)【沿革】
    • [55]1999年4月 大阪商船三井船舶がナビックスラインと合併し商号を株式会社商船三井へ変更
参考文献[33]-[55]
  • 日経ビジネス 1991年12月16日号
    • [33]日本人船員だけの場合1隻当たりの船員費は年間4億円超、東南アジア船員だけなら6000万円
    • [44]総合物流化のための投資は年1300億〜1400億円を3年ほど継続、1991年3月期の経常利益109億円に対し過大ではないかとの問いに社長は確かに多いと回答
  • 日経ビジネス 1993年10月4日号
    • [34]海運業は受け取る運賃のほとんどがドル建てで支出は円払いが多い
    • [35]1985年以来の円高に見舞われ海運各社は日本人船員をぎりぎりまで減らす大規模な合理化に踏み切った
    • [37]日本人船員(海上従業員)は1984年度の1957人から1992年度には684人へ3分の1に減少
    • [45]1円の円高で経常利益が約4億円のマイナス、1994年3月期の営業利益は6期ぶりの赤字に転じる見通し
    • [46]2〜3年先を見た対策として債務・投資・機構の三つを海外へ出すことを掲げた
    • [47]円建て債務を返済してドル資金を調達し、日本より2割ほど安い中国の造船所で建造し、航路管理と事務部門を海外法人へ移管する方針
    • [48]1989年にシンガポールに設立したオーシャンゲート社が現地とインド・パキスタン間の航路を管理し、1993年5月から東アフリカ・豪州航路が加わった
    • [49]本社男性社員一人あたりの経費は年およそ2000万円で、1円の円高を本社社員20人分の海外異動でカバーできる
  • 日経ビジネス 1998年5月25日号
    • [36]1968年から海外に船籍を置いて外国の船員を雇う仕組み船を始め、1985年のプラザ合意の後に加速
    • [50]1984年の米国の法改正で運賃のカルテル行為が禁止され、太平洋を走る船会社は約40社から半減、定期船分野は各社とも赤字が増える状態だった
    • [51]専務時代の生田正治氏が1992〜1993年ごろに国際企業連合を発想し、外航海運として世界で初めて1994年に発足させた
    • [52]国際企業連合の目的は運賃協定ではなく合理化で、共同運航に加えコンテナ・ターミナルの共用や船・コンテナの共同発注へ広げた
    • [53]1964年は陸上と海上を合わせた社員約5800人がすべて日本人、1998年は日本人1660人・外国人9400人の計1万1060人。運航352隻のうち154隻が用船、残る198隻のうち159隻が仕組み船
    • [54]1998年3月期は増益となり5期ぶりに復配
  • 日経ビジネス 1990年11月19日号
    • [38]3期連続無配から1990年3月期に復配、同期の売上高4116億円・営業利益150億円は1983年3月期の売上高5454億円・営業利益229億円に及ばない
    • [39]1989年6月 21世紀に向けた企業ビジョン「チャレンジ21」を策定、外航海運業から脱皮した総合物流業への転換と個人マーケットへの進出が柱
    • [40]1990年3月期に71.2%だった海上輸送の売上構成比を2001年に51%へ下げる目標(売上高1兆5000億円)
    • [41]1990年 関西汽船株12%を取得し、引き受けの条件として来島グループのダイヤモンドフェリー・室戸汽船・愛媛阪神フェリー3社の経営権譲渡を申し入れて実現
    • [42]関西汽船はもともと大阪商船系の海運会社で、敗戦後の財閥解体で資本関係はなくなったが人材面の交流は続いていた
    • [43]全国長距離フェリー21航路49隻のうち8航路23隻を押さえ、グループのフェリー会社の総売上は約700億円で全額が円収入
  • 商船三井 有価証券報告書 第167期(2025年3月期)【沿革】
    • [55]1999年4月 大阪商船三井船舶がナビックスラインと合併し商号を株式会社商船三井へ変更

1965年〜1999年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率 億円
1965年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1966年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1967年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1968年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1969年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1970年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1971年03月期 単体 1,495 n/a 135 9.0% 19 n/a
1972年03月期 単体 1,640 +9.7% 122 7.4% 27 n/a
1973年03月期 単体 1,551 ▲5.4% 46 3.0% 29 n/a
1974年03月期 単体 2,206 +42.2% 108 4.9% 30 n/a
1975年03月期 単体 3,276 +48.5% 178 5.4% 30 n/a
1976年03月期 単体 3,337 +1.9% ▲9 ▲0.3% 30 n/a
1977年03月期 単体 3,818 +14.4% 101 2.7% 30 n/a
1978年03月期 単体 3,804 ▲0.4% 40 1.1% 30 n/a
1979年03月期 単体 3,205 ▲15.8% 15 0.5% 30 n/a
1980年03月期 単体 4,168 +30.1% 137 3.3% 35 n/a
1981年03月期 単体 5,057 +21.3% 120 2.4% 36 n/a
1982年03月期 単体 5,375 +6.3% 171 3.2% 58 n/a
1983年03月期 単体 5,453 +1.5% 120 2.2% 61 n/a
1984年03月期 単体 4,913 ▲9.9% 55 1.1% 18 n/a
1985年03月期 単体 5,159 +5.0% 110 2.1% 70 n/a
1986年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 連結 6,374 n/a 47 0.7% 23 n/a
1993年03月期 連結 6,731 +5.6% 87 1.3% 70 n/a
1994年03月期 連結 6,086 ▲9.6% ▲57 ▲0.9% ▲60 n/a
1995年03月期 連結 6,353 +4.4% ▲15 ▲0.2% ▲44 n/a
1996年03月期 連結 6,620 +4.2% 8 0.1% 47 n/a
1997年03月期 連結 7,779 +17.5% 64 0.8% 61 n/a
1998年03月期 連結 8,349 +7.3% 115 1.4% 84 n/a
1999年03月期 連結 8,092 ▲3.1% 215 2.7% 70 n/a

出所:会社年鑑

出典・参考

10件
出典・参考
  • 商船三井 有価証券報告書 第167期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 明治百年(1968)「大阪商船三井船舶」
  • 証券アナリストジャーナル 1965年 3巻11号 武田正男
  • 証券アナリストジャーナル 1968年 6巻8号 宮本清四郎
  • 証券アナリストジャーナル 1977年 15巻4号 原奎一
  • 日経ビジネス 1990年11月19日号
  • 日経ビジネス 1991年12月16日号
  • 日経ビジネス 1993年10月4日号
  • 日経ビジネス 1998年5月25日号
  • 80年代わが社の戦略(1980)永井典彦「大阪商船三井船舶」

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