三光汽船の歴史

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沿革

1934年に吉田市之助氏が大阪で創業した三光海運が起源。

1941年に大陸との定期航路で本邦最大の業者へ成長し、河本敏夫氏のもと1963年の海運集約に参加せず独自に船腹を拡張した。1985年に負債5,200億円で当時の戦後最大の倒産となった。

1934年 1938年 1949年 1963年 1971年 1985年 三光海運 1934年設立 三光汽船 1938年商号変更 株式上場 1949年大証・東証に上場 自主運航 1963年オペレーターに脱皮 大型増資 1971年新造船を大量発注 三光汽船 1985年会社更生法を申請
  1. 吉田市之助氏が大阪市西区の飯野海運大阪出張所で三光海運を創業[6]創業
  2. 資本金10万円・社船1隻8,307重量トンで海運業を開始[4]
  3. 河本敏夫氏が取締役に就任[4]
  4. 河本敏夫氏が社長に就任[4]社長交代
  5. 商号を三光汽船に変更[6]商号変更
  6. 第一次計画造船4隻の就航で天津航路の自営を開始[2]
  7. 経営に失敗した中田造船所の経営を引き受け[2]
  8. 太平洋戦争開戦までに小型貨物船など計35隻に船隊を拡充[4]
  9. 満州・朝鮮・中国〜京浜の定期航路で本邦最大の業者に[4]
  10. 終戦時に運航可能な船は老朽化した13隻のみ[6]
第1章資本金10万円で興した三光海運と、在学中の河本敏夫氏が担った建て直し
売上高
  • 売上高
三光汽船売上高—
就任年社長氏名役職名
安定成長期

1946年〜大阪商船への運航委託の解消と東証・大証への上場

  1. 大阪証券取引所に株式を上場[4]上場
  2. 東京証券取引所に株式を上場[6]上場
  3. 大阪商船に委託していた運航を自社で再開[6]
売上高営業利益率
  • 売上高
  • 営業利益率
三光汽船1962年3月期売上高28億円売上高営業利益率14.3%
就任年社長氏名役職名
成長期

1963年〜海運集約への不参加と時価発行増資による新造船の大量発注

  1. 大阪商船への貸船を社船9隻中1万トン型3隻に縮小[4]
  2. 貸船オーナーから長期契約による自主運航のオペレーターに脱皮[4]
  3. 海運二法の成立による運輸省の海運集約に参加せず独自に船腹を拡張[6]
  4. 時価発行増資と第三者割当増資で大量の資金を調達[6]
  5. 調達資金による新造船の大量発注[6]
  6. 大手海運のジャパンライン株の買い占めによる経営権取得を企図[6]
売上高営業利益率
  • 売上高
  • 営業利益率
三光汽船1963年3月期売上高31億円売上高営業利益率16.1%
就任年社長氏名役職名
低迷期

1977年〜海運不況による負債5,200億円の会社更生法申請

  1. 実質オーナーの河本敏夫氏が沖縄開発庁長官を辞任[6]
  2. 東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請[6]
  3. 負債総額5,200億円で当時の戦後最大の倒産[7]
  4. 東京証券取引所第一部の上場を廃止[6]上場廃止
  5. 更生会社として再出発[6]
  6. 更生計画を9年繰り上げて会社更生手続が終結[6]
  7. 売上高2,293億7,700万円まで回復[6]
  8. 東京地方裁判所に2度目の会社更生法の適用を申請[7]
売上高
  • 売上高
三光汽船売上高—
就任年社長氏名役職名
出典・参考 7件
出典・参考
  • [1]会社銀行八十年史(1955年)「三光汽船」
  • [2]会社銀行八十年史「三光汽船」(1955年)
  • [3]ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「三光汽船」
  • [4]ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版
  • [5]Decide 3(3)(18) 1985年
  • [6]Wikipedia「三光汽船」
  • [7]帝国データバンク 倒産速報

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