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1934年に大阪市西区で吉田市之助氏が創業し、1949年に上場。1934〜2024年の沿革、37カ年の長期業績を収録。一次資料から社史を執筆。
| 年月 | 社長・CEO | 出来事 | 重要度 |
|---|---|---|---|
| 吉田市之助氏が大阪市西区の飯野海運大阪出張所で三光海運を創業 | ★★ | ||
| 資本金10万円・社船1隻8,307重量トンで海運業を開始 | ★ | ||
| 河本敏夫氏が取締役に就任 | ★ | ||
| 河本敏夫 | 河本敏夫氏が社長に就任 | ★★ | |
| 河本敏夫 | 商号を三光汽船に変更 | ★ | |
| 河本敏夫 | 太平洋戦争開戦までに小型貨物船など計35隻に船隊を拡充 | ★★ | |
| 河本敏夫 | 満州・朝鮮・中国〜京浜の定期航路で本邦最大の業者に | ★ | |
| 河本敏夫 | 終戦時に運航可能な船は老朽化した13隻のみ | ★ | |
| 河本敏夫 | 大阪証券取引所に株式を上場 | ★ | |
| 河本敏夫 | 東京証券取引所に株式を上場 | ★ | |
| 河本敏夫 | 大阪商船に委託していた運航を自社で再開 | ★★ | |
| 河本敏夫 | 大阪商船への貸船を社船9隻中1万トン型3隻に縮小 | ★ | |
| 河本敏夫 | 貸船オーナーから長期契約による自主運航のオペレーターに脱皮 | ★★★ | |
| 河本敏夫 | 海運二法の成立による運輸省の海運集約に参加せず独自に船腹を拡張 | ★★ | |
| 河本敏夫 | 時価発行増資と第三者割当増資で大量の資金を調達 | ★★★ | |
| 河本敏夫 | 調達資金による新造船の大量発注 | ★★ | |
| 河本敏夫 | 大手海運のジャパンライン株の買い占めによる経営権取得を企図 | ★★ | |
| 河本敏夫 | 石油危機後の海運不況で収益が悪化 | ★★ | |
| 河本敏夫 | 実質オーナーの河本敏夫氏が沖縄開発庁長官を辞任 | ★★ | |
| 河本敏夫 | 東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請 | ★★★ | |
| 河本敏夫 | 負債総額5,200億円で当時の戦後最大の倒産 | ★★ | |
| 河本敏夫 | 東京証券取引所第一部の上場を廃止 | ★ | |
| 更生会社として再出発 | ★★ | ||
| 更生計画を9年繰り上げて会社更生手続が終結 | ★★ | ||
| 売上高2,293億7,700万円まで回復 | ★ | ||
| 事業再生ADRによる約1,000億円の債務整理を開始 | ★★ | ||
| 東京地方裁判所に2度目の会社更生法の適用を申請 | ★★ | ||
| 東京地方裁判所から2度目の会社更生手続終結の決定 | ★★ | ||
| 保有船の全船売却による海運業からの撤退 | ★★ |
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