決断
自前の工場を広げず、企画と販売に経営資源を集中してきた会社である。1950年、樫山純三氏は背広を30工程の流れ作業に分け、国内初のホフマンプレス機を特殊ミシン10台とともに輸入した。投資額は資本金の2倍にあたる1,000万円で、1着2日の工程は7時間に縮んだ。1951年7月には「オンワード」の商標を登録し、統制の廃止とともに既製の背広を売り出した。一方で1953年ごろには工員200人の老松町工場をそれ以上広げず、生産を協力工場に任せる方針を固めた。同じ年に百貨店との取引へ委託制と派遣店員を持ち込み、製販分離を経営の基本に据えた。