決断
国内首位の地位を足場に、1958年11月、京都の店頭市場に続いて大阪の店頭で株式の取引を開始した。公開株数は10万株で、京都市場への正式上場を見込んでいた。当時の全国生産比率は義歯65%・研削材80%で業界首位にあり、同年1月には東日本の販売網を拡大するため東京営業所を開設している。1957年のローマの国際歯科学会で評価を得て、1958年のアジア歯科会議では香港・台湾・沖縄から引合いが寄せられた。資本金は1957年の無償増資で3,000万円、1961年には3,960万円に増加した。
国内首位の地位を足場に、1958年11月、京都の店頭市場に続いて大阪の店頭で株式の取引を開始した。公開株数は10万株で、京都市場への正式上場を見込んでいた。当時の全国生産比率は義歯65%・研削材80%で業界首位にあり、同年1月には東日本の販売網を拡大するため東京営業所を開設している。1957年のローマの国際歯科学会で評価を得て、1958年のアジア歯科会議では香港・台湾・沖縄から引合いが寄せられた。資本金は1957年の無償増資で3,000万円、1961年には3,960万円に増加した。
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